生々しく赤い返り血が飛ぶのは構ってられず、私は極力最短距離で先を急ぐ。薙いだ短刀をすぐさま戻し、湧くよう襲い来る敵を裂く。所詮は雑兵ではあるが、この数はさすがに辛い。私は何より先を急いでいるのだから尚更。懐の閃光弾を一つ、地面に強く打ちつければカッと鋭く光り、その隙に雑兵の群を飛び越え進む。目指すはあの蒼穹。何度言おうとも、自ら先陣を切って突っ走っていくのは変わらない。そんな事を考えながら燃え盛る本能寺の屋根を進む。これが政宗様の、否、この乱世の最後の戦になるかもしれない。なのに、私の身は異常に軽かった。もう恐らく政宗様はあの魔王と刀を交えているであろうというのに、緊張も焦りも表立って私を急かす事をしない。確かに、じわりと未だかつてない感情が腹の底からせり上がってきてはいるのに。私は何より、もう武器を取り戦場に立つ事がなくなるかもしれないという事に喜びを感じてしまう。たった一人いないだけで、この戦場がこうも恐ろしいとは思いもしなかった。いつの間にか、本能寺最奥の門を飛び越えていた。燃え落ちる柱が火の粉を巻き上げ、黒く燻る。轟々と炎と黒煙が暗い夜の空に舞い上がる。この戦が始まる前に、政宗様が私に仰ったのはただ一言。手ぇ出すんじゃねぇぞ、だった。無論、私にもその隻眼が何を言おうとしているのか見当はつく。今にも崩れてしまいそうな入口を前にして、渾身の力で地面に足を着けておく。発砲音が、刃がぶつかる音がする度に、地面を蹴って押し入りたい衝動に駆られる。そして、その度にギリリと食い込みそうな程に拳を握った。辺りが静まったのは、それからしばらく経ってからだった。

「遅かったな、名前」
「違います。貴方が先走るのです、政宗様」

疲れを映してはいたが、その目はギラリと獰猛で、静かに乱世の終焉を見せていた。彼が六爪の最後の一つを鞘に収める音がやけに耳に残る。

「お前も言うようになったじゃねぇか。そっくりだぜ」

政宗様が仰る意味はわかっていて、なぜか泣くでも笑うでもなく短く息を吐いた。左手に握りっぱなしだった苦無に気付いて、腿の仕込みに戻した。二か月余り前の記憶は昨日の記憶よりも遥かに鮮明。凶弾、まさしくそうだった。それ以前に起こった事といえば、今はあの中で動かぬ状態でいるあの男が、銃口を政宗様に向け、指先を僅かに引いただけ。そして、小十郎様はというと、政宗様を守って死ぬといつも言っていたそれを実践しただけの事。ただそれだけの事。あんなに小さな鉛の塊に、こんなにも日々が狂うのかと思えば、可笑しいくらいに呆気ない。きっと、本望だと言うのでしょうね。それを解っているからか、私は一切泣いてはいない。ただ小十郎様が命を賭した背を、微力ながらも守ろうと生きてきたのを覚えている。

ねぇ、小十郎様。貴方は最期まで竜の右目と称されるに相応しかった。けれど、その目がほんの一瞬、ちらりと私に向いた瞬間、息をするのを忘れる程に締め付けられた。その刹那、名前、といつものように私を呼ぶ声が聞こえた気がした。ねぇ、自惚れと笑われても構わない。この世で最後に貴方の目に映ったのは私なのでしょうか。

「政宗様の天下、なのですね」
「…ああ」

燃え続ける本殿は赤々と空を異質に照らし上げ、いっそ美しい。そのすぐ側で眠る木々は、素知らぬ顔でまた何事もなかったように朝日を浴びるのだろう。今ここで大きな節目が生まれた事など無関係。そう思うと、私は何と無力なのか。伊達の忍頭なれど、所詮は一個の生命体でしかない。そう、私はただの一人の人間なのだ。そんな浅はかな考えを今だけはどうか見逃して欲しい。

「政宗様、お願いです」
「何だ?」

本殿に背を向け、自陣に戻る道を眺めていた政宗様の背に呼びかけた。無礼とは存知ながらも、私は沸き上がるような炎を見つめたまま。つまりは、政宗様に背を向けたまま。

「どうか、そのまま振り返らないで下さい」
「……OK」

そうして、初めて私は泣いた。幼子のように声を上げて泣いた。膝から崩れ落ちて、地面に敷き詰められていた砂利が鳴った。政宗様はそのまま前に進んでいったのだろう、気配は徐々に遠ざかる。けれど、まだまだ聞こえる距離。それすら構わず涙は止まる様子はない。嗚呼、ああ、お許し下さい。今ひと時だけ、どうか、この心だけでもあの人の元へ。


誰に捧ぐ魂か

070530→110614加筆修正