※現代パロ




こういう場合は、俺の心境を映したかのような今にも降りだしそうな重たい雲が空を覆っているというのが相場だろう。だが、僅かに隙間の開いたカーテンから漏れる朝日は真っ直ぐに差し込む。なんて、感傷に浸ってる訳にもいかない。そうはわかっていても言う事をきかない体はまだベッドに沈んだままだ。脱ぎ捨てたジャケットも昨日のまま床にある。そういえば、昨日の昼から何も食ってねぇな。どうでもいいか。

「そうだ。どうでもいいじゃねぇか」

呟いた声は一人暮らしの部屋に低く霧散した。もういい、全部終わった。点けっぱなしのテレビの中で、小顔の女子アナが土曜日の朝9時になった事を告げた。起きる気はおろか指一本動かす気もおきない。いつもは何も思わない女子アナの笑い声が妙に甲高く、耳障りだ。あいつならあんな気取った笑い方はしねぇ、素直に思ったままに煩いと思うくらいに楽しそうに嬉しそうに笑う。見たら怒ってるのも馬鹿らしくなるような。

「…Shit」

動かねぇと思っていた腕で、寝転んだまま力任せに枕を殴りつけた。ベッドからケータイが転がり落ちた。フローリングの床とぶつかり、ゴドンと鈍い音を立てた。そのディスプレイに名前の名前が浮かぶ事はもう無いと思うと拾い上げる気にはなれなかった。可笑しな話だ。自慢じゃないが昔から女に困った事はねぇにも関わらず、俺はなんで動けねぇくらいに疲れてんだ?いい加減、家を出ねぇと講義に間に合わねぇってのに。たかが女一人いなくなるだけじゃねぇか。本社の社長のご子息に気に入られた下請けの弱小会社の娘。こんなドラマみてぇな話、実在するもんなんだな。ワンルームマンションの大学生にどうこうできる話じゃねぇ。いいじゃねぇか、女は他にもごまんといる。キャンパスの中にもいい女はいるだろう。

「…たかが、女一人の事だ」

口にして一番違和感を感じているのは紛れもなく俺だった。たかが女一人じゃねぇ、どうしても名前だった。やめろ、と叫びたくなるくらい、後から後から沸き上がるのは名前の事ばかりだ。いっそ腹が立つ程、思考の全てを名前に絡め取られていく。在り得ねぇ事だ。そのはずだった。なぁ、どうしてだ。付き合ってからの1年間、一度も見た事のなかった名前の涙をあの日初めて見たからか?前々から薄々勘付いていた名前の影に触れる勇気が俺になかったからか?ありがとうとさようならを同時に言った名前の笑顔にあいつらしさの欠片もなかったからか?なぁ、どうしてだ。どうして俺は、どうしてこんな所に寝転がっているんだ。

「馬鹿が…!」

ぶつけようのない感情に怒りを覚えた。もしかしたら、久しく感じなかった恐怖なのかもしれないし、それか悲しみというのかもしれない。頭の奥が痛む。それに伴って、視界が瞬時にぐらりと揺らいだ。驚いて瞬きをした時には目尻から溢れ、重力に逆らわず耳まで流れ落ちた。冷たく濡れる不快感にすぐにそれを拭った。こんな事いつ以来だ。らしくねぇ、格好のつけようもねぇ、俺はこんなに情けない男だったのか?何度目かの苛立ちを奥歯をギリリと噛み締める事で殺した。その時を見計らっていたかのように、ベッドのしたで低く唸るような音がした。ドキリと跳ねた心臓のせいで、考える間もなく起き上がり、ベッドの下に落ち込んだケータイを拾った。バイブの振動が手の平から脳に直接伝わっていったかのように思考は麻痺していた。ディスプレイも見ずに、とにかく直感だった。通話ボタンを押す直前に思った事は、名前の声が聞けるだけでいい。これもまた酷く無様なものだった。

「…政宗」
「……どうした」

俺の口から出た声は、思っていた以上に冷たい音だった。意味もない自尊心に内心で舌打ちした。何十日振りかに聞く名前の声は、俺の記憶の中にあるどんな名前にも似合わないか細さ。その表情の想像もつかない。今、名前が目の前にいるとしたら、俺は抱き締めているだろうか、どうにもできずに突っ立っているだろうか。

「…政宗…っ」

泣いてるのか。もうウェディングドレス、着てるんじゃねぇのか?汚せねぇんじゃねぇのか?化粧だってしてんだろ?落ちるぜ?いつもは薄化粧だったお前も、今日はプロにやってもらってんだろ?控え室の新婦がそんなんでいいのかよ?なぁ、頼むから泣くんじゃねぇよ。せめて、今日のお前は嘘でも祝福の中にいると思わせてくれ。

「…ごめんね、ありがとう…」

聞こえてすぐに、機械音が断続的にツーツーと続く。待てという暇もなく途切れた電話。呆然と、耳から離す事もできずに立ち尽くした。何を思ってそんな事を言うのかわからないまま、何もない壁を見ていた。何がごめんね、だ。何がありがとう、だ。俺がお前に何をしてやれたっていうんだ。本当はお前が何を思って式場にいるかわかってる。なのに、なんで、なんで俺はこんな所にいるんだ?

「全部、俺の独り善がりじゃねぇか…!」

皺だらけのTシャツとジーンズのまま、ドアを押し破る勢いで外に出た。辛うじて足にひっかけたスニーカーの踵を踏んだまま。エレベーターを待つ時間も惜しくて、階段を駆け下りる。朝の日差しが眩しく目に入る。元親から聞いた式場の場所が走って行ける距離だったかとか、家の鍵もしてないしテレビも点けっぱなしだとか、今相当酷い格好をしているとか、そんな事はどうでもよかった。ただ今は名前の手を引いてもう一度この道を戻る事しか考えていない。格好がつかねぇついでに、その後の事は一緒に考えてくれ。



Bash!Rush!Dush!



(というのがdaddyとmommyの結婚秘話だ)
(ちょっと、子供に何言ってるの!)



081003
110614加筆修正
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