!暗くて少しグロい!






その姿に彼岸花が頭をよぎった。灯りの乏しい室内でひっそりと、しかし確かな存在感を持って立っていた。異常なまでに細い四肢もその印象を助長させた。その手に赤黒く血が滴っているのが薄い月光の中、辛うじて視認できた。その足元で既に事切れた女性は、入城したばかり政宗様の側室。女は静かに口角を釣り上げた。次に、己の手を見て大きく声を上げて笑った。

「はははは、あッはははっ!」

この異常な惨状を目の前にして動けずにいた。政宗様がいらっしゃるより先にこの場を何とかするのが賢明なのは勿論だが、この光景は奇妙過ぎる。恐ろしく細い腕がどのようにしてこの場を作ったのか想像ができない。戦場には慣れているはずの兵達でさえ、僅かに一歩後ずさる光景。執拗に切り裂かれ、筋肉から骨まで露になった両の脚が、最早原型を留めてはいない。その姫様の耳から口内を貫通し、小刀が刺さっている。それを見下ろし、女は尚も笑う。

「ぁあははははは!」
「…何者だ?」

初めて女に投げかけた言葉は思いの他、渇いた声で発せられた。漸くこちらに向けられた目は、意外にも狂気に呑まれたものではなかった。じわりと獰猛な怨恨を湛えた目だった。左手は刀に添えたまま、いつでも抜ける状態にしておく。

「私が何者か、知ってどうするの?」
「答えによっちゃこの場で斬る」
「斬る!そうよね、容易いわよね、それくらい」

ふらふらと覚束無い足取りの異常に細い脚。何故立てているのか不思議な程だ。背後で誰かが息を呑んだ音がした。政宗様がこの騒ぎを気取られる前に、血の染み込んだ畳へ踏み出す。叩き斬るのでは意味を成さない事は理解している。女は動かない。既に他軍の刺客という考えは持っていない。餓鬼だという方がまだ納得できそうだとさえ思う。近づくにつれて、病的に白い女の肌が鮮明になる。血で染まっているのは返り血ばかりではないようだ。所々、擦り傷のような怪我が見える。間合いの取り方も戦術を心得ている者のそれではない。

「どうやってここへ入った」
「虫はどこからでも入れるの」
「ふざけんじゃねぇぞ、女」
「ふざけてないわよ、最初に言い出したのはこの女じゃない」

全ての怨恨を視線に込めたかのような眼光で、物言わぬ姫様を見下ろした。その小枝のような脆い身体のどこにそれだけの力を秘めているのか。姫様の頭を貫いている小刀を引き抜いた。何とも言えぬ嫌な音にも、女は顔色一つ変える事もしなかった。目を逸らしたくなるような血と肉の残骸に塗れた頭蓋を静かに見つめ、鮮烈な憎しみを注ぎ込んでいる。愛刀の柄を掴むが、まだ抜きはしない。

「ここの殿様はなんでこんな女を迎え入れたの?阿呆としか思えない」
「政宗様を愚弄するつもりならただじゃおかねぇぞ」
「知ってる?この女の国」

脅し文句を聞き流して立ち上がった女と真っ直ぐ視線がぶつかる。その目はぎらぎらと輝いて、奥深くの根源的な恐怖を掻き立てる、そんな色をしていた。女の肺が吸い込んだ空気でひゅぅと鳴った。

「この女の国は地獄。城主の一族以外は虫けらなんだって。その女が言ってたのよ、嫁入りの行列の中でね!酷い年貢と不作の中で必死に生きてる私らを見下ろして、病が移るからこんな米は食えないって捨てたんだよ。あっははは!捨てて踏んだ!あはははは!」

ぞっとした。決壊した言葉は、城中に響くのではないかと思った程。血溜まりから跳ね上がる飛沫が女の裾を染めた。嗚呼、それでこんなにも脚を酷く潰したのか。恐らくは武術、剣術の経験など皆無であろう女が。捻じ伏せる事も容易いはずだというのに、思わず肩に力が入った。それ程までの深々と渦巻く憎悪がこの女の背景で揺れていた。

「それで殺したのか」
「だって、おかしいでしょう。親も兄弟も村の皆も、飢えに苦しんでるのに、この女は金だか何だかで嫁いだ立派な城で生きてる」

女の頬にかかった黒髪は、城で見るどの女の髪より痛んで見えた。月光が女の手指の痛々しいあかぎれを照らした。この乱世、政宗様とて呑まざるを得ない条件もある。その結果、この城に入り、そして今日その命を絶たれた姫の艶やかな髪と傷一つ無い肌とは比べ物にならない。女の見開いた目には涙が溜まっていく。大きく肩で息をして、疲れきったように目を閉じた。滴が女の頬を伝う。知らず知らずに詰めていた息を吐いた。安堵した。そこにいたのは彼岸花でも餓鬼でもなく、確かに人間だった。懸命に痛い程誠実に生きるしかない人間の姿だ。彼女は酷く生きている。二十やそこらの娘が、濁流に呑まれるような狂気に侵されながら、頑なに命を燃やしている。政宗様を始め、自分達が守ろうとする天下の重みを改めて背負わされた。

「どうせ、あのままあそこにいても死ぬんだから、だったら」
「親兄弟の仇を討ってから、か」

女と目が合う。涙を滲ませたまま、細められた瞳は穏やかに笑みを象った。尽きる直前の灯火の揺らめきを思わせる微笑を無言の肯定と受け取る。しかし、無様にも躊躇した。この場を収めるとは、つまりそういう事だ。国で飢餓と悪政に倒れるにしても、どの道、未来は無いとしてここへ潜り込み暴挙に出たのだろう。だが、それを自分の手で下す事に躊躇した。決して自棄になって投げ捨てられた訳ではないその命は、大義名分の前に刈り取っていいものとも思えずにいた。

「女、名は何という?」
「…名前」
「名前、か。憶えておく」

一瞬、驚いたような表情を浮かべた後、柔らかに微笑んだ。彼岸花の鮮烈に紅い花弁も、燦々と降る日光の下ならば、違う顔を見せるのかもしれない。だが、無情にも夜が明けそうな気配はここには無かった。全てを受容した笑みを見ながら、乱世を必ず治めると誓った主の言葉を改めて胸に刻む。必ずやその背を守り抜く誓いも新たにし、腰の愛刀を静かに抜いた。

「…ありがとう」

微かな声にざわついた胸中に今は目を向けず、ただただ生きているその命を絶つべく刀を構えた。彼女の名を聞いたのは、背負う業の重みを忘れない為だ。戦場で自分達が何を踏みしめているかを憶えておく為だ。絶叫するには、この世は沈黙に慣れ過ぎている。重すぎる刃を振り下ろすその直前、名前は返り血に塗れた小刀を自らの心臓へ向けた。


せめて一片その花びらを

091213→110614加筆修正
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