あ、いけない。そう思った時には既にエースはどこか痛めたかのような目をしていた。少しばかり感情が顔に滲んだのは自覚していたが、見られる前に揉み消すのは間に合わなかった。勘付かせるつもりはなかったのに、弱ったな。

「そんな顔するんじゃないの」
「アンタだってそうだろ」

バツが悪そうに窓の外に視線を放るエースの横顔を見ながら、少し侮っていたかなと反省と共に苦笑が漏れる。けれど、その横顔はだんだんと色を変えて、苛立ちと寂しさをない交ぜにしたような表情になる。確かに私が思っていたより大人に近付いていたのかもしれないが、やはり若い。彼の視線の先、窓の外には彼らのいた宿。よく見える位置に彼らのいた部屋の窓がある。この部屋に来てから、エースが何度そうやって考えるように見つめた事か。

「迎えに行くなら、いつでもどうぞ」
「…どこに行ったかわからねぇじゃねぇか」
「この通りを真っ直ぐ行ったら海に出るわ。その手前にカフェがある」
「なんでわかるんだよ?」
「モーニングタイムにマルコが泣きそうなあの子を連れて行くなら食堂よりカフェよ」

いつだったか、私にもそんな記憶がある。何があったのかもはっきりと覚えてはいない。とにかく落ち込んでいた私を連れ出した先も、その島の大通りを少し外れたカフェだった。温かいカフェオレと一緒に、するりと融けるように泣いてしまったのを覚えている。ああ見えて意外とフェミニストな所があるんだ、マルコは。そんな昔もあったな、と記憶を辿っている間に、エースの目は窓の外からこちらに向いていた。

「わかるんだな、そういうの」
「あんまり長く一緒にいるとね」
「…羨ましいとまで思わねぇけど、偶にすげぇなと思う」

言わんとしている事はわかるから、とりあえず微笑んでおく。ただ、すごい事なんて何も無いのだけれど。戦闘や航海と一緒、ただの経験則であって放っておいても身につくものだ。代償は時間と、私のように運が悪ければ言葉にするには不明確な何か、だ。でも、そんな情けない事を言うつもりはない。

「言っとくが、居場所がわかるのがって意味じゃねぇ」

私が次の言葉を考えつくより早く、エースが制するように言う。唐突に飛んで来た変化球を取り損ねたように、私はただエースを見やる。その視線に少し居心地を悪くしたように、エースは一瞬言い淀んでから、話しだす。

「昨日、おれが飲み屋でちょっとサッチと騒ぎ過ぎて、仕切り直しに2軒目に行こうってサッチが言い出したんだよ」
「そう。まぁ詳しくは聞かないでおくわ」
「あぁ。で、当然マルコも誘ったんだけど、断られた」

そういえば、元々酒には強いマルコだけれど、昨日は帰りが遅かった割にあまり飲んでいないようだった。それ以上に酔ってる2人がいたようだから、あまり気にしなかったけれど。

「最初は別に断る風でもなかったのに、泥酔のサッチが余計な事言った後から乗り気じゃなくなったみたいでよ」
「余計な事?」
「ずっとあいつと一緒ってのも刺激がねぇだろ、偶には羽目を外せよ、って」

正に酔ったサッチの言いそうな事で、思わずくすりと笑えた。勿論、その"あいつ"というのは私の事で、それに対して羽目を外すと言った事にも笑えた。流石、伊達にほぼ同じ年数を同じ船で過ごしただけの事はあるじゃないか。言ったそばから私が傷付いていないかと、さり気なさを装ってこちらを窺うエースとの差と言ったら。それで?と私が目で促すと、何も無かったかのように話す。

「マルコの奴、行きてぇならお前らだけで行けって言うから、サッチも白けたみたいで行かなかった」
「帰った時でも随分酔ってたし、それで良かったんじゃない?」
「それで、その時、マルコがさっきのお前みたいな事言ってたんだよ」

さっきから話が見えないな、とは思っていたけれど、いよいよ何だというのか。さっきの私のような事?頭上に疑問符が浮かんだ私を見て、エースがさっきまでとは違って、確信を持ったように微かに笑う。

「あんまり長く一緒にいると何より落ち着くようになる、ってな」

ああ、成程。これがオチか。どことなく満足げに口角を上げて、ほんの少し励ますような空気を含んでいる。まったく、この末っ子は、いつの間にこんな生意気な事をするようになったのか。嗚呼、畜生。エースがそんな笑顔を浮かべているって事は、そうさせるだけの表情を私がしているという事なんだろう。ねぇ、マルコ、私、アンタが何を思ってるのか、わからない。なんで私のいない所でそんな事言ってるの。眠った振りをしていた私に、一人の方が気楽かい、と問うた声はまだ耳に残っている。

「すげぇよな、羨ましくはねぇけど」
「調子に乗ってるんじゃないわよ」

大人びて聞こえた口調に、席を立ってエースの頭に軽く一発お見舞いする。痛ぇ、と頭を押さえながらも笑うエースをそのまま抱き締めた。驚いて戸惑う声は無視した。あの子にはごめんね、と心の中で詫びておく。ただ、今はどうしても顔を見られたくない。涙が武器なのは少女の間だけだ。強く瞼を閉じて、涙腺が緩みそうになるのをやり過ごした。


刺激のない女


110526
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