いや、別に期待していた訳じゃない。けれど、やはり、気持ちの高鳴りくらいはある。私だって生物学上はどうしたって女だ。奴の言うレディに属しているつもりは毛頭ないが、こういう時に思い知らされる。2年会わなければ、悔しいが何度か思い浮かべてしまった。ああ、そうだ、要するに恋しかったのだと認めよう。それも、シャボンディ諸島に再会へ向かう日が近づく程、自分でも薄気味悪いくらい、腹立たしいくらい、何度も思ったのだ。なのに、だ。それなのに、だ。何なんだ、あの女たらしのエロコックは。

「ナマエ」
「何?チョッパー」
「お、怒ってるのか?顔が怖いぞ」
「あ、ごめん。大丈夫」

不安げに見上げてくるチョッパーに微笑めば、ほっと安堵の息をつかれた。そんなにあからさまに顔に出ていたのか。私も私に溜め息をつきたい。その時、不意に感じた視線に、そちらに目をやると、かつて見た事もない程の反射神経で顔を背けられた。全くもってあのぐる眉野郎の意味がわからない。

「…本当に怒ってないのか?」
「怒ってないって言ってる!」
「ご、ごめん」
「…あ、いや、今のは私の方が悪い。ごめん」

チョッパーの頭を撫でてから、サニー号の芝生の隅へ歩く。2年振りに会った船員達をそこから見渡す。コーティング船で海底へ向かう中、変わらぬ一味の空気と、各々が抱える変化もある。それは心地好い事だけれど、やっぱりあれは気分のいいものじゃない。

「出血多量で死ね」

ナミやロビンには鼻血で、何故私は徹底無視なのか。別にあの女好きは今に始まった事じゃないし、私を見て卒倒しろとも思わない。でも、無視される意味がわからない。確かに色気を増した二人に比べると、私はこの2年で色気とは正反対の戦闘力を増してきた訳で。ただ、それこそ私もそんな事は今に始まった事じゃない。無視される理由が今更、女性らしさの欠如とも納得し辛い。ああ、ダメだ。考えた所でわかるものか。考えるより行動だ。埒が明かない思考を中断して、腹立たしいスーツの後ろ姿に歩み寄る。

「サンジ」

ぴくりと肩が揺れる。が、振り返る気配もなければ、返事もない。あたかも聞こえていないかのように、その場に突っ立っている。嗚呼、くそ。なんでだ。なんで私がこんな事で憂鬱にならなくちゃいけない。

「サンジ、呼んでるんだけど」
「………」
「聞こえてるでしょうが!」

本当は私だって、こんな風に感情を昂らせたりしたくない。勢い任せにサンジの肩を掴んで無理やり振り返らせた自分の手を、他人事のように見る。勝手に恋しいだなんて馬鹿げた感情を抱いていた私を笑えばいいのか。

「……ナマエ」

ようやく正面から向き合って、目が合ってすぐに辛そうに眉間に皺を寄せられた。絞り出されたように呼ばれた名前は掠れて小さい。なんでだ。何がそうさせる。そんなに私が嫌か。この2年必死に強くなろうとした私はそんなに避けられる程か。ギリ、と音がしそうなくらい奥歯を噛み締めてサンジを見上げた。しかし、その瞬間、何をどう考えるべきか、思考回路が停止した。

「なっ…何?…え?」
「っ、ごめん、ナマエ」

隠すように顔を手で覆って背けるサンジ。意味がわからない。何。何が起こってる。なんで、泣く。私の顔を見て泣かれる意味がわからない。突然の事に憤りなんて抜け落ちて、どうすればいいのか、ただ立っている事しかできない。サンジが顔を背けたまま、溜め息よりも長く緩く息をつく。そのまま、こちらを見ずにこの距離でぎりぎり聞こえる声量で喋る。

「ごめん。やっぱりナマエを見られない」
「な、何…なんで」
「…さっきから、心臓、爆発すんじゃねぇかってくらい…」

サニー号で再会したのも少し前で、その間、目が合う事すら近付きもしなかったのに。今やっと向かい合ったばかりだというのに。それだけでこれって。一体、この2年間で何が起こったんだ。けれど、今もまだ鼻をぐずらせながら、私を見れないでいるサンジに、体の中の血液がゆるりと融けたかのような感覚がした。可笑しいのか愛しいのか馬鹿馬鹿しいのか、知らない内に小さく笑ってしまった。

「泣く程会いたかった訳?」
「あぁ、そりゃ、夢にまで見たさ」
「顔見せて」
「…ナマエ…!」
「なんで、また泣く!」

少し大人びた雰囲気になったサンジと目が合うのはほんの一瞬で、すぐに涙ぐまれる。やれやれ、これはある意味、鼻血より厄介かもしれない。けれど、少なからず私は別格としているのかと思うと、むず痒いような、やはり馬鹿馬鹿しいような。とりあえず、その訳のわからない症状で私を苛立たせた分、キスくらいは寄越しなさい。濡れた目元を隠す手を無理やり引き寄せて、驚きの声を発するより先に、馬鹿みたいな罵詈雑言を捻じ込んで塞ぐ。


ようこそ、ここが夢の果て

(ナマエ、やっぱ怒ってたのか?サンジが泣いてるぞ!)
(あーもう、こっち見る度に泣くな!)
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