ぐるり、カップの中で渦を巻くホットミルクは白かった。底の見えない白さだった。そこから昇る湯気の向こうから、バスルームのドアが開く音がした。

「どうした?」
「うん?」
「つまんねぇ事考えてたんだろ」
「うん」

エースは私に敏感だ。不器用なくせによく気付かれる。白いカップを覗き込む私の隣に、風呂上がりの肌を火照らせたエースが座る。ソファのスプリングが軋む。視線をエースへ向けると、まだ濡れたままの黒髪が目に入る。彼の瞳もまた同じように深い黒だった。

「エース、ごめんね」
「謝るなっての」
「だって、せっかくレストラン予約してくれてたのに」

机の上に置きっぱなしにしていたゴミを、薬を押し出した後の薄いプラスチックのゴミを、エースが掴んでゴミ箱に捨てた。こんな晴れた日の夕方に家の中にいるなんてエースの性に合わないだろう。なのに、エースは優しい。私が一つ咳をしただけで、背中をさすってくれる手が優しい。出かける準備だけをしたバッグが悲しい。私はまた白いミルクに視線を落とす。

「俺がお前の体の事より予定優先したがると思ってんのか」
「そうだね、ありがとう」

ニッといつものように笑うエースに頬が緩む。それから、くしゃりと私の髪を撫でるエースに私も思わず手を伸ばすと、ポタリと滴が私の手に落ちた。

「あァ、悪い」

畳んだまま置きっぱなしにしていた洗濯物の中から、エースがタオルを1枚取って濡れた髪を拭く。黒い髪が白いタオルの中で溺れるように見え隠れする。

「エースは黒が似合うね」
「そうか?初めて言われたな」
「似合うよ、強くてぶれない色」

そう言いながらも、私はカップを手に取り、白いミルクの淡い湯気にふーっと息を吹きかける。そっと一口飲む。ゆるやかに温かさとぼやけた甘さが口内に広がる。

「また、つまんねぇ事考えてたんだろ」
「うん。私は白なんだなぁって」
「白か」
「そう、たぶんね、骨の色」

白いカップ、白いミルク、白い湯気、白い顔、白い骨。全部が脆い。黒がいなければ輪郭を得る事もできない。私はエースがいなければ息をする気力も無いかもしれない。私が生きていられるのは薬よりエースが存在するからで。病気よりも副作用よりもそれが恐ろしい。エース、エースエース。いつかエースをホワイトアウトさせそうな依存。好き、好き、離れないで、ここにいて。嗚呼、これは愛なのか。でも、優しいエースは病魔に蝕まれる私を見捨てたりしないんだろう。私は白骨の体しかない亡霊で、呪詛を愛とはき違えてエースを束縛してるんじゃないか。

「私、エースに無理させてる。骸骨、幽霊みたい」

エースが一緒に暮らそうって言ってくれたのも、昔から体の弱い私を心配してくれたから。本当は海が好きなエースがあまり海に行かなくなったのも、潮風が体に障るんじゃないかとか考えてくれてるから。私はエースから奪うばかりで、何もできない。

「何だそれ、今流行りのヤンデレってやつか?」

訳が分からないという顔をして、エースは急に立ち上がる。そのままエースはリビングを横切って、キッチンの中に入る。怒らせたのか、呆れられたのか、わからないでいる私の耳に冷蔵庫が開いてすぐにまた閉まる音がした。そうして戻ってきたエースの手には彼のマグカップとペットボトルの無糖コーヒー。

「ホラ、それ貸してみろ」
「え」

私の手からミルクのカップを抜き取ると、その中のミルクがエースのカップに半分移される。少し温くなったミルクが半分ずつ入った2つのカップに、同じようにコーヒーが注がれる。
唖然としている私の目の前で、エースは注ぎ終えたコーヒーのペットボトルをじっと見ている。濃い色をした液体がたぷんと揺れる。

「まぁ、どっちかっていうと黒だよな」
「エース?」
「見てみろよ、ナマエ」

ずいと差し出されたカップを受け取る。少し冷たくなったカップの中は勿論カフェオレになっている。ゆったりと薄い茶色に色づいている。

「な、柔らかい色になっただろ?」
「…うん」
「だから、つまんねぇ事考えるな」

同じ色をしたカフェオレを隣で一口飲んで、エースが照れたように笑った。じわりと目頭が熱くなる。それを隠したくてカフェオレを飲む。ホットミルクの甘さはコーヒーの香りに溶けてしまった。

「好きだ」
「…うん」
「大丈夫だ、心配すんな」
「うん…ありがとう」

さっきとは違う、穏やかな微笑みを浮かべるエース。ここでごめんねと言えば、エースはまた謝るなって言うんだろうな。私も負けじと笑う。そっと撫でるように私の肩を抱くエースの手はやっぱり優しい。

「バカだな、お前」
「だよね」

手の中の白いカップにじわりと熱が染みるのを感じながら、ためらわずに体を預ける。


モノクロームを攫う

101116

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