「臭い」
ああ、やっぱり。船に戻った俺を見るなりそう言って、思いっきり顔を顰められた。女がする顔じゃないような形相。あれだ、腐った生ゴミを片付ける時、そんな顔になるよな。あ、この場合の腐った生ゴミは俺か。
「もうそれ香水じゃないし、異臭だよ、腐臭だよ」
そう吐き捨てて、さっさと船内に消える後ろ姿を、何とも言えず見送る。自分の体についた移り香はどんなもんかはわからないが、確かに昨夜の店の女の香水はキツかった。いや、一人ずつならいいんだ。色気漂うバラもたまんねぇし、可愛い系のヴァニラもそそられたし、清純派のフローラルも王道ならではの良さがあった。でもまぁ、一晩いればそんな匂いも混合されて移り香になる訳で、ちょっとは自覚していたがそんなに酷いのか。
「なぁ、マルコ。そんなに臭ぇか」 「まずシャワー室に直行すべきだったな」
冷静かつ淡々と、いっそ馬鹿にしたようなアドバイスにぐうの音も出ない。ここでそういう類の店に行くべきでなかったと諭されるよりはマシだが。その辺は流石、長年の付き合いだ。それでいて、マルコが言うようにシャワー室に直行した方が良かったのもわかってたんだけども。わかってたくせに、どうにも船に帰ったらすぐに船内を探してしまった。
「だってよォ」 「何だよい」 「無性に会いたくなっちまったんだもんよォ」
久しぶりの上陸で、それも派手なネオン街を見つけちまったら入るしかねぇだろ。で、入ったら最後そりゃ楽しむさ。美味い酒をボンキュッボンの女が酌してくれんだから、楽しくねぇ男がいるかってもんだ。だけど、どうにも、そんな女ばっか見てたら、戦い辛いからって年がら年中ズボンしか穿かない、汗で落ちるっつって碌に化粧もしない、そんな女が頭の隅でちらついた。ネイルの綺麗な指が触れてくる度、ツッコミにしては威力の高い小さな拳を思い出した。
「どう思うよ、相棒」 「俺に聞くんじゃねぇよい」
なんでだろうな。店の姉ちゃんと比べたって、見るからに色気もねぇし、遠慮もねぇし、胸もねぇ。なのに、どうしてか、店を出る頃にはもうあいつの事しか考えてなかった俺に自分で焦った。繁華街の店も覗かずに真っ直ぐ船に帰ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。っていうか、顔見知りがいないとわかれば、ちょっと走った。走りながら、何してんだって思ってすぐやめたけど。
「なんつーか、大人げねぇっていうか、すげぇ今更だよなァ」 「全くもってその通りだよい」 「…だよなァ」
好きだとか何だとか、そんな青臭ぇ事を今更考える羽目になるとは思いもしなかった。来る女は拒まず、去る女は追わない、このサッチ様がだ。頭を抱えたいような、思いっきり叫んでしまいたいような。ああ馬鹿らしい、青臭ぇ。誰が。俺だ。
「……やっぱ、好きだ」 「……」 「…何か言えよ」 「何て言われてぇんだよい」 「……やっぱいい」
マルコの憐れむような蔑むような、何にせよ容赦ない目で見られて、思わず溜め息が出る。思春期のガキか。もやもやするのに自分自身で苛立って、がしがしと髪を掻けば、当然ながらセットが乱れる。歪な形になった髪が視界の端に入る。なんて情けない様だ。やっぱ、俺には店のセクシーな女と飲んでる方が性に合う。間違いねぇ。
「あーマルコ、悪かったな。もう行っていいぜ」 「あァ、後は本人に聞きな」
は?と言う間もなく、いつの間にか船室に続くドアノブに手をかけていたマルコが、そのドアを開く。いやいやいや、待て待て待て、そんな気配無かったじゃねぇか。何でお前、そんな所にいるんだよ。
「遠慮して聞いてんのが気になってたんでな」
何でも無い風に行って、さっさと去っていく後ろ姿に声にならない罵声を投げる。あの野郎、最初から遊んでやがったな…!いや、それより、どうすんだ、この状況。未だにドアの前に黙って立ったままで、表情もよく見えない。というより、見れない。その上、喋れねぇとか青少年過ぎるだろ、馬鹿か、俺。
「…あ、のさ」 「お、おう」 「もう、変な女の匂い、させないでよ、ね」
あ、もういいや。俺、今日から思春期真っただ中の少年になります。さよなら、アダルティーなサッチ様。とりあえず、青少年サッチ君は目の前の耳まで真っ赤なツンデレ女を抱き締めます。
こんなぼくでもきみをあいせるんです
(ほっぺにちゅう様へ提出) 100803
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