「マルコさんが好きです」
やれやれ、またか。そう声が聞こえてきそうな溜息が隣から漏れた。船上のあちこちで宴の騒音がしているというのに、その小さな音ははっきり聞こえた。私も溜息を吐きそうになって手近なグラスの中身と一緒に飲み込んだ。
「お前なら他にもいるだろい」 「嫌ですマルコさんがいいです」
苦笑しながら酒瓶を空にするマルコさんを見ていた。随分とゆったりした動作に、言葉を探しながら様子を窺っているんだろうと思った。それくらいの見当はつくようになった。初めて好きだと口にした時より、わかる事は増えた。それでも、まだまだわからない事が多すぎる。例えば、こうして並んで話していても彼の目に映る事のない私は一体どう思われているのか、とか、何度気持ちを伝えようともはっきりと拒絶もしないし受け入れもしないのはどういうつもりなのか、とか。
「なんでですか」 「そんなガキ臭ぇ事言う年じゃねぇよい」 「関係ないです」 「そうかい」
呆れたような笑みを浮かべながら酒を煽る。いつもそうだ。はぐらかして冗談にしてしまう。釈然としない私だけが残されて、無かった事みたいにされる。すぐにまたいつも通り。嗚呼。ラベルも見ないで傍にあったボトルを掴んでグラスに注ぐ。口をつけるとむっと濃いアルコールの匂いがして、喉を重く通る。胃にぐんと染みる感覚。苦みが鼻に通る。
「お前、何飲んでんだい」 「えー?」
思っていたより自分の語尾が伸びて、あぁヤバイと思った時にはぐるんと視界が傾いた。誰だ、こんな所にこんな酒置いた奴。普段、サッチがジュースだと馬鹿にするような果実酒しか飲まないってのに、なんで何も確認せずに飲んでしまったんだろう。ああムカつく、マルコさんのせいだ。
「マルコさんのバカー」 「この状況で言う言葉がそれかよい」 「へ?」
予想外に近くで聞こえた声に、ぼやけた意識を何とかしようと集中する。声がした方に少し首を捻ると、すぐ近くにマルコさんの顔があって、思わず声を上げそうになった。驚いて、距離を取ろうとしたが、反対側の肩を掴まれていて動けない。何事。
「ちょ、離して、ください」 「離したら、お前ふらふらじゃねーかよい」
バランス感覚のおかしくなった私を支える手。肩に触れる体温。くらり、頭の中が揺れた気がした。ムカつく。何だってこういう優しさを見せるんだろう。だから私はいつまで経っても抜け出せないのに。マルコさんのせいだ。なのに、どうして、何なの、どうしたらいい。ぐるぐるぐるぐるぐる吐き気がしそう。
「ったく、これはお前が飲むにはまだ早ぇよい」
そう言って残った酒を難なく飲み干して笑うマルコさんに、悔しいような悲しいような腹が立つような、言いようの無い気持ちが胸の底に溜まった。どうしてもっと早く生まれなかったんだろう、とか、どうしようも無い事ばかり考えて、目頭がじわっと熱くなる。それでも、それでも、私は本気で好きなのに。笑わないで。笑うな。笑われたくない。
「笑わないでよッ!」
マルコさんが驚いている好きに彼の手を振りほどく。勢いをつけ過ぎて後ろにバランスを崩しても、自分の手で何とか支えた。ぼやける視界が腹立たしい。頬を伝う涙の感触が悔しい。どう言葉にしたらいいのかわからないのがもどかしい。私だけが幼稚だった。
「私がっ、もっと、大人だったらいいんですか」 「そうじゃねぇよい」 「もう、だったら、嫌いだって言ってくださいよっ」 「違うって言ってんだろい!」
急に大きく荒くなったマルコさんの声に肩が跳ねた。宴は延々と続いていて、周囲は喧騒に包まれているはずなのに、音が消えたように耳が機能しなくなった。荒く肩で息をする自分の呼吸音と、混乱した心拍音しか聞こえない。マルコさんは今まで見た事の無いような複雑な表情をしている。それじゃあ何もわからない。私は私の気持ちしかわからない。マルコさんと真っ直ぐ目が合う。
「ねぇ、好きです」
言った瞬間にまた頬に涙が触れる。それがまた悔しくて手で乱雑に拭った。最悪だ。マルコさんの方を見れない。
「…参った」
何の事かと聞き返すより先に、くぐもった笑い声が頭の真上から聞こえた。背中をぐっと抱き寄せられて、額が彼の肩口に触れた。反論しようにも、抱き締められてると理解した頭は真っ白になっている。
「ガキだと思ってたんだがなァ」 「あ、あの」 「いや、そう言い聞かせてただけかもしれねぇな」
これ以上無いというくらいに脈打つ心臓。淡い期待と不安に恐る恐る顔を上げると、少しバツが悪そうな苦いような笑みを浮かべていた。何も言えずにいる私の頬に触れるマルコさんの手が珍しく熱い。
「嫌いな訳ねぇだろい」
言外に謝るような済まなそうな声音で聞こえた。鼻の奥がキンと痛んだけれど、もう泣き顔なんて見られたくなくて、ぎゅっと目の前の胸に顔を埋める。ふわりと髪を撫でる手は、好きだと言われるより柔らかな気がした。
優しい過渡期にさよなら
100722 10000hit Requested by Ms.Kanna
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