泣く女が嫌いだった。涙は女の武器だとはよく言うけれど、そんな無様なものを武器にするような醜態は曝したくない。哀れに美しく儚い守りたくなる、それを象徴するような女の涙が実に嫌いだ。何より、泣いた結果、誰かの庇護欲を煽るようなか弱さを生む事が不快だった。勿論、自分がと想像するだけで反吐が出るが、他人がそうなっているのを見るのも不愉快極まりない。

「泣いてどうにかなるの」
「で、でもっ、私…っ、うぅ…」
「もういい、泣くだけじゃ仕事にならない」

泣きたいなら余所で泣いてくれ。ドアを目で示してから、回転椅子をくるりと反転させて、最近ミスの多い新米ナースに背を向ける。ぐすぐすと未だに涙を止めきれないまま、ナースが出て行く音を背中で聞く。その際にふわりと香る香水の匂いに顔をしかめた。化粧はしっかりできるんだなと思ってから、流石に嫌味すぎるかと苦笑する。さて、ミスのあるカルテを直そうと机に向き直る。ただでさえ山積みの書類に、また一つ増えた仕事。うんざりしかけたところで背後のドアがノックされた。

「邪魔するよい」
「マルコか」

滅多に医務室では見ない顔が現れて、少し驚きながらもさっとマルコの全身に目を走らせるが、別段怪我をした様子は無い。どうしたんだ、と問うより先にマルコが苦笑いを湛えているのに気付く。この様子では内科的な問題でもなさそうだ。

「またナースをこっ酷く叱ったみたいだなァ」
「何、聞いたの」
「さっき泣き付かれたばかりだよい」

患者用の簡易ベッドに軽く腰かけながら世間話をする風に言うマルコ。内心で溜息を吐きながら、同時にゆらりと腹の底で苛立つ。全く、あのナースは私が嫌う事をしっかりやってくれる。一人で泣くならまだしも、人に泣き付くな。それも一番隊隊長ともあろうマルコに。

「厳しいだけじゃ部下はついて来ねぇ」
「ドクターがナースを叱らない訳にはいかない」
「あまり泣かせてやるなって事だよい」

部下に諭すような口調と視線で言われ、私は思わず目頭を押さえて小さく唸る。マルコともあろう者がナースの涙にほだされている訳じゃないでしょうね。沸々と苛立ってくるのを抑える。長い付き合いだ、マルコがそういう柔な男じゃないとは信じているものの、少なからずショックを受けている。そんな自分に気付いた瞬間に、何故かめらりと怒りが湧いた。この所、休みなく仕事をしていた疲労も手伝って、ぷつりと簡単に糸が切れた。

「ボランティアじゃないんだよ、勝手な事を言うなっ」
「そうじゃねぇよい」
「仕事ができずに泣くような奴なんか慰めてる暇はない」
「そういう言い方をするもんじゃねェ」

マルコの語気が少し荒くなったのと、キンと鋭くなった視線に、言い過ぎたと感じたが、それがまた腹が立った。結局、ミスの尻拭いをするのは私だし、責任を負うのも私だ。それなのに泣くナースを庇うマルコにいよいよ腹が立ってきた。

「マルコにそんな事、言われたくないっ」

一際大きく叫ぶように吐き捨ててからはっとした。そうだ、気が付いた。私は今、ナースがほろほろと泣いた時より腹が立っていた。マルコに涙を見せたナースの事で、彼が庇うような物言いをしてみせた事に何より苛立っていた。気を許せる仲だと思っていたマルコだからこそ、苛立った。もしかしたら、丸い大きな瞳に涙を浮かべてマルコに訴える可愛い新米ナースを思い浮かべた時点で言い知れぬ苛立ちを、いや、もう嫉妬と呼んでもいいものを感じていたのかもしれない。そう思った瞬間に、肩の力が抜けて机に頬杖をついてマルコから顔を背けてから溜息。

「ごめん、ちょっと疲れてる」

私は泣けない。ナースをまとめ、オヤジや船員の健康管理の総指揮を執るべき私は泣き事を漏らす訳にはいかない。そんな弱さを見せるべき立場でない。そう思い続けて生き続けている内に、素直に泣ける可愛らしさを羨んでもいた。自分が望んでそう生きてきた事に後悔などしていない。ただ、偶に少し疲れるだけだ。いつもそれを甘んじて受け止めてくれるマルコに、少し自惚れて少し過信していた。恋だ愛だと言う配役に私は似合わないというのに。

「悪かった、言葉を間違えたみたいだな」

ぽん、と頭に触れた手の感触に一瞬、肩が微かに揺れる。思いの外近くで聞こえた声に恐る恐る視線を戻すと、いつの間にかマルコが隣に立っていた。ふっと目尻を下げるような笑い方で、ゆるゆると髪に触れるように撫でる。

「お前が疲れてるのはわかってたよい」

お前の無理をしている顔をくらいわかる。いつだったか、連日連夜の治療を終えた後、コーヒーを2つ持ってふらりとマルコが医務室に来た時を思い出した。そう、あの時も今日みたいに何の前触れもなく現れた。

「結局、お前の仕事が増えるようにはするなって事だよい」

泣いて帰った部下に仕事はさせられず、今日も私がその仕事を引き受ける事になる。それを知っててマルコは言いに来てくれたのか。苛立ちの霧散した目でマルコを見上げると、わかってるからと言うような笑み。不覚にもこみ上げたじわりとした波をどうにかやり過ごす。

「俺の前でくらい泣いたって構わねぇよい」
「バカか。私は泣かないんだよ」

相変わらず見透かしていると言わんばかりに笑うマルコ。つられて私も笑った。マルコがいるってのに誰が泣くもんか。私を誰だと思ってる。頭に置いてあった手をグンと引いて、私の扱いに長けたその唇からキスを掠め取るべく椅子から立ち上がった。私の武器は涙なんかじゃないのだ。


誉れで彩る純情

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