(現代パロ)



午前5時35分。気だるい静けさが漂うスタッフルームで、煙草の煙に燻されて居酒屋独特の匂いがするエプロンとTシャツを脱ぎ捨てる。私服の980円のTシャツに着替えながらパイプ椅子が軋むくらいに勢いよく座り込んだ。そのタイミングでキィと金属が擦れる音がしてドアが開いた。そこから同じように疲れた顔をしたエースさんが見えて、すぐに立ち上がった。

「あー、いいって。座ってろ」

私を見て片手を上げながら、へらりと笑うエースさんに嫌な予感がした。隣のパイプ椅子にエースさんが座ったのに倣ってまた座る。スタッフルームに2人きりという状況なのに、心臓はいつものドキドキとはまるで違う鳴り方をする。

「あの、エースさん、店長は何て…」
「あぁ、クビだってよ」

あくまでいつも通りの笑顔で、いつも通りにエプロンを外す様子に私の方が掌に汗をかいた。駄目だおかしいエースさんがクビだなんて。前にエースさんが、弟と2人暮らしだからバイトは常時掛け持ちだ、と苦笑しながら話していたのを思い出した瞬間に、私はまた立ち上がっていた。

「どこ行くんだ?」
「店長と話してきます」
「やめとけ、お前この後学校あるんだろ?」
「そうですけど、でも」
「いいんだ、気にしてねぇ」

私が気にします、とは言えずに飲み込んだ。けれど、のうのうとエースさんの隣に座る事もできずにその場に突っ立っている。エースさんが脱いだエプロンをクリーニング業者のカートに放り投げた音が必要以上に大きく聞こえた。

「…すみませんでした」
「謝んなよ、お前は悪くねぇ」
「だって、私が絡まれただけなのに」
「客を怒らせたのは俺だろ?」

居酒屋のバイトで、酔った客に絡まれるのなんて日常茶飯事だけど、昨夜は運が無かった。如何にもと言った格好と騒ぎ方をしていた集団に質の悪い絡まれ方をされた所に、追加オーダーを運んで来たエースさんが来た。気のいいエースさんが私を放っておくはずもなく、助けてようとしてくれた結果、客が大声で暴れる事態にまで発展した上、お代も貰えず帰らせてしまった。よくある話、よくある話なんだけど、自分が当事者でしかもエースさんが一番被害を被るとなると、気持ちは全然違う。

「そんな事より、お前は大丈夫か?」
「え」
「客に突き飛ばされて、柱にぶつかっただろ」
「あれくらい、大丈夫です」

こんな時にでも私の心配をしないでほしい。申し訳なさで、ぎゅっと肩を縮める。なのに、私の中でそれとは違う思いも確かにあった。あの時、客がエースさんに不快そうににじり寄った時、思わず止めに入った私は酔った勢いの男に突き飛ばされて後ろに倒れた拍子に派手に柱に背中からぶつかった。私の見間違いでなければ、エースさんはそこから怒気を露わにした気がするし、その直後に声を荒げていた気がする。もし、それが合ってるんだとしたら、その真意は何かとか、そんな事を考えだしたら、申し訳なさとは真反対の気持ちが沸いてきて、この状況と関係なく全身にじわりと血液が巡る。

「ナマエ、これ以上つまんねー事考えるなよ」
「エースさん」
「俺がムカついたからキレただけだからな」

彼の特有の悪戯っぽい笑顔に言葉を続けられなくなって、視線を下げた。いい人過ぎるんだ、この人は。私なんて、絡まれても自分自身も守れないし、さっきも自分に都合のいい事ばかり考えているのに。ここで働くようになって、先輩であるエースさんに色々教えてもらって、本当にいい人で、だからせめて彼の迷惑にならないくらいに仕事をできるようになろうって頑張って、なのに、どうして彼に辞めさせてしまうような要因を作ってしまったんだろう。自己嫌悪が一斉に沸き上がった。

「私も、辞めます」
「は?いや、だから、気にすんなって言ったじゃねぇか」
「私が私にムカついたから辞めるだけです」
「ナマエ」
「エースさんが私の代わりにキレてくれたのに、私はのうのうといられません」
「…お前、照れ屋なくせにそういう事堂々と言うよな」
「え、だって、私は、嬉しかったですから」
「……おう」

そう言うと、エースさんは困ったように笑って、がしがしと頭を掻いて視線を横へずらした。何も音がしなくなる。…私の代わりにやってくれた、とか、今更になって自惚れ過ぎな気がしてくる。嬉しかった、と言ってしまえば、それはもう私の気持ちなんて筒抜けじゃないだろうか。それに対して、急に口数の減ったエースさんも、言いようのない照れくささに似た気まずさを助長させる。さっきまで自己嫌悪に満ちていたのに、何だこれは。今日は思考が妙に忙しくて気持ち悪い。

「じゃあ、よ」
「はい」
「次のバイト、一緒に探すか」

ニカッと明るく笑って私を真っ直ぐ私の方を見るその目に、未だかつてないくらいに心臓が弾んだ。そのせいで返事も出来ずにただそこに立っていると、耳の方からじわじわと熱を帯びてきた。どうしよう、どうしたらいいかわからない。わからなくて、体も何一つ動けないまま視線も外せずにいたら、エースさんは一瞬驚いたような顔をしたまま顔を背けた。その横顔が少しずつ赤らんでいくのに気付かないはずがなかった。その意味が私と同じなのだとしたら、と思うとまた更に大きく波打つ心臓。

「エースさん、遅くなりましたけど」
「おう」
「助けて頂いて、ありがとうございました」
「…おう」


Without saying I love you

100507
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