「なぁナマエ」
「どしたの、エース」
「いいのかよ、アレ」

久々に上陸した島のバーでクルー達と珍しい種類の酒を楽しむ私に、エースが彼にしては遠慮がちな声量で声をかける。彼がアレと言って指差す先には、カウンターでグラスを手にしているマルコがいる。その隣りにタイトなミニスカートの見知らぬ女が座っているのなんて、とっくに見えている。

「ま、バーなんてそんなもんよ」
「いや、お前、目の前だぞ?」

私なんかよりよっぽど慌てているエースに、懐かしいなと思った。私もエースくらいの年なら同じように騒いでいた事だろう。ただ生憎、私は少女と呼ぶには随分と大人になっている。無論、それは向こうも同じだと思っているだけだ。

「何つーか、クールだな」
「あら、大人の余裕と呼んで頂戴?」
「すっげー頭悪そうなポージング」

その声に、優雅さを誇張して組んだ脚を下ろして演技がかってニッコリと微笑む。エースはすぐに危険を察知したようだが、時既に遅し。エースの頬をぎゅうっと思いっきり引っ張って、自分の方へ引き寄せてからその耳元に囁く。

「ごめんなさいは?」
「ご、ごめんなひゃい」
「宜しい」
「地味に痛ぇ!」
「ついでに覚えときな、エース。余裕ってのは生むんじゃなくて、見せるモンよ」

赤くなった頬をさすりながら、私の言葉が理解出来ないといった様子でこちらを見るエースがおかしくて笑えた。彼はこういう場面に出会えば、まだまだ堂々と嫉妬をすればいい。相手の男に殴りかかるくらいの勢いがあってもいい。若き二番隊隊長のグラスに瓶に残っていた酒を全部注いで、私は自分のグラスに入っていた半分程の量を一気に飲み干した。

「ま、今は飲め、少年」
「は?何だよそりゃ」
「その内わかるよ」

エースの頭をポンポンと叩くと、不服そうではあるが注がれた酒を口にする。ちらりと見やったカウンターではミニスカートの女がマルコの脚にするりと手を置いた所だった。マルコと目が合う事は無い。丁度その時にサッチを中心にドンチャン騒ぎをしている一団がエースを呼んだので、ついでに私も席を立った。ドアに着くまでに通った手近な机から手付かずのグラスを一つ拝借してから外に出た。ドアの開閉の度に鳴るベルの音は騒ぎ声にかき消された事だろう。

「…いい星空」

店の外壁に凭れて薄暗い中で、独り言のついでに一口飲む。店内の声が断片的にぼやけて聞こえるのをBGMに、あと5分で来なければ喧嘩を売りに行くかと決めた。二口目のほろ苦くもスッとする味わいに酔う。酒はやはり海の上、オヤジの船でクルーに囲まれているのが一番美味い。と思っていると、横から私が出た時と同じベルの音がして、目を開けた。

「遅い」
「案外遠くには行かねぇんだな」

悠々と現れたマルコは、私の隣で同じように壁に凭れる。私の前を横切る時に移り香のような甘ったるい匂いが鼻についた。

「香水臭い」
「あぁ、匂いがキツくて敵わねぇよい」
「無闇にボディタッチさせるからでしょう」
「ナマエも俺に言えたモンじゃねぇだろい」

言葉だけなら喧嘩に聞こえるが、実際は2人して苦笑のような呆れのような笑みを薄ら浮かべている。これで喧嘩になるくらいなら、端から私はこんな所にはいないし、勘のいいマルコならもっと違う行動に出る。尤も、互いにそこまで青臭くないという自負があるのが前提だ。プライドと言い換えてもいいかもしれない。相手を好きだと疑っていないというプライド。

「俺は不可抗力だったにせよ、お前は自分からエースに近づいただろい」
「それはささやかな反抗じゃない」
「ありゃ下手したらキスしてるようにも見えたぞ」
「その割に私が出て行ったのに気付くのが遅かったけど?」
「それはささやかな反抗だよい」
「あら、気が合うわね」
「あぁ、全くだ」

そうして顔を見合わせて、小さく笑った。わかってたくせに、と声に出さずに言う。プライドだとか信頼だとか思っている割に、こうして言い合ったのは、たぶん私のどこかでまだまだ恋物語を信じている少女がいるからだ。愛の言葉を頻繁に囁くような男じゃない分、こんなやり取りがそれに値する。そう思っているのがマルコも同じなら、更に。

「マルコ」
「何だよい」
「…マルコ」
「……」

そのまま隣を見ると、思っていたよりも柔らかに笑みを象る目と視線が絡んで、思わず目を細めた。何も言わずに頬に触れてくるマルコの手が少し冷えている。結局、互いに余裕なんていう疑似餌をちらつかせながら、誰よりも愛されていたいし愛したいだけなのだ。エースがもう少し年を重ねた頃にそう教えてやろうかと思いながら、緩やかに埋まっていく距離と間近に感じる呼吸に目を閉じる。


水面下の灼熱

100430
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