盗み見た横顔は、緩やかな笑みを浮かべていた。恐らく、エース達を思っての事だろう。会話はない。石畳に響く足音、風が葉を揺らす音。大通りの賑わう声は、着々と離れていく。口を開くタイミングは、結局、もう何年も前に失ったきりなのかもしれない。逆に、あの2人は今頃は、様子をうかがうように止まらない会話をしているのだろう。かつて自分達も経験した、あのぎこちないながら穏やかな様子を思い浮かべる。その時、不意に声がした。

「ねえ、本を見たのよ」

一瞬、誰が話しているのかと思った。だが、声の主は間違いなく、隣を歩くこいつだ。何の脈絡も無ければ、意味もわからない。そんな不可解な事を言うような女じゃないと思っていた。どう返事をするべきか考えている内に、隣で話は続く。

「コバルトブルーの表紙で、タイトルは…何だったっけ」

そう言われてわかるはずがない。青い表紙の本なんてこの世にいくつあると思っている。つい眉根を寄せて隣を見ると、視線がぶつかる。答えないおれを面白がるような目。何故か、ポーカーフェイスが今日は下手ですねと笑ったあどけない表情が重なった。胸が奇妙なざわつき方をする。高鳴りはしないが、不快でもない。こんな風に一方的に喋りかけてくる事などなかったというのに。

「懐かしい本だった。昔、マルコが読んでた」

それだけのヒントでどんな本かはまだわかりはしない。だが、問題はそこじゃない。こいつが何を言いたいのか、さっぱりわからない。こいつの無表情は見慣れていても、それでも微妙な感情くらい読めたものだ。なのに、今、静かな微笑みを浮かべている表情からどう受け取ればいいのか、迷っている。ああ、そういえば、こいつの笑顔など最近いつ見ただろうか。こんな小さな微笑さえ久しぶりな気がする。

「マルコが読んでたから私も買った本だった」
「…初耳だよい」
「こっそりね。どういうのが好きか知りたかったのよ」
「まさか」

まさか、お前がそんな事を。そう続くはずだった言葉は、突然蘇った記憶に打ち消された。唐突に鮮明に思い出したのだ。かつて、まだこいつに女なんて響きが似合わなかった頃、同様におれにも大人なんて意識がなかった頃。こちらを盗み見てるつもりでバレバレの視線、ポーカーフェイスなどまるで知らない百面相、ころころと様々な感情を乗せておれの名前を呼ぶ声。あの頃のあいつが、そんな風にあの頃のおれを追っていたとしても、まさかと思うような事じゃなかった。ほんの少し前に、レストランで巡らせた思考が再来する。いつから、おれはあいつから目を逸らすようになったのか。

「マルコでも知らない私もいたのね」
「いや、知ってたはずなんだよい」
「………」
「忘れてただけだって言うのは姑息かい」

立ち止まる。隣の足音も止む。1つ短く息をついて、体ごと隣に向き直る。少しばかり驚いた表情。そんな顔を見るのもいつ以来だろう。懐かしいと思ったが、すぐにさっきまで見ていたくるくると変わる幼い表情が重なった。本来はこいつも似ていたのだ。確かにおれ達も似ていたはずだった。思わず、苦笑が漏れた。ああ、どうやら、あの幼い程の若さに、些かあてられてるようだ。

「姑息ね、とっても。それに卑怯」
「そうだな」
「マルコも、そんな風に笑うって、私も知ってたはずだった」

おれは今、どんな風に笑ったのだろう。かつておれはどんな風に笑っていたのだろう。今、こいつはそれをどんな風に思い出したのだろう。そうだ、あの幼い笑顔もその内大人びていくのだろう。そうなった時に、あいつらは今のおれのように、かつてを思い出すのだろうか。そうであればいい。そして、また、その時は2人に似合いの子供染みた笑顔を見せ合っていればいい。

「結局おれ達も似た者同士だったってわけかい」
「それすらも忘れてたのかもね」

知らないつもりで忘れている間に、気付かないつもりで思いだそうとしていなかった。あいつの言う通りだ、おれ達は自分達で思う程、ポーカーフェイスが上手いわけじゃなかった。見られないようにしているつもりで、お互いに見ていなかっただけだ。そうして見逃しているせいで、真正面からぶつかって喧嘩をするあの若さを放っておけなかったのだろう。おれもこいつも。そして、結局、気付かされたのはおれ達の方だ。似た者同士もいい所だ。

「わからないから考えて、出した答えを信じ込むの」
「ああ」
「そんな事を毎日やってたのを思い出した」

恥ずかしそうに嬉しそうにくすくすと笑うその顔も、見覚えがある。今頃になって、いくつもの表情が色鮮やかに脳裏に蘇る。そんな表情の一つ一つに隠れているであろう感情を探しては、これだと思うものを信じて、こいつが一番喜ぶであろう言動を選んでいった。青くて無様でかけがえのない時だった。

「おれも、もう一度ちゃんとお前を見ていたいと思ってるよい」

ようやく、まっすぐに交わった視線は、周りの風景を消し去ったと思う程強く刺さる。今まで幾度となく見てきた瞳に、おれが映っているこの感覚に、息をのんだ。もう二度とこれを忘れはしないと、胸の深くで誓った。


真正面に立つ男

(130926)
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