「あれ?アールグレイの匂いがする」
「ん、ああ、よくわかったな」
「あの人に淹れてもらった?」
「おう。そんなに匂いするうか?」
「上手に淹れると香りが立つの」

思いの外、すらすらと会話が続く。やっぱり流石だなぁ、なんて言いながら笑う顔は、昨夜の喧嘩など無かったかのようだ。おれの手から移った紙袋が、こいつの歩みに合わせて揺れる。がさがさと小さく音を立てる。何か言うべきなのかとは思う考える。けれど、何故か微笑を浮かべながら前を向いて歩くその横顔を見ていると、上手く言葉になる気がしない。別に諦めたわけでも我慢しているわけでもない。結ばれかけては、するりと解けていくような奇妙な感覚。

「帰ったらアールグレイ飲もっと」
「おー」

たぶん、それはおれだけじゃないだろう。飛び石を渡るように、小さくジャンプするように石畳を歩く様子を見ていると思う。これは何なんだろうか。こいつとマルコがどこにいて何を話していたのかもわからないが、同じような事を今思っているんだろう。根拠はないのに、そう思う。

「ところでさ、これどこに行ってるの?」
「…さぁ?」

曲がり角であの2人と別れてから、どちらからともなく歩き出した。どこへなど考えて進んでいるわけでもない。いつも島に上陸すると、買い物へ行こうだとか島のランドマークになっている建物を見に行こうだとか、行き先を決めておれを引っ張っていくのはこいつだ。

「なんか、変なの」
「だよなぁ」

困ったような曖昧な苦笑で、おれを見上げる。その視線はふっとすぐに前に向き直る。ああ、確かに変だ。居心地が悪いわけじゃないのに、落ち着かない。目を逸らしたいわけじゃないのに、視線を向けられない。会話は続いているのに、何を言えばいいのかわからない。どこかへ進んでいるのに、どこへ行っているのかわからない。穏やかなのに、安らかじゃない。お互いに。何もかもが不確定だ。ほんの少し前に、信じると決めた自分が揺らぎそうになる。全くおれらしくない。そんなおれと同じように隣を歩くこいつも、こいつらしくない。歩幅さえもいつもと違う気がする。

「上手く言えねぇ」

口に出したと気付いた時には、少し驚いたような視線が既におれに向けられていた。何を言おうか決まったわけでもなく、ただもやもやとする胸の内をどうしようもないまま、するりと出た独り言だった。不意に向けられた視線にもどう応えればいいのかわからず、がしがしと頭を掻いた。すると、突然、小さく笑い声が聞こえた。隣を見ると、思わず零れたというような笑顔。それがまたしてもこいつらしくない妙に穏やかな笑みで、おれの困惑に拍車がかかる。その笑みはさっきまで見ていた大人びた女の色を湛えた微笑と重なる。

「やっぱり下手だね、ポーカーフェイス」
「何だよ、そりゃ」

見た事のなかった笑みから一転して、いつもの見慣れた笑顔になる。何故かそれを見た瞬間、全身の血管がゆるりと解放されたように暖かな血液が巡る。呼吸が楽になったようにさえ感じる。ポーカーフェイスが下手なのはお前だって同じじゃねぇか。おれの感覚はお前の表情次第ですぐに変わる。お前がぐこちないならおれもそうだし、お前が笑うならおれも安らぐ。そのくらいお前の感情だってすぐに顔に出てるんだ。

「それ、着ろよな。似合うから」

またしても、気が付いたらそう言っていた。何故そう言ったのか考えるより先に、気恥ずかしくなった。何が言いたかったんだ、おれは。一瞬、止まりかけた足を大きく踏み出す。視線はもう隣には向けない。顔を見るのも見られるのも上手くいかない気がする。突然の事に驚いたまま足を止めたあいつとは一歩進む度に距離が開くが、何故か今は不快ではない。

「ふ、あはははは」

後方であいつが突然笑った。酷く楽しそうな笑い声が後ろから聞こえる。振り返ったわけではないが、あいつのああいう笑い方をした時の笑顔ならすぐに思い浮かぶ。思い浮かべると、口角が上がる。耳元がこそばゆい。

「どんな服かも見てないくせに」
「俺が言ってんだ、間違いねぇ」

ふふっと小さく笑う声が聞こえてから、小走りに近付いてくる足音がする。何の脈絡もなく突然言った事なのに、そんなに嬉しそうに笑うなよ。そんなに簡単におれの言う事を信じるなよ。今朝まで考えた事もなかった事を、アールグレイと共に出された言葉を、思い出す。わかってるというのは信じるかどうかだと言った女の声。おれがやっと気付いた事を、お前はこんなに容易くやってくれていたんだな。結局おれは、いつだってこいつに救われている。

「ねぇ、エース。私達って似た者同士なんだよ」
「お前が言うならそうなんだろうな」
「うん。だからさ、今はもう何も言わないでいいよ、私達」

核心には触れていないのに、それでいいと思えた。何も言わないでいいと言ったこいつの声が、やけに素直に耳に馴染んだ。おれの数歩後ろまで来て、なのに隣に並ばないでそのまま歩いているこいつは、きっと今おれと同じような表情でいるんだろうなと思えた。そう信じられる事が、じわりと染み入る。互いに顔が見えず、少し離れているにも関わらず、今までで一番近くに感じている。不意に、あの2人はこの距離感を保ち続けているのじゃないかと思った。ぴたりと寄り添うのではなく、振り返れば、手を伸ばせばすぐそこにいる距離。必ずしも隣にいなくてもいいと信じよう。同じテンポで2つの足音が続く心地良さを知った。


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(130902)
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