久しぶりに外へ出たような気分だ。空気はゆっくりと暖まり、春島の本領を発揮し始めている。荷物を持ったまま、思いっきり伸びをした。夜を引きずったまま固まっていた体に行き渡らせるつもりで、深く空気を吸い込んだ。振り返ると、エースが中途半端に落ち着かないような顔で、あの子の買った服の紙袋を持って立っている。

「大丈夫よ」
「何が」
「あんた達は思ったままに動いていいの」

それが何より、正解だ。足踏みしている間に、時間は過ぎていく。過ぎれば二度と戻らない。ただし、その意味を知るのは、経験してからでないとできない。だから、いつだって気付いた時では遅い。それを充分に知っている私は、切り換えたつもりで決意しきれていないのであろうエースの腕を引いた。そのまま通りを歩いていく。

「いい。そんなガキみてぇに引っ張るな」
「何言ってんの、ガキでしょ」

反論しようとして、上手く言葉を探し当てられなかったエースがバツの悪そうな表情をする。それが微笑ましくて、腕は離してあげた。ガキだと言われてすぐに否定できない程度には、エースだって大人になっている。不機嫌そうに眉根を寄せるのは、私へではなく、怖気づいている自分への苛立ちだろう。あの子に面と向かって何を言えばいいのか、上手く思い描けなくて、不安になっているんだろう。

「ねぇ、その服、あの子によく似合うと思わない?」
「…あぁ」
「ちゃんと届けてあげるのよ」

ちらりと自分が持っている紙袋を見て、エースはそのまま黙る。きっと、間違いなく、あの子はそれを上手に着こなせるはずだから。そして、その姿を誰より最初に見てあげるべきは、エースなのだから。私にはそんな2人の姿は容易く思い浮かべられる。なのに、半歩後ろを歩くエースを振り返ると、不機嫌な表情を装ったまま、ぎこちなく心配そうだ。

「なぁ、どんな気持ちなんだ?」
「何の事?」
「こういう…俺の為に服を買うとか」

そんな事をそんな表情で言うものだから、思わず笑ってしまいそうになった。勿論、馬鹿にしてなんかいない。そうやって一歩ずつ歩み寄っていけばいい。そう思って、エースの問いに答えようとして、はたと思考が一時停止した。例えば、可愛いと思ってほしい、見てほしいと思って服を買う。そんな事を最後にしたのはいつだったか。時間が過ぎるというのは、非情だ。そう思って、また苦笑が零れそうになった時、不意に通り沿いの古書店が目に入った。少しくすんだウィンドウに、一昔前のものから随分と古く立派な本まで様々に展示されている。その中に、懐かしい表紙を見つけた。

「そうね…知りたいのよ、あんたの事を」

コバルトブルーの表紙の古い本を見つめながら、するりと言葉が出てきた。喋ってるというより、零れて落ちていくようだった。ウィンドウを隔てて、かつてのマルコが読んでいた本の前を通り過ぎる。何を読んでいるのか気になって、こっそり私も買い求めたタイトルを、通り過ぎるギリギリまで見ていた。彼がそれを読んでいた遠い日の暑い日差しまでも、唐突に思い出された。

「それでどんな風に思うのか、どんな顔をするのか、その時にどんな事を思っているんだろう、って知りたいのよ」

その主語は、最早、あの子の事なのかわからなかった。ぼんやりと古い記憶と重なった言葉は、催眠術にかかったようだ。あの頃、確かに私はそう思っていた。それがサッチに見つかってからかわれて、サッチを怒って追いかけるような日を確かに過ごしていた。

「とにかく、あんたの事をわかりたいのよ」

古書店の前を通り過ぎて、視線を戻した。空が驚く程青くて、漸く思考が現実に引き戻されたようだった。今日の空の青さは、燃えるように羽ばたくマルコの翼の色にやけに似ている。いつの間にか、私は歩くペースを落としていたのか、隣に並んでいたエースが、さっきまでとは違う芯を宿し始めた目で私を見た。

「わかってるっていうのは、信じてるかどうかだって言ったよな」

ほんの少し前に、私がエースに言った言葉だったのに、思わぬ方向から殴られたように私に返ってきた。そんな私の内面など気付く術も無いエースは、きっぱりと決意を秘めた表情になって、紙袋を握り直している。エースのその愚直なまでの熱を、眩暈がする思いで感じた。かつての私がそこにいた。わかりたいと思っていた。私が見ているマルコを、彼を好きだと思う自分の思いを信じたいと思っていた。無情なのは、時間ばかりではなかったのかもしれない。

「おれ、これは絶対あいつに似合う気がする」
「そう信じる?」
「ああ、そうさ」

眩しい程強く笑ったエースは、突き抜ける青空によく似合う笑顔だった。きっと、あの子の女の子としてのいじらしい努力は、エースにその自覚はなくとも、この笑顔に何度も報われてきたのだろう。そう思ったのは、無論、私にもそんな経験があったからだ。時間が行き過ぎて、その意味を知るのは、経験してからでないとできない。正しくその通りだが、決して悪い意味だけではなかった事に、今更になって気付いた。
昨日は何を思うでもなく曲がった角を、痛い程温度のある気持ちを抱いて曲がった。


過去を想う女



番外編とリンクしてます「暑い熱いあいつ」
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テーマ「人外ファンタジー」
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