※連載ヒロイン(2人)





目を開いて、まず薄暗い空が広がっているのが見えた。幾重にも重なった鼾や寝言を耳が拾う。毎回の見慣れた宴の夜が明ける光景だ。ふと見ると、眠るエースがぴたりと真横にいる。起こさないようにそっと起きる。その動作だけで、甲板で寝ていた体の節々がパキリと鳴った。自嘲の苦笑と共に立ち上がり、船内を見渡す。転がる空き瓶、空になった皿、誰かが脱いだ服、それらと並んで転がっている船員。毛布を自由な寝相で跳ね退けたり、抱え込んでいる船員達の間を縫って、そっとキッチンへ向かう。肌寒いが、春島も近い。一人一人の毛布を掛け直すなんて、優秀なメイドがこの船にいるものか。カップを一つ出して、自分が暖を取るべくコーヒーを作る為の湯を沸かす。


「…多すぎたか」

火にかけたところで気付いた。一人分にしては湯の量が明らかに多い。自分も少しは寝惚けているらしい。二人分の湯を沸かすなんて、ここ最近やってなかっただろうに。随分と昔の習慣をなぞったものだ。微妙な感傷に曖昧な微笑を零す。そして、かたかたと湯が沸いた頃、不意にキッチンのドアノブががちゃりと動いた。ドアを開けたのは、まだ少女の表情を見せる二番隊の隊員だった。格別親しいわけでもないが、彼女がエースと一緒にいるのをよく見かける。それを他のクルーに茶化されて顔を赤くしているのも。

「コーヒー、飲める?」
「あ、はい。ミルクがあれば」

丁度よかった。沸いたばかりの湯をたっぷりと注ぎ、カップをもう一つ出す。彼女もまた甲板で眠り、目が覚めたのだろう。艶やかな髪が一房、重力に逆らった方向を向いている。それを見ていると、先程の乾いた感傷など洗われるような気になった。

「目が覚めちゃった?」
「ええ、まだ少し寒いから」
「それで起きるって事は、普通の感覚ね」

馬鹿はそんな事感じられないくらいまで飲むから。そう言うと、可笑しいのと困っているのとの間くらいの表情で笑う。そういえば、昔はこんな風に大人達の話に、曖昧な相槌を打っていたっけ。淹れたてのコーヒーの熱さを体に染み渡らせて、それ以上の思考をやめた。過去を辿れば、どうしたってセットになって現れる男の姿がある。目覚めた時、甲板にはいなかったマルコは、今頃上空で無防備な船を見守っている事だろう。

「でも、皆、寒さは感じてるみたいでしたよ」
「そう?」
「毛布を掛けると、ぎゅってしてましたから」

コーヒーを飲んでいた手が止まる。ああ、なんて事だ、こんな所に優秀なメイドがいたのか。あの酔っ払いの残骸達に毛布を掛け直して回る小柄な姿が容易に浮かんだ。自分には残っていない幼さは、或いは純粋と呼べるのかもしれない。その純粋さで、自分の脚を枕にしてくっつくように眠っていたエースをも見たのだろう。そう思って彼女は、声を漏らして笑った。

「それは悪かったわね」
「え」
「知ってるでしょ?エースは寝相が悪いって」

まるで見透かしたように微笑む姿は単純に綺麗だと思った。頬を少し熱くなったのは、大人の女の微笑に見惚れたせいで、そこに一抹の羞恥心が入った事には気付かないでほしい。寒さで目が覚めた後、少し離れた所で飲んでいたはずのエースの姿が無い事に気付いた。その時に、風が少し冷たくなっていたので、皆の毛布を掛け直している間にエースを見つけた。隊長達が飲んでいた時そのままに眠っている中にいた。気持ち良さそうに眠っているエースは、彼女にぴたりとくっつくように。それを思い出した時、目の前の彼女がくすくすと笑った。

「顔に全部書いてあるわよ?嫉妬しましたって」

そう言って、香りごと染み渡らせるようにコーヒーを飲む彼女。それに倣ってカップに口を付けてすぐに、ミルクを入れてない事を思い出した。ブラックの苦みだけが舌に残る。いつか彼女のようにそれすら味わえるようになるんだろうか。未だに酒も得意じゃなくて、甘い果実酒ばかり飲んでエースにだって笑われる。

「私ってガキですよね」

つい口をついて出たのは、溜め息に似た言葉だった。昨夜の宴で、途中でエースと離れて飲んでいたのは、実は子供染みた喧嘩のせいだった。酒が飲めない事をからかわれて、無理に飲んで噎せたのを笑われた。それくらいならいいのだが、ああいうのじゃねぇと画にならねぇよな、なんて誰かが言った。それを笑って肯定したエース達の視線の先は彼女だった。それが何だか無性に悔しくて、彼らの輪から外れて他のクルー達と一緒にいた。けれど、その時の彼女がグラスを傾けていた横顔が、妙に鮮烈に頭に残っていた。

「いいじゃない。年なんてとるものじゃないんだから」

その話をした後に彼女はそう言って、困ったように笑った。それから不意に、ふっと短く力が抜けたように苦笑した。慰めてくれているのだと思ったが、それにしてはどことなく湿っぽい。どうしたのだろうかと見ていると、彼女は遠くを見るように呟いた。

「私もあいつの行動をいちいち気にしてた頃があったかなって」

ぱちぱちと少女と言うに相応しい瞬きをした。純粋さを持て余したようなその目が、興味にぱっと輝く。愚直なまでの素直さだ。その目に促されて、昔話を少し零す。自分もかつては同じように酒が苦手で、マルコに失笑された事があった。それが悔しくて、その後すっかり酒に強くなったら、次は可愛げが無いと言われ、宴の最中に大喧嘩をした事があった。もう随分と古い記憶だ。

「でも、今じゃ全然そんな事もないでしょう?」

憧れるかのように、ほぅと溜め息を吐く。窓の外に向けた視線は、エースを探しているのだろうか。それ以上は言葉を続けずに、コーヒーで喉の奥に流した。昨夜、程々に酔ったエースが突如絡んできて、始終口にしていたのは彼女の話だった。また怒っている、理由がわからない、せっかくの宴だというのに、つまらない、そんなような事を寝言のように繰り返しては、返答を求められた。サッチが、惚気てんじゃねぇよと溺れさせるかの如く酒を飲ませるまでずっと。それをここで言うのはフェアじゃない。彼らはガキ臭いまま、この時代の価値を知らぬまま謳歌する方がいい。

「あ」

窓の方を見ていたら、視界に青い羽ばたきが入った。先刻のマルコ隊長を不意に思い出す。寝ている皆の毛布を掛け直しつつ、エースを見つけた時、傍にマルコ隊長もいたのだ。眠っている彼女を見て、勿論ぴたりとくっついているエースも見て、それから私に気付いてこう言った。他人に起こされるのを嫌うんでね、悪いが放っておいてやってくれるかい。そして、青い不死鳥の姿で飛び立った。その表情には自分のような嫉妬なんてまるで含まれていなかった。それを言おうとして、やめた。彼女にそんな事を伝えた所で、わかりきった事かもしれない。自分の子供っぽさにいい加減呆れる。

「そろそろ朝ね」

水平線から太陽が昇り始めている。声を漏らしたのは、それを見つけたからではないのだが、彼女が見ている窓の外にはもう青い翼はなかった。彼女が置いたカップはもう空になっているにも関わらず、まだ半分も飲めていないブラックコーヒー。タイミングの悪い視線と、飲めなかったコーヒー。何故か、この二つは似ている気がした。それがどこか嬉しいような気がして、早朝の海を窓越しに見ていた。


重ならないピースを持って
A Morning Before DUBBLE CAST

requested by Subaru-san
130130
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -