夕暮れの悲しいような寂しさは、一体何なんだろうと考える。船室の小さな窓から見える茜色の水平線は、確かに綺麗なはずなのに。ベッドに腰掛けて窓ばかりを眺めている内に、室内は随分と暗くなっていたようだ。私はその事に、船長がここへ入ってきてようやく気付いた。彼が点けたランプが妙に眩しい。
「いるなら明かりくらい点けておけ」 「らしくない事言うね」
船長だって、クルーに気付かれるまで暗がりで本を読んでいるような人なのに。私がそう言う代わりにベッドがぎしりと軋んだ。船長の体重分だけ僅かに左に傾く。私と船長の姿が窓に朧げに映っている。何だかそれが妙に滑稽だ。話をするでも、喧嘩をするでも、キスをするでも、セックスをするでもなく、ただ並んで座っているというのは珍しい光景だ。けれど、それが今の気分には丁度いい。喜怒哀楽のどれにも当てはまらないようで、全てに当てはまるようで、そんな私には心地よかった。きっと私がこの船長から離れられないのはこういうところで、だから私は船長が好きなのだろうと思った。
「船長、心ってどこにあると思う?」
船長の視線が、ちらりと私に向けられる。面白がるような呆れたような薄い笑みを口元に浮かべて。またか、と言う船長の声が聞こえる気がする。どうしてか、船長といるとこんな不確かな問いをぶつけたくなる。彼の常人離れした感性や頭脳は、一体どんな言葉を生むのかつい聞きたくなる。もしかしたら、そう思う私こそ奇人なのかもしれないが、いつだって船長はこんな笑みを見せるのだから、お気に召さないわけじゃないんだろう。それならば、別に問題は無い。
「芸術、文学においては胸とされる事が多いけど、思考して感情を司るのは脳だよね」
つまらない正解は先に潰してしまう。こんな事をしなくても、彼がそんな不格好な答えを寄越す事はないのだけれど、これくらい言わないと張り合いがないだろうから。船長の視線は窓へと戻っている。夕陽が水平線に触れる。今まで何度となく見た光景に視線を投げる彼の横顔が照らされている。考え事をしているにしては涼しい横顔だけれど、上がったままの口角にいつも私は自惚れる。
「心か。それは確かに存在するものか?」 「さぁ、どうだろう」 「人体のどこを切っても、心が出てきた事はないな。心臓を裂いても脳を開いてもな」
船長の右手が空中でくるりと指先を動かす。その動きは知っている。メスを回す時だ。夕陽、船室、ベッドの上、架空のメス、これを扇情的と言うとやはり奇人なのかもしれない。メスを2回転させた船長の手に手を伸ばした。私が触れるより先に、捕食するかのように掴まれた。私より僅かに低い体温はいつも通り。
「心が自分の体内のどこにあるのかと言うなら、答えは無い、だ」 「だから、私の言う私の心は私の中にはないの」 「だとしたら、おれの心とやらもおれの中にはないな」
捕食された私の右手は、実に自然に食われた。人差し指、中指、薬指、キスというより骨まで舐められているような。ぞくりと震えるこれは、私の心などではない。至極愉快そうに私を捕らえる船長の視線も舌も、彼のメスだ。切り裂かれるのは私の心臓で、その中から出てくるのは、私のものではなく彼のものだ。彼の笑みを扇情的に上げていくのは、彼が持つ私の心。言わずとも解ってくれるのは、この広すぎる海の上でも船長しかいない。
「流石だね、船長」 「ローだ。名で呼べ」 「あなたはメスに似てるね、ロー」
鋭利な刃物でありながら、命を救えるアンバランスな存在。身体中、全てを暴ける。私にとっては体内に無いはずのものまで。捕まっている手をそのまま引かれる。重力に逆らわない私の上体が僅かにローの方へ倒れる。それを逃さないというように、唇を奪われる。睫毛さえ触れそうな至近距離で見つめ合う目に映るのは、間違いなく私と同じ熱情。やはり、心なんて無いのだ。溶けてなくなる程熱い。どちらの物でも構わない。お互いの同じ熱ならそれでいい。皮膚に興味はない。裂いたその下が脈打つ血である事は変わりなく一緒だ。
「相変わらず、口は達者だな」 「ローは相変わらず私が好きね」 「そう言ってるように聞こえるか?」 「お互いね」 「それでいい」
満を持して、とでもいうように夕陽が水平線に落ちた。見事なきっかけだった。夕陽に照らしされなくなった横顔の瞳が妖艶に細まる。どさりと背中がベッドに埋もれる。既に夕暮れから夜に完全移行した風景を見せる窓がちらりと視界に入った。夕暮れに寂しさを感じるのは私ばかりではなかったようだ。ローの瞳に映った私は彼と同じ表情をしている。
「ハートの海賊団っていい名前ね」 「好きに解釈すればいい」
君に私にハートにメスを
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