煙草に火を点ける音がよく聞こえる程、静かな入り江。いつもならうるさい程に賑やかな船員達が街へ散策に行った、静かな船。勿論、いつもの賑やかさも楽しいけれど、静かなのも決して嫌いじゃない。嫌いじゃないのだけれど、それはあくまで一人でゆったり過ごすのであれば、という条件だ。

「あれ?ハーブティーは苦手だった?」
「え?あ、いや、そんな事ない」

いつの間にかテーブルに置かれていたティーカップ。優雅に落ち着いた香りを漂わせるハーブティーに、まるで気付いていなかった。それ程、私の意識は彼方にあったのか。慌てて手にしたカップの香りとは正反対に、一向に落ち着かない気分をどうするべきか。いつもはロビンかナミかが使っているパラソルの下のウッドチェアも、誰もいない甲板も、鳥の声が聞こえる穏やかな午後も、私だけに出されたチーズケーキも、忙しく給仕に動き回らないサンジも、全部、落ち着かない。

「座ってもいいかな?」
「あぁ、うん、ごめん」

そんな事さえ気の回らない自分が情けなくて曖昧に謝ると、サンジは困ったように眉を下げて笑う。それさえちゃんと見る事もできず、視界の端に捉える程度。これは、本当に、困った。島に着いてすぐ、街へ繰り出す前に、私とサンジに船番を言い渡したナミの言葉を思い起こす。たまにはゆっくりサンジくんと話でもしたら?だ。どういう意味だと尋ねるより先にウィンクを残していったナミと、見守るような微笑みを見せたロビン。あの2人を今、怒鳴りつけてやりたい。どうして、こんな気分を味合わなくちゃいけないのか。

「カモミールには、リラックス作用がたくさんあるって知ってた?」
「ん?あ、これ?」
「そ。ナマエちゃん、疲れてるみたいだから」

そう言って笑ったサンジを直視した事を酷く後悔した。どうせなら、いつもゾロにラブコックと揶揄されるみたいな、メロメロした感じでいてくれれば、私だって軽い調子であしらえたのに。それか、ここでにっこり微笑めるような、もっと可愛いリアクションを私ができればよかったのか。いや、ない。それはない。一口、二口と飲んだところで、カモミールは一向に役目を果たさない。

「あの、サンジ、いいの?その、キッチンの事、しなくて」
「あぁ、今日は休めって。ナミさんからのお達し」

本当に、ナミの奴、一体どういうつもりなのか。これじゃ、このまましばらくサンジと向かい合っていなくちゃいけないじゃないか。仮に、このハーブティーとチーズケーキを早々に平らげたところで、さっさと席を立つわけにもいかないだろう。相変わらずいつも通りに、煙草を吹かすサンジ。いっそ、煙になって、ふわっとどこかへ消えてしまいたい。

「居心地悪い?」
「え」
「チーズケーキ、好きだったろ?なのに、全然見向きもしちゃくれないから」

特に悲しい顔をするでも怒るわけでもなく、紫煙を燻らすそのままの穏やかさで言うから、何も言えずに視線だけを彷徨わせてしまう。サンジのこういう所が困るんだ。甘い物は、正直得意じゃない。けれど、以前、サンジが作ってくれた甘さを抑えたチーズケーキが本当に美味しかった。それも直接本人に伝えられたわけでもないのに、どうして知ってるんだ、そんな事。美味しいって、そんな一言さえ言えてないのに。静けさが嫌いになりそうだ。沈黙を強調しないでほしい。私はそんなもの、上手く彩れる女の子じゃない。

「ごめんごめん、困らせるつもりじゃなかったんだ。キッチンに戻るよ」

煙草の匂いが揺れる。スーツの衣擦れ。ウッドチェアが軋む。立ち上がった靴音。顔が上げられない。困らせるつもりじゃなかった、なんて言うな。私はもう、サンジが何をしてたって、何を言ったって、どこにいたって、困るんだ。どうすればいいのかわからない。やっぱり、もう静けさなんて嫌いになった。これ以上、この船に私とサンジしかいない事を突きつけないでほしい。頭が爆発しそうだ。その時、ガタンッ、と静寂が破られた。気付けば、私は立ち上がっていて、音を立てたのは私の足が押し退けたウッドチェアだった。

「違う!そうじゃなくて…、でも、困るに決まってる!」
「…ナマエちゃん?」
「なんで、そんな、優しく接してきたりだとか、私の事覚えてたりするの。そういうの、困る。どうしたらいいかわからない。上手く返せない」

嗚呼、結局、何を言ってるのかわからなくなった。サンジもきっと意味が分からないだろう。顔を見るのも、見られるのも嫌になって、奇妙な方向を向いたウッドチェアを直しもせず座った。日差しが直に当たる中、顔を伏せると影ができた。なんで、泣きそうなのかもわからない。歯を食いしばってやり過ごすと、不意に影の中に黒い革靴が現れた。驚いて顔を上げるより先に、頬に手を添えられて、膝をついたサンジと緩やかに視線を合わせられる。

「おれも一緒」
「何、が…?」
「ナマエちゃんがそうやって困ってると、おれも困る。これは嫌だったかな、嫌いだったのかな、って」

思わず、子供のように首を横に振った。違うと言うつもりで、出たのは涙だった。なんでいつもこうなんだろう。サンジが何かをすると、言うと、思ってもない事ばかり起こってしまう。なのに、今、それでも、髪を撫でるサンジの手の心地よさに心臓を掴まれている。

「うん、大丈夫。でも、そうじゃないって事、わかったから」
「なんで…」

なんで、わかるの。私はいつだって、自分の事でさえ、不可解で疲れて嫌になるのに。なんで、そんな風に笑ってくれるの。ほら、またこうして私は思ってる事が口から出もしないのに。勝手に流れる私の涙を指先で拭って、サンジは少し考えるような表情を見せてからそっと笑う。

「おれはナマエちゃんが好きだから。なんだけど、これも一緒だと嬉しい」

驚いた私の涙はぴたりと止まる。急に心臓が耳元にできたのかと思うくらいの音がする。涙を拭う役割がなくなったサンジの手が、再び私の頬に添えられた。動けないままでいる私とサンジの額が触れる。反射的にぎゅっと目を閉じる。

「嫌なんじゃない、って思っていい?」

ゆるゆると目を開けると、静かに目を細めるような微笑と目が合う。言葉はやっぱり上手く出てこなくて、頷くにも動けなくて。サンジの空いている方の手を、ほとんど力も込められず辛うじて握った。それでも、柔らかに握り返してくれる暖かさに安堵して、今度はゆっくり目を閉じた。ああ、そうか。気付いてしまえば最後、あとは溶けるように静けさに酔うばかりだった。


愛すべき終戦

requested by Rumi-san
120416
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