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地球との情勢が安定しない今日、忙しい合間にも時間を見つけて帰宅したエザリアを待っていたのは神妙な顔付きをした娘の姿。
長く伸びた夜を宿した髪色で一目で分かる己との血の違いなど気にもならない、目に入れても痛くない程に可愛がってきた娘の普段見せないその表情がエザリアも初めて見るものであっては只事ではないと、持ち帰った仕事をそこそこに話を聞く為、自室へ呼べば開口一番に告げられた“家を出る“と言うその言葉に、あぁ、己が目を背け訪れる事のないよう願っていた現実が遂に来てしまったのだとエザリアは悟ってしまった。

「本気なのですか?」
「はい、本気です。……家を出ます。」

本気でなければいい、少しでも迷いがあるのならそれを断つ事が出来ればと口から出た問いに対して迷いなく紡がれた言葉と己へと真っ直ぐに向けられた視線にもうこの目の前に立つこの子は決めてしまったのだと気づいてしまってはどうしようもなく、それでも、此処に留める為に足掻きたいのは只々愛しさ故の親心であって、

「家を出て、どこに行くつもりなのですか?」
「地球へ行きます。…ナチュラルの私がプラントにいても、どうしようもないですから」

同じ環境で育った筈の血の繋がった真っ直ぐに育った少々、冗談の通じない息子とは正反対にこのような場でも相手の心境を悟ってか困り顔で笑ってみせる娘のその顔に今は亡き友の面影を感じてしまっては思わず表情が歪んでしまって…いけない、とエザリアは深く息を吸い込み言葉を紡いだ。

「もう、決めてしまったのね」
「…育ててもらった御恩も碌にせず、このような事を突然言い出して申し訳ありません。」

そう言って深く頭を下げる娘の仕草に…、教えた事もないお辞儀を己に使うようになってしまった娘が酷く遠くに感じてしまってはエザリアは耐えられずに主人公ちゃんを近くへ来るよう呼んでは抱きしめた。

「恩など感じる必要なんてないわ、貴方は私の可愛い自慢の娘なんだもの。…どこにいても私達は家族よ。それは覚えておいて」

何かあれば直ぐに連絡を寄越すのよ。と続けた己の親心はどれだけこの子に伝わっただろうか…分からない。けれど、抱きしめた腕の中で小さく頷き返した主人公ちゃんのその姿に少しでも心に響いているものがあったのだと信じて、エザリアは彼女を解放する事にした。己の腕から、…この家から。

そうして、解放されたその後の会話は詳細に語られた。事前に準備していたのだろう内容を伝えてエザリアの自室から主人公ちゃんは出て行った。

誰もいなくなった自室に一人、エザリアは深くソファに座り込み目を閉じて天を仰ぐ。

最初は些細なものであったとエザリアは記憶している。それに引っかかりを覚えつつも気の所為だと違和感に蓋をした。そうすればいつからだろうか、主人公ちゃんが己を母と呼ぶ事を止めた時に彼女が己との間に線引きをしているのに気づいたのだ。

決めさせてしまったのだ。きっと。己の行動が、環境が、家が、血が、地球に降りるという、その道しかないと…あの子に突きつけてしまった。

「私…親、失格ね」

エザリアは深い溜め息を口から吐き出した。





「今日も、言えなかったな…。」

就寝前、ベッドの上でゴロリと寝返りを打ちながら眺めていた主人公ちゃんの手に握られた端末に表示されているのはオーブ行のシャトルチケット。
これくらいはさせて頂戴。と、先日エザリア様から渡されたそのチケットに表示された数字を何度確認しようともそれは明日の日付を指している。
特に動作させずにそれを眺めていれば自動的に節電モードになり落ちる光に、主人公ちゃんは暗くなる画面を許さないように画面をタップして再度、光らせた。

真っ暗な部屋の中では何度も光るそれは主人公ちゃん自身に迫り来る明日からの新しい現実を突きつけているようにも見える。

「…………はぁ、」

大きな溜め息を一つ。
今日は結局、言えず終いで弟に就寝の挨拶をしてしまった。
己がこの家を出て行くタイムリミットはもう直前の所にまで迫っていて、その中で次に彼と話す機会は明日の朝食の場ぐらいしかないだろう。
そして、そこが別れを告げる最後のチャンスの場だ。

言ってしまえば、彼はどうなるだろうか?と主人公ちゃんは思考を巡らせる。
優しい弟だ。きっと、姉を心配してこの家に留まるように言うだろう。
では、主人公ちゃんがナチュラルだとカミングアウトすればどうだ。
怒り狂い、己を罵るだろうか?それとも失望し、話す事も嫌がるだろうか?

勝手に出て行く身で大変我儘な話ではあるが、主人公ちゃんは弟と喧嘩別れだけは嫌だった。
出来れば穏便に…は無理な話だろうが、それでもなるべく、突然の別れで傷を付けるだろう彼の心に、その傷口を抉るような事をせずにサヨナラしたかった。

でも同時に主人公ちゃんはそんな事、無理だと分かっていた。
決心を固めた時から弟の性格上、どう足掻いても喧嘩別れになるしかない事は分かっていたのに、弟には良い姉のままでサヨナラしたかった。

傷付けたくないけど傷付けるしか出来なくて…

「本当に、どうしようもない程に、我儘なお姉ちゃんだね…。」

相反する己の心から溢れてしまったのはそれは、主人公ちゃんの頬を流れ落ちてシーツの色を変えていく。
主人公ちゃん自身の中で決意を固めてから、これまで心が痛む事はあっても涙は流す事はなかったというのに安易にボタリと流れ落ちるそれは己が思う以上に弟に情を持っていた事を告げていた。

誰も見てないのだから、と主人公ちゃんは流れるそれをそのままにして。離れる事への寂しさを一人で埋める為、端末を放り投げて膝を丸めて抱え込んで蹲る。暫くベッドの中でそうしていると

「姉上…?」

突然に部屋に響いた自身以外の声。
驚いて顔を上げると、弟がそこにいた。

「あ…ッ、い、いざ「どうされたのですか!?」

きっといつもの“夜会“に来たのだろう。やらかしたと慌てて零れ落ちるものを拭おうとすればそれよりも先に伸びてくる男性物の寝間着の袖。
優しく押し付けられては水分が取られる事を繰り返し、滲んでボヤけた世界からクリアになった視界に見たこともない表情をした弟の顔が写り込んだ。

「ぁ…ご、ごめんね、ちょっと怖い夢を見ちゃって」

慌てて紡いだ嘘に酷く強張ったイザークの顔が少し和らぐのが分かった。
今まで弟の前で涙を流した事などなかった為に、きっとどうしていいのか分からなかったのだろう。もう一度ごめんね、と続けて笑みを作れば顔から力の抜けた、いつもの弟の表情がそこにあった。

「どうしたの?イザークも怖い夢を見たの?」
「なッ…!?違います!その…寝つきが悪かったので、姉上の書物をお借りしようと、…」

話題を逸らす為にどうしたのかと話を振れば、少し動揺しているのだろう視線を忙しなく動かして嘘を紡ぐイザークの姿に酷く寂しさを覚えた。…だって、明日、私は此処にいない…重力に縛られる選択をした。そしてこの目の前にいる弟は地上からは決して手の届かない星となってしまうのだ。

「姉上…?やはり、どこか体調が優れないのでは…?」
「その、イザーク…あのね、」

いつもとどこか様子のおかしい姉の姿に彼も気づいたのだろう。
せっかちに聞いてくる事はせずにベッドの縁に腰掛け、安心させようとしてくれているのだろう己の背中を撫でてくれる心優しい弟に私は今、酷い事を口にしようとしている。

言わなければ、と口を開く
けれど、それは言葉を発する事なく、閉じられる。
それを何度繰り返しただろうか、全て言葉にならずに消えていく息に、あぁ、私は彼に告げる程の覚悟はまだ持ち合わせていなかったのだと思い知らされて涙が溢れた。

泣き止んだと思った姉がまた泣き出したのだ。
酷く狼狽えるイザークの顔が新鮮で、少し面白くて笑みが溢れた。
すると狼狽えながらも涙を拭おうとまた袖を寄越してくる弟の優しさに、もう今日ばかりは甘えさせてもらおうと涙はそのままにする事にした。

「ふふ…」
「、泣くか笑うかのどちらかにして下さい!」
「ごめんね、怖い夢を思い出しちゃって…でも、イザークが傍に居てくれるから嬉しくてチグハグになってしまってるね」

「泣く程までに、怖い内容だったのですか?」

ふと、心配そうにそう問うて此方を覗いてくるアイスブルーへの回答にコクリと頷いて少しだけ、“本当“を織り交ぜる。

「…イザークと、離れ離れに…、逢えなくなった夢を見たんだ」

これはきっと、今の彼にとっては酷く意地悪な内容だっただろう。思春期を拗らせている相手に、“離れるのは嫌だ“、“一緒に居てくれ“と言われているようなものなのだ。

少し酷い内容だったかな、と冗談だと口を開こうとすれば身体を引き寄せられて、いつの間にか己よりも大きくなってしまった弟の腕の中にいた。

「そんな事ッ!…ありえませんッ。俺は、…ずっと、傍にいます」
「…、…そっか………ありがとう」

自分のものではない体温と、胸元から響く幾許か早い鼓動に安心感を覚える。もっとそれを感じたくてイザークの背中に手を回して己からも抱きつけば、隙間などなくなってじんわりと同じ熱を共有し始めた。

「…ね、イザーク……。今日もう一緒に寝ちゃおうか」
「なっ!?!?!?!!姉上ッ!?!???!」
「そしたらもう、…そんな夢なんて見なくなると思うんだ」

突然の己のとんでも提案に大きく跳ねる弟の身体をギュと抱きしめて、お願いだと、体全体で伝えれば一呼吸置いて小さく、分かりましたと承諾の言葉。返ってきた内容に満足して身体を解放し、返事をしたものの渋って動こうとしないイザークの腕を強引に引っ張りベッドへ招いた。
そうすればやっと動きだしてシーツの中へと彼を導くが、己との間に隙間があるのは致し方ないというものであって、くっついてくれとまでは主人公ちゃんもお願いはしなかった。

こうやって二人で寝るのは何年ぶりだろうか、幼少期はよく互いの部屋を行き来して一緒に寝ていたのを主人公ちゃんは思い出す。成長した二人が横になってもまだ広いベッドの中で互いにおやすみと言い合って目を閉じた。





最近の情勢からすっかり数を減らした地球行きのシャトル搭乗口前、その中でも要人専用のそれに乗り込む人数は疎らだ。

少し大型の携帯端末と、シャトル内での暇潰し用の本以外に入っているのは貴重品ぐらいな幾らか入り物が少ないと足りなさそうに凹んでいるバックパックを担ぎ直して主人公ちゃんはゲートを潜りシャトルへと乗り込んだ。

「さよなら、だ」

己へとあてがわれた席へ座ると、そんな時間も経たずに閉まるゲートと搭乗口。機内アナウンス後に微弱な振動と共に動きだしたそれに窓を覗くと離れていくプラントが見えた。

結果、主人公ちゃんはイザークには言えず終いで家を出た。
この言えなかったという後悔は思い出す度に主人公ちゃんを苦しめるだろうが、自分勝手な己には丁度良い罰であろうと地球行きの手土産とする事にした。

遠くなっていく砂時計を見つつ今にして思えば、
言い訳だったのだと主人公ちゃんは思う。

何が、弟の為だ。何が、家の為だ。何が、義母の為だ。
何が、皆が幸せになる為だ。

全部、全部、…言い訳だ。

弟を、家を、義母を言い訳にして、
結局、これは私自身の為だったのだ。

毎年のように熱を出し少しの気候変動で体調を崩す己と違い、弟は健康そのものだった。その丈夫さが羨ましかった。
家に、母に、泥を塗らぬようにと励んだ勉学もいつしか弟に教えてもらう事が多くなっていた。悔しかった。
幼い頃はそう変わらなかったかけっこも、今では直に弟に追いつかれてしまう。身体能力の違いが歯痒かった。

何もかもが敵わない。
何をするにも遺伝子という壁が主人公ちゃんの前に立ちはだかった。
ナチュラルだからと言い訳をし始め自分に見合うものを探すようになったのはいつからだったか。

そうして、最後に家を飛び出した。
弟に、家に、義母に、己の都合の良い言い訳を見出してプラントすら飛び出してしまった。

あぁ、本当に最低な人間だ。
今更ながらに自分の行いを振り返り改めてそう思う主人公ちゃんの視界に一機の軍用機が横切って…。
それを流星に見立ててそっと願い事を呟いた。

「どうか、来世はコーディネイターになれますように」
コンプレックス

弟として大好きだけど、同時にコーディネーターとナチュラルの違いを思い知らされ続けてイザークにコンプレックス持ちな夢主ちゃん。




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