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「姉上!!!」

アイザックに己の決心を報告するだけだったつもりが思った以上に話が弾んでしまい、家の使用人達に伝えた帰宅時間よりも遅くなってしまった為に罪悪感からその家に見合うように作られた立派な佇まいな玄関をなるべく音を立てずに開き体を滑らせてゆっくりと丁寧に扉を閉じた瞬間に背後からかかった声に主人公ちゃんは思わず肩を跳ねさせた。

「聞いていた帰宅時間より遅い、です!
 …一体どこに行っていたのですか!!?」

主人公ちゃんは慌てて身体を反転させて二階から降りてきた己の弟であるイザークに向き合い、ただいまと口にする前に飛んできた二言目は先程よりも声量が大きく慣れているとは言え身体がびくりと反応してしまうのは彼の眉間に酷い皺が寄っているせいだろう。明らかに怒っていた。

「遅くなってごめんね、友達と話してたら時間を忘れてしまって」

まずは自分の比を認めて謝るに越したことはない。と早々に主人公ちゃんは謝罪を口にする。想定し報告をしていた帰宅時間より遅れたのは主人公ちゃん自身なのだから。

謝罪と少しのお辞儀をした後に彼の顔を見上げれば、己よりも少し高い位置にある澄んだ藍色の瞳の中に不安の色を主人公ちゃんは見つけた。姉を心配してくれている優しい弟の不安を取り除く為にもう一度ごめんなさいと謝罪しその綺麗な銀色の髪を撫でつければ悲喜交々な表情を見せ、そっとその手を取られて拒絶の姿勢を取られてしまった。…少し距離感が近かったかなと反省し、手を引っ込める。がそれはそれで止められてしまい握られた手を元に戻す事が出来ない。

…年頃の男の子の扱いは中々に難しいものだ。
とは主人公ちゃんの心境であって

「また、あの男と遊んでいたのですか?」

弟の、此処からの返答には先程の帰宅ミッション以上に注意が主人公ちゃんには必要だった。

「違うよ。カレッジの女友達と遊んできたんだよ」

嘘はあまりつきたくない、つきたくないがこの目の前で複雑な顔をしている弟は主人公ちゃんが男の人と遊ぶのをよく思っていない節がある。特にアイザックは最たるものだ。彼の名前を出そうものなら目に見えて荒れるのだ。物が飛び、ガラスは割れ、彼の部屋は目も当てられない程に滅茶苦茶になる。
なんとか宥めて落ち着かせても暫くは主人公ちゃんの側を離れない。主人公ちゃんの一挙手一投足に目をやり、通信すら碌にさせてもらえない。

選択を間違えれば暫くは碌に動けなくなってしまう。これは文字通り、本当に動けなくなるのだ。

主人公ちゃんの返答を少し疑わしく思っているのだろうか、
イザークが口を開く前に握りしめられている手とは反対側の手に持っていた紙袋を二人の視線の合間に掲げる。

「此処のケーキが美味しいって教えてもらってね…イザークとエザリアさんと食べたくて買ってきちゃったんだけど、お腹空いてる?」

こんな時は話題を別の物に逸らすに限る。と、

まだ問いただしたいのだろう渋い顔をしている弟の気を逸らす為に主人公ちゃんはカサりと小さく紙袋を揺らして再度、食べよう?と声をかければ、大きな溜め息の後に掲げた紙袋を奪われ、握られたままの手を引かれ歩き出す先はダイニングへ向かう通路。

「母上は今日はお戻りになられないとの事でしたので、二人で食べましょう」
「そっか、忙しいもんね…」
「紅茶の準備をお願いしても?」
「私が淹れるものでよければ」
「姉上の淹れる紅茶が良いのです」

漸くいつも通りの姉と弟の会話が戻って来て、イザークに分からぬように主人公ちゃんはホッと胸を撫で下ろす。

今、アイザックに会っていた事がバレれば、弟のスイッチが入り、碌に動けなくなり、この先の計画が芋ずる式に全てダメになってしまう。

絶対に、今、ダメにするわけにはいかない。

これからは慎重に慎重を重ねて行動しなければ、と主人公ちゃんは自分の行動を改めようと気合を再度入れ直して、ダイニングにある茶葉を思い出し買ってきたケーキに合いそうなものを脳内で候補を絞り始めるのだった。







身支度を済ませ、主人公ちゃんは一人では広すぎるベッドの中へと潜り込む。
気候に合わせた外気の寒さが部屋に入り込んでいるのだろう、冷える身体を小さく丸めて己の肌で温める。
そうしていれば、暖かく身体につられてやってくる眠気に身を委ねようとすれば控えめに響く扉の開閉音。その少し後に主人公ちゃんの頬にやってくる己以外の肌の温もり。

「姉上…、」

いつも彼が発している大きさとは比較にならない小さく確認するような響きではとても人は起きないというもので。
けれど、眠りへの深みへ穏やかに降りて行っていた主人公ちゃんの意識を浮上するには十分な響きであり、手の冷たさであった。

しかし、その声に反応する事はしない。
反応すれば何かが壊れてしまう事を主人公ちゃんは知っていたから。

「姉上…。
 何故、貴方は俺の姉なのですか…」

それはエザリア様が戦火によって孤児となってしまった主人公ちゃんを見つけた故。

「姉上…。
 どうして、俺は貴方の弟なのですか…」

それはエザリア様が今は亡き己の友人の子である主人公ちゃんに情けをかけてくれた故。

「姉上…ッ、俺は、貴方を姉とは呼びたくない…!
 俺は、俺は…主人公ちゃん、お前を…」

寝たふりを続ける主人公ちゃんの唇に冷たく柔らかな感触が当たる。弟にこんな事をされるのは何回目だろうか。
この不定期な夜に行われる彼の独白に主人公ちゃんが気づいてから毎度奪われる唇はその感触に慣れはしなかった。これからも慣れる事はないだろう、と思う。

「好きだ…、愛している」

もう何度聞いたか数える事を止めた告白を最後の言葉に、縋るようにもう一度キスをして彼は部屋を出て行った。

もぞり、とシーツの中でひと動きして主人公ちゃんは起き上がる。
イザークの出て行ったドアを見つめてはため息を一つ。

彼が己に抱く、幻想は今だけだ。と主人公ちゃんは思う。

原来、女性という生き物を得意としない弟が唯一、
苦手とせず側にいた女が自分の母と血の繋がらない己という姉の存在だった。彼の外行きの顔ではない、素の己を出しても問題なく接してくれる姉に思春期も相まって、うっかり情を抱いてしまっただけなのだ。と主人公ちゃんの巡る思考がそう告げる。

それに弟は知らないのだ。
姉が己が憎んでやまないナチュラルだという事を。
知れば、こんな甘い言葉も紡げなくなるだろう。そんな甘い心も抱かなくなるだろう。

そう、この幻想は今だけなのだ。
主人公ちゃんが家を出て行けば、なくなる。淡い夢のようなものなのだ。

この家を出て行くという決断は、主人公ちゃんにとってはとても大きな決断であった。
それはすぐに答えが出ずに此処最近、ずっと心ここに在らずとなるほどに。
それでも主人公ちゃん自身が、己のちっぽけで狭い思考で考えて考えて考え続けた結果のこの決断は、血の繋がらない姉を慕ってくれる優しくて可愛い弟と、己を育て世を何たるかを教えてくれた義母と、面倒を見てくれたこの家の使用人のみんなと、このジュールという家柄と、全員の、全員が幸せになる為の主人公ちゃんが導いた決断だった。

この家に主人公ちゃんという異物は必要ない。もう十分すぎる程の施しと幸せを頂いた。だから、出ていく。
恩知らずと言われようとも、この家に主人公ちゃんがいる限り、弟は血の繋がらない姉という存在に縛られる。鷹派の義母は養子がナチュラルだと世間に広まれば動きが鈍くならざるを得なく、それは家全体を苦しめる事になる。

正直なところ、出ていくだけでは十分すぎる程に頂いた恩には、報いる事は出来ないだろう。けれど、今、主人公ちゃんに出来る精一杯がこの方法しかなかったのだ。

これが一番、皆が幸せになれる方法なのだ。

大丈夫だ。この決意は揺らぐ事はない。
絶対に成功させて見せると主人公ちゃんは己の決意を自身へ向けて言い聞かせてはシーツに深く潜り込み、裏切りにも似た決断に悲鳴を上げる己の胸の痛みには知らないフリをした。

家族の為に…?

私の書いたイザーク色々と大人しすぎんか?





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