フェードラッヘ城内。
城に仕える人々が生活する一角。その中でも隅の隅に位置した小部屋の中で蠢く塊が一つ。
そのこじんまりとした部屋の狭さに似合わず大きく作られた窓から入る一日の始まりを告げる光が、目覚めの時だとそれを淡く照らし促す。しかし、それは未だに夢想の中にいたいのだと、覚醒を拒絶するように光の当たらない隅の方へもそりと動く。
隅へと動けば漸く訪れた暗闇の中、再びの深い微睡を目指して落ちる意識に廊下と部屋を繋ぐ扉の向こう側から今日の勤めの為に動き出した王の従者達の足音が諦めろと響いてくれば、その塊は漸く緩く手足を伸ばし人の形取って重い瞼を持ち上げた。

「…………。」

覚醒した視界の中に入ってくる部屋の景色と廊下から響いてくる情報はこの部屋の主である主人公ちゃんに、"今日も私は戻れなかった。"という事を教え、…溜息ひとつ。

「………はぁ……。」

戻れなかったのならば、と今日の己の勤めへと意識を切り替え、

「…………行きたくないなぁ…。」

……と、溜息ふたつ。

行きたくないのならば、それに見合う相応の理由が必要であって

「……………はぁ、…起きよう……。」

勤め以上の部屋へ留まる為の大層な理由も持たないので、朝から大きくみっつめの溜息を最後に贅沢に吐き出しながら己の"戦いの地"へと赴くために主人公ちゃんは身体を起こした。ベッド脇の椅子の背に緩くかけられていた白と紺の制服に袖を通す為に持ち上げた自身の腕が幾ばくか重いと感じるのは気の持ちようから来るものなのだろう。

「……行きたくない…。」

机の上に置かれた鏡に映り込んだ主人公ちゃんの表情からは明らかに起き抜けではない虚脱感が漂う。

今日の運命から逃れようとする後ろ向きな気持ちを、再度言葉を紡いでなんとか身体の外へと逃がそうとしたが、どうにもならないどころか、言葉にする事でその気持ちが強くなってしまっている。
部屋を出たがろうとしないベッドへしがみつき駄々を捏ねる自身の気持ちをどうにか強引に持ち上げて、己が勤めなければいけない元の場へ向かうために主人公ちゃんは部屋のドアを潜った。

向かう道中、すれ違いざまに挨拶をくれる同僚とも呼べる王の従者達に先程までの泥色の表情はどこへ行ったと言わんばかりの笑みで挨拶を返しながら改めて勤める先である…ーもう既に目覚めて稽古場へ行っているであろう主人、ジークフリートの顔を思い浮かべて心の中で本日四度目の溜息をつく。

起きたての主人公ちゃんの溜息の多さと表情の悪さは己の主人、ジークフリートが原因だった。

クリームヒルトの手伝いとして始まった、国に仕える騎士であるジークフリートという男の世話。その者に対して主人公ちゃんは恐怖心を持っていた。

“命を狩って、生きる人。“

そのような職を生業とする者はこの世界では珍しい事ではないだろう。
現に城内にいる騎士だってその中に含まれる。
けれど拾われてからというもの、ずっと城の一区画でひっそりと生活をしてきた主人公ちゃんにとっては分かっていても、やはりそれはどこか別の世界の事であるような気がしていたのだ。

やっと初めてそれを己に認識させた人がジークフリートであった。

野外に出ては、戦い合ったモノの血と何処か生臭さを感じる臭いを纏い、それらを何ともない風に帰ってくるその人。
その度に主人公ちゃんの瞳に入ってくるその血が、鼻を刺す匂いが、己の主人は容易に命を狩る事の出来る人間なのだと認識し、彼の身や防具を清める度に主人公ちゃんは恐怖を感じた。

それに加え、普段の彼の行いが更に主人公ちゃんの恐怖心を煽った。

彼の近くにいれば、何をしているのか逐一把握される様な視線を感じ、誰かと話をすれば名前を呼ばれ己の主人は誰かと問われる。突然に手を掴まれては強引に部屋に連れて行かれた事もあり、その時は遂に私もお陀仏になる日が来たのかと身構え肩を震わせた事もあった。

そんな事由が重なり、見事に出来上がってしまった彼への恐怖心。

初めのうちは努めていれば慣れという形で時間が解決してくれるだろうとどこか楽観視している部分もあった。それは仕事を引き継ぐにあたり、クリームヒルトが一緒にいてくれフォローしてくれていたのが大きかったのもある。けれど引継ぎが終わり、一人で彼に仕え始めればそんな事はなく…。彼に対する恐怖心は薄れる事なく、寧ろクリームヒルトという支えがなくなりそれは更に悪化した。

では怖いからといって容易に仕事は変えられるのかと問われるとそれは…いや、きっと無理だと泣きつけば、優しいクリームヒルトの事だから他の仕事を与えてくれるだろう。

けれど、そんな事を主人公ちゃんはしたくなかったし、その選択肢は毛頭になかった。

己がこの仕事を引き受ける事により、彼女の仕事が少しでも減っているのなら…。ほんの少しでも良いから、彼女の役に立ちたい。
だから、これは、この仕事は、必ず、やってみせる。
彼が怖くとも、これは彼女の為になるのなら、頑張れる。大丈夫だ。

そんな決意はあるものの、やはり気持ちはそう簡単にはいかないもので…

自然とまた溜め息が出そうになるのをグッと堪え、思考をやめて主人公ちゃんは意識を切り替える。己の主人の部屋はもうすぐそこに迫っていた。
今の時間帯はジークフリートは稽古場に赴いており、その間に主人公ちゃんが部屋の掃除を行う事になっている。これは二人の毎朝のルーティーン。

寝起き早々から彼の応対をしなくていいだけまだ良いと無理矢理良い方に思考を向ける事にして、部屋の前で主人公ちゃんは礼儀作法にのっとりノックをして主人の部屋へと入室した。

◇◇◇

急遽伝えられた訓練所の突然の閉鎖で、早朝から暇を持て余したジークフリートは、自室で陛下から貸し与えられていた教本に目を通しながら、思考に耽っていた。

その内容は己の付き人となった、彼女について。

欲しいと手を伸ばし手に入れた其の人は、ジークフリートも知る事のなかった自身の感情を良くも悪くも引き出していた。

最初に知り得たのは、他者に認識される事の高揚感であった。今までは己のみが彼女を知っていて一方的だったものが、それが彼女がジークフリートというものを認識して双方向的なものとなった当初はそれだけで嬉々とした己がいた。

次に現れたのは欲深さであった。人とは欲深い生き物で、良しとしたものに満足出来なくなり更に更にと求めてしまう。ジークフリート自身は己を欲のない淡白な人間だと分析していたが彼女に対してはそんな事はなく、一途は続いた認識し合えた事実のみの高揚感では物足りなくなり己の中に飢えを感じる様になった。もっとだと手を伸ばし、彼女の名を呼び、瞳を合わせて己を認識させる。主人公ちゃんがジークフリートを認識しているのだという事実を求め、彼女の口から名を紡がせては飢えを満たす己がいた。

そして独占欲であった。手に入れたそれを他に奪われるという感覚はジークフリートに抱いた事のない恐れを与えた。安易に手に入ってしまった其れは所謂、貸し与えられている者であって、何かの拍子に返すように、と、他の者に彼女を、と、命じられるのではと考えるようになるのは容易であって。彼女が他の者の名を紡ぐ度に不愉快になり、関わり合いを見てしまえば嫌悪感に襲われ、笑みなど見せてしまっていれば酷い苛立ちを覚えてしまう。生きていくにあたり他者との関わり合いなど必然の事だと言うのに、彼女にそれを許す事を出来ない、他へ行く事は許さない己がいた。

側から見ればそれは酷い束縛であり、支配欲であろう。
けれど、ジークフリートはその醜さを良しとした。
それは知り得なかったこの感情達の混じり合った行き着く先に己もまだ知り得ない、彼女に対する不可解な感情の答えがあると考えたからだ。

だから、今は己の感情の赴くままに身体に自由を与え行動させていた。

だがしかし、それを彼女はどう思っているのだろうか?

思考の深みにはまり碌に内容の入らない教本を読む事を諦めて、本を閉じ机に置くと、自由になった手を枕に2人がけのソファに寝転んで足を組み、考える。

それはジークフリートには分からない。

主人公ちゃんはジークフリートに対して受け身の姿勢でいる事が常である。
それは己が仕えているという立場上必然のものではあるが、発言を促そうにも彼女は主である己を顧みて発言する事を良しとする為に彼女の主張というものをジークフリートはてんで聞いた事がなかった。

だから、そんな彼女の本心をジークフリートは理解出来ない。
知ることが出来ない事に酷い不快感がジークフリートを襲い自然と眉間に皺が寄る。

これでは己ばかりが彼女に振り回され、感情を乱されているようだ。
それを良しとしている己のせいだろうと言われてしまえば反論の余地がないのは明白で。でも、それでも、彼女にも己に対してそうあれかしと望んでしまうのは支配欲からくるものだろうかそれとも独占欲からくるものだろうか、ジークフリートには分からない。理解出来ないものであってはどうにもしようがなく…

ぐるぐると深みにはまっていく思考と感情に、冷静さと落ち着きを取り戻す為、瞼を下ろし深呼吸を繰り返していていると突然に響くトントン、というノックの音。

それにジークフリートが応じずにいると少し間があった後に控えめな声と共に彼の渦巻く思考の源が姿を表した。

◇◇◇

「どうしよう…」

掃除をするべく、主人の部屋へと踏み入った主人公ちゃんを待っていたのはソファに横になり眠っているジークフリートの姿。

訓練に出ているだろうと踏んでいた主人公ちゃんの目の前に飛び込んできたその光景に声こそ抑えたが、それでも思わず肩が飛び上がってしまった。

訓練所が閉鎖している事を知っていれば己の主人が部屋にいる事も想定しただろうが、残念な事に主人公ちゃんがこの部屋に赴くまでにそれを伝える人間はいなかった。閉鎖が急な事だった為に、訓練所に赴いた人間のみが知り得た事だったのだ。

声をかけて部屋には入ったが、起きる気配がないという事は深く眠っているのだろう。主がいる状態では掃除は出来ないし、出直す事を主人公ちゃんは決めるが身体は彼の部屋の中へと向かう。

ソファの脇を通って寝室へ、収納棚から軽めの羽織れるものを適当に見繕う。

まだ早朝であり、肌寒い時間帯だ。
そのような中で薄着で眠り込めば風邪を引いてしまうかもしれない。
そんな彼の今の状態を見てしまったからにはどうにも世話を焼いてしまうのはそういう性格なのだろう。例えそれが恐怖を感じる相手だとしても、行動しなければ主人公ちゃんは寝覚めが悪かった。

選んだ羽織を主人の元へ。そっと近づきそれを掛けた。

「………。」

それは主人公ちゃんのちょっとした好奇心だった。

深い呼吸で胸を上下させ眠る主人の長く伸びた髪に指を通す。
緩く癖のついた褐色に己の指が沈む。思っていたよりも柔らかく細いその感触を小さく巻いてみたり揉んでみたり指で遊ばせてみる。

起きるかもしれないと主人公ちゃんの心臓は速く、その音が実際に聞こえそうな程に大きく脈打つがジークフリートは起きる気配を見せず。

そうしても起きないと分かれば、行動はより大胆になるもので

一度は布越しに触れた事のある頬へ手を伸ばし、触れてみる。
もう片方の手も伸ばして触れてみれば両頬を己の手で包む形となっていた。

「…寝てれば怖く、ないのにね」

鋭い眼光は瞼の下に隠れ、静かさを携える己の主人にその言葉は届かない。

届かないからこそ主人公ちゃんは言ったのだ。届いてしまえば、その後の己と彼の関係にどう影響するのか想像が出来なかったから。何よりもそれによってクリームヒルトやグンターに迷惑を掛かるかもしれなくなる事が嫌だったのだ。

怖いと言えば、親指で柔らかく撫でるその瞼の下に隠れた鋭い眼光にもまた、主人公ちゃんは別の恐怖を感じていた。…いや、これは恐怖というよりも苦手と言う方が正確だろう。
彼の、ジークフリートの瞳が、生き物としての自分自身の本質を見るように深く己を覗き込んでくるような気がして、主人公ちゃんはジークフリートと目を合わせるのがあまり好きではなかった。

これ以上は起こしてしまうだろうと、お触りは此処までに。我ながら大胆な事をしたなと頬を緩く赤くさせながら鼓動は早いままに、最後に髪を一撫でして主人公ちゃんは部屋を後にした。

扉の閉まる音がして、人の気配がない事を感じ取った後にジークフリートはゆっくりと瞼を上げた。

「…俺が、怖いのか」

先程まで直ぐ側に在った彼女の残り香が鼻を擽る。

それは咄嗟にとった行動だった。
特に理由もなく、唯、彼女がどんな行動するのかというちょっとした観察のつもりで所謂寝たふりをしていれば近づいてくる気配とその後に頬に感じる少しヒヤリとした彼女の両の掌の温度とカミングアウト。

思わぬ所で彼女の己に対しての心境が露呈した形となった。
そしてそれに彼女は気づいていない。

“怖がられている“

その事実にじわりとジークフリートの胸の内が痛んだ。と同時に歯痒さを感じた。

これでは彼女は逃げてしまう。
このまま己の感情の赴くままに接していれば彼女は離れていくだろう。

どうすれば彼女はジークフリートを安全なものとして認識する?
どうすれば彼女はジークフリートの元へ留まる?

己は知らないのだ。今までは狩る事が常だった為に、人との必要以上の戯れを必要としなかった為に、弱い生き物への接し方が分からない。

あの、弱い、主人公ちゃんという生き物への接し方がジークフリートは分からないのだ。

「………ックソ、」

思わず口を付いた悪態は静かな部屋に虚しく響いた。


アンケートに答えて下さった皆様ありがとうございました。そして長らく更新をお待たせしてしまいすいませんでした。
1,2話から少し時間の経ったジさんが怖い主ちゃんと野生み溢れるジさんの話になります。まだまだ若かりし頃のとげとげジさんだから色々とワイルドだよ。解釈違いだったらごめんね。1,2と3の間の補完は書くかどうか分からないけど、1,2話に比べて突然ジさんの感情パラメータが上がってるところがあるし、1,2と3の間に主ちゃんにちょっかい出した形跡あるから(あるから?)書きたくはあります。




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