ジークフリートはヨゼフ王に誘われこの城へ踏み入れまだ間もないが、それでもその短い時間でも視界は着実に見たことない景色が見えるように広がって行っていた。
それは美しいもの綺麗なものもあれば時には己に害のあるもの悪いものもあり様々で、日々の感じるそれら全てが等しく己の中へ入り込んでは知見となり、拙いながらも見解へと消化されて己の力となっていく。

あれもまた、それらの中のひとつなのではないか。
最近、ジークフリートがそう思うものが一つある。

視線を向ける廊下の先、己を探していたのだろう使用人に話しかけ柔らかな笑みで答えている彼女。…―名前は知らない。

城内でよく見かけるその姿はいつも笑っていて、嫌な顔一つせず仕事を引き受ける姿をよく見かける。

使用人曰く、よく働く頑張り屋。
騎士曰く、素性不明の頭の可笑しい女。

前者の話は通りすがりに使用人同士で話していた内容を小耳に挟んだ程度だが後者は違う、視線をあれに向けていた己に態々忠告を振ったのだ。それも一人ではない。

"アレに気を許してはいけない"

忠告してくる騎士共はそう口を揃えて皆が言う。

それは言葉通りの意味だろうか、
あの彼女を警戒しろという意味だろうか、

安心、平穏、そういった己とは無縁な単語が服を着て、歩いている。あれはそういう生き物だ。
争い事や醜い物に触れた事がないような真白な生き物。己の生きてきた世界では真っ先に死ぬであろう弱い生き物。

それがあれだ。

下手すれば街に住む子供達の方が警戒心が高いであろう、そんな彼女を警戒しろとは、一体彼女に何があるというのだ。

「わからんな」
「なんだジークフリート、城内で迷子か?」

ジークフリートが一人一つポツリと溢した疑問符に
挨拶替わりに肩に乗せられた手と返事が返ってきた。内容に溜息が漏れる

「グンター…、流石にもう場内は覚えている」
「じゃあなんだ、他に何か分からない事でもあったか?」

ジークフリートが向ける視線の先にはグンターにとっては馴染み深くなった、最近はめっきり教える事が少なくなって会える機会が減っていた使用人服を着た大好きな彼女の妹分の姿があった。

妹分…―主人公ちゃんの素性に関しては王の号令により、新しく城に上がってくる使用人や兵士には伏せられる決まりとなっている。
知っている者はあの降ってきた日に王の随伴をしていた騎士と一部の付き人、そして王が号令を発するまでに広がった主人公ちゃんに対しての噂を信じている者達だけだろう。

号令に対して勿論それはジークフリートも例外ではない。

そもそも彼女とジークフリートに接点はないはずだが…元々が獣染みた男だ、何かしらの野生の感でも働いたのかとグンターが思考を巡らせているとその答えは本人よりすんなりと返ってきた

「王に使える騎士共が、アレには気をつけろと煩い。グンター…、いったいあれには何がある?」

溜息。そして、悪態。あいつらまだそんな事言ってるのか。と。
グンターはジークフリートに何かしらを吹き込んだ騎士達に頭を痛める。
王が号令を敷いたにも関わらず少なからず裏で何か言っている騎士達がいるのには気づいていた。
だがしかし、所詮内輪話だろうと後から入ってきたジークフリートにまで漏らしているとは思ってもいなかったのだ

「何もねぇよ、……何も、な。
なんだ、お前にはそんなとんでもない事をしでかしそうな危険な奴に見えるのか?」
「見えない。いや…むしろ、」

人畜無害という文字そのものが人の姿をして歩いているような生き物だ。あれは。

彼女を見つめたままそう続けたジークフリートに、
この獣にはしっかりと良い目が付いているようだとグンターは安堵した。

きっとジークフリートは騎士達の忠告を聞いてから彼女をよく観察していたのだろう。
想像で物事を語らず、実際に彼女の特性や習性を知り本当に危険な生き物なのか、それは獲物を狩る準備をする獣のように、日々、視界に入っては彼女の様々な側面を見続けた結果がこの回答なのだろう。

グンターは安心を吐息に乗せて同意するようにそうだな、と吐き出し未だ見つめ続けるジークフリートの視線を追いかけるようにして仕事に精を出す彼女に対して感慨にひたる。

知らない事は怖いこと。などとは彼女を良く知らない噂話が好きな騎士達を体現した言葉だろう。

そも、突然ひとりぼっちにされた世界の中で砕けていた心を繋ぎ合わせ折れてた両足を奮い立たせて今この世界で頑張って生きようと前を向き始めた未だ不安の中で恩を返したいなどと頭を下げて言い出した彼女がどのように誰の人生に警告をしなければならない程の悪影響を与えようか。

「その認識であってる、なんも間違ってねえよ。…―ただ、ちゃんと人なんだから今度からちゃんと名前で呼べよなぁ」
「名前…」
「なんだ、知らないのか。
 
 主人公ちゃんっていう可愛い名前があるんだよ」

アレだなんて、
女をそんな呼び方するもんじゃねぇ覚えとけ



◇◇◇



グンターが想像した主人公ちゃんに対してのジークフリートの行動は概ね外れてはいなかった。
先日、グンターから名前を聞いてからも主人公ちゃんに対してジークフリートの行動は変わることはなかった。

ふと彼女が視界に入ればその場、ジークフリートは時間が許す限り観察する。
それは日差し強い午後、中庭で同僚達と洗濯物を干している姿だったり、それは土砂降りの中で帰ってきた兵士達が通った後、一人懸命に廊下の水切りを行う姿だったり、一挙一動を見守ることに全く飽きず、日々彼女の情報ばかりが蓄積していく。

何者であるかは日々の観察やグンターからの情報で分かった。只の何もない女。城で働く使用人だ。

そのようなものに一体、何がある?何もないのではないか。騎士共が彼女に対して異様な反応をする為に自然と何かがあると思い込んでいただけなのではないか?

彼女に対して己の中で何度も自問自答する。
その度に出てくるのは普通の人、只の女、使用人、弱い生き物。

これ以上彼女を観察したところで答えは同じ。
それなのに寧ろ以前より彼女が己の中を占める時間は増えていくのだから意味が分からない。

今も今とてクリームヒルトに呼ばれた為に城内を歩いていると、廊下の先に彼女が目に入った。が、いつもと違う光景に動かしていた足が自然と止まる。

珍しい事もあるものだ、騎士が彼女に話しかけている。此処からでは会話などとても聞こえないが騎士に対していつものあの笑顔で答えている姿が見える。

彼女も日々の騎士共の態度から気づいているだろうに。自分がどう言われているのか、どう思われているのか。そんな奴らに対しても笑いかけるなど歓心を買おうとしているのか?それとも処世術か?だとしたらなんと不憫な生き物だろうか。

己なりにその笑顔の理由を託つけてみたが本当のところは彼女本人にしか分からないもの。しかして酷い不快感がジークフリートを襲う。
けれどその不快感をジークフリート自身がよく理解出来なかった。

そんな不愉快な感情が渦巻く中でも自分がその光景を眺めていたくないことだけは分かったジークフリートは視線を逸らして止めていた足を動かし出す。

だってジークフリートは彼女の表情を、笑顔をしっかりと見たことがない。そも己と彼女は面と向かってすら話したこともないというのに、あの、あんな、自分を良く思っていないだろう男などに、笑顔を向けて、

……―――――、己は今、何を考えた?

あぁ分からない。鈍く痛む胸の処理の仕方が、不快感の正体が。初めておぼろげに目覚めた"ひとりじめ"したいというその感情の名前にジークフリートは気づけないままでいた。

その不可解な感情から来る眉間の皺をそのままに、
指定した部屋をジークフリートが訪ねると既に呼び出したクリームヒルトと彼女に用があったのだろうグンターの姿があった。

「お、どうした。不機嫌そうだな」
「煩い、構うな。…それより要件はなんだ」

ジークフリートは挨拶もなしに話を振ってくるグンターを構う事をせず、呼び出したクリームヒルトに話をふる。

内容を聞けば、今までジークフリートの面倒を見ていたクリームヒルトの手が回らなくなって来た為、別の使用人を付けるという話。

その話を聞いて思い浮かぶのは先ほどまでの不快感の原因。

「…―それは、誰でもいいのか」
「え?あ、ああ、うん。誰でもってわけじゃないけど、希望があるなら、」

誰か、お願いしたい人でもいる?そう続けるクリームヒルトの言葉に、ジークフリートはその不可解な感情の正体も分からないままに浮かんだまま消えない彼女の名前を答えたのだった。



◇◇◇



はしゃぎすぎだ、馬鹿野郎!
とはつい先刻、真正面から討伐対象のモンスターを叩き切ったジークフリートへ向けたグンターからの言葉。

真っ二つにされ無残な姿へと成り果てたモンスターに
プレゼントだと言わんばかりに体液を浴びたジークフリートは見るも無残、匂いも悲惨な状態へと変わり果てていた。

そんな姿で城への帰路へ着いたジークフリートにはいつも以上に人が寄り付かない。
粘り気のある体液からだろうか酷く不愉快そうにしながら待機室への廊下を歩くジークフリートへグンターが声をかけた。

「とりあえず、それを落としてから陛下に報告だな」

醜い異臭が鼻をつき、思わずしかめた顔を隠そうともせずにグンターは続ける

「くせぇ」
「…、煩い」

そんな事は自分でも分かっていると話ながらに到着した待機室の扉にジークフリートは手をかける。
と、あっ、と思い出したようにグンターが言葉を続けた。

「そいえば、今日から例の侍女交代だってさ。
お前の希望に沿えたらしいぞ。一緒に待機室で待ってるねってクリームヒルトが言ってた」

伝えるの忘れてた。すまん、と呑気に告げたその言葉の後半はジークフリートの耳に届いていなかった。
その告げられた内容にジークフリートはいつもより大きく瞳を見開いて動きを止めた。開けかけた扉が止まる。

それほどまでにジークフリートにとってはどでかい内容のものをグンターはサラリと落としてきたのだ。
それがどれだけだと聞かれれば、先程ひと働きしてきたそれよりも明らかに此方の内容の方が重要重大であった。

近日中とは聞いていたが、今日、それも目の前の扉の中にいるなどとは寝耳に水。
今日は討伐依頼の為に朝から一緒にいたというのにこの男は何故このタイミングで思い出すんだとはジークフリートの心の叫び。

「ジークフリート、どうした?…ほら、後ろ詰まるから早く中に入れ」

そんなジークフリートとの温度感に気づけないグンターは扉の取っ手を握ったまま固まってしまった彼に早く中に入るように促す。

促されれば入るしかなく、まだジークフリート自身の中での先日からの彼女に対して不可解な感情にどう対処すればいいのか判断がつかないままに歩は進む。
そも先日、彼女の名前を出したのは己である為にその可能性はあっても、ここまで時間に猶予がないとは思ってもいなかったのだ。

そうしてそんなジークフリートの心境などには気づけないグンターによって、彼女の前に立たされればもうジークフリートにはええいままよと腹を括る選択肢しか残っておらず、己の恰好に対してだろう彼女の見開かれたその両の瞳に居心地の悪さを感じて思わず視線を彷徨わせる。

「主人公ちゃんと申します。これからお世話をさせて頂きます。まだ至らぬ事が多く不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」
「…、ジークフリートだ。よろしく頼む」

お互いの初対面の挨拶もそこそこに、失礼しますと控えめに声をかけられるとジークフリートの頬に暖かなものが当たった

「―――ッ」
「申し訳ありません、話辛そうにされていましたので」

困っていると言わんばかりに目尻眉尻が下がっている。それなのに口角が上がり柔らかな笑みを作っているなんとも器用な細まった彼女の瞳と先程まで彷徨っていたジークフリート視線が初めてしっかりと絡まった。

それはまるで甘露のようだ。とジークフリートは彼女を目の前にして騒ぎ出した己の心で思った。
甘ったるいどろりと溶け出た何かがそこから溢れだして絡みついてくる。酷い胸焼けを覚えるのに視線を逸らすことが出来ない。

彼女に対して抱いていた酷い不快感とそれに連なる不可解な感情はどこかへ行ってしまった。
今はただ、彼女の瞳に己が映っているという事実が、彼女が己を視認しているという現実が、酷く己を高揚させる。

触ってみたい、と無意識に伸ばしかけた手に、
それを降ろせ。と耳元で警告する声が酷く煩い。

それに手を伸ばしてはいけない。
そう今まで生きてきて培われた経験としての俺が唸っている。それはいけないものだ。と。
少しでも触れてしまえば、お前は今までのお前を失ってしまうぞ、と耳元で激しく警告してくる。

しかして、本当にそうなのだろうか。と、己の心はそうは何か思う。
この存在がもたらすそれは、やはり、己がまだ知らない何か。なのではないか。と、

少しならば、よいのではないか。と、耳元で煩く唸る警告など聞こえない振りをして。
ジークフリートは目の前で顔色悪くして崩れ落ちていくその甘露に手を伸ばしたのだった。

あとがき:01のジクさん視点。
グダグダなあとがきは2/25付のMEMOの追記へ記述




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