「頼まれて欲しい事があるの。」

少し遅めの昼下がり、暖かな日差しがあたる城の中庭で行われている小さな茶会で今、この時がこの世で一番の幸せだと言わんばかりの笑みを浮かべて用意した茶菓子を頬張る目の前の黒髪の少女に対してクリームヒルトは話を振った。

「私がお力になれる事であれば」

まだ中身の話をしてもいないというのに、此方にその笑みを絶やさずにまかせて下さいと言葉を続ける彼女は少女という年ではない。外見から幼く見られるがその実、年はクリームヒルトとそう変わらないから驚きだ。

彼女曰く、彼女の人種によく見られる特徴的外見らしい。

そんな彼女の名前は主人公ちゃん。

主人公ちゃんはフェードラッヘの生まれではなかった。
丁度去年の今頃の季節、ヨゼフ王外遊より帰路の道中に夕刻色染まった空より"降ってきた"者だった。

当時、王に同伴していたクリームヒルトもそれの目撃者だった。

ゆっくりと漂いながら降りてくる意識のない主人公ちゃんに対して何かを感じたのか、星の民かもしれない。と警戒する回りの騎士達の反対を押し切って王は持ち帰ると言いだした。

その後、目を覚ました彼女に話を聞いてみると何ともまぁ、話が噛み合わない。

主人公ちゃんはこの空の世界の事を何も知らなかった。
何もかもを知らなかった。知らなすぎたのだ。

右も左も分からない。
文字が読めないとは可愛いレベルで、自分が立っているこの土地が空に浮いているという事も、魔法という存在も、街を離れればモンスターがいるという事も知らなかった。

彼女は繰り返し、"ニホン"というところから来たという。

ただひたすら大地と海が続く世界。空に浮かぶなど"ありえない"とこぼすのだ。

浮いていないのであれば赤き大地なのではないかと問えば、そんな土地は知らないという。

それならばお前の言う"ニホン"ではどうやって生きてきたのかと問えば。スマホ、ジドウシャ、パソコン、テレビ…並ぶのは聞き覚えのない単語ばかりで、文字はどうだと筆をとらせてみれば見たことのない模様が紙に踊る。

ではそこから何の目的で来たのかも主人公ちゃんは分からないと繰り返した。「目を覚ましたら此処だったのだ。」と、「いつも通り、平凡に、毎日を過ごして自分の寝床に入ったら此処だったのだ。」と

目的も分からず知らない土地にたった一人で、日に日に、時間が経つにつれて主人公ちゃんはどんどん弱っていった。

今、目の前で笑っている姿など想像もつかない、当時の光の宿らない闇色の瞳をクリームヒルトは今でも強烈に覚えていた。

「クリームヒルトさん?」
「ふふっ、美味しい?」

よくここまで元気になったものだ。と、感慨深い面持ちでいると、何かを察したのだろうか、主人公ちゃんが少し心配そうなどこか申し訳なさそうな瞳でクリームヒルトを見つめていた。

「とても美味しいです。いつも御馳走になってしまい、すいません」
「いいのよ、気にしないで。私が好きで作ってるのだから」

こんなに美味しそうに食べてくれるんだもの。作り甲斐があるわと続ければ、表情に出ている自覚があったのだろう、美味しいものは美味しいのです。と少し頬を赤めて目を反らす主人公ちゃん。
ニコニコとまだあるわよなんて続けて手の付けられていない自分の皿を主人公ちゃんに突き出してくるものだから、まるで食い意地が張っているようではないかと主人公ちゃんは更に恥ずかしくなり先程クリームヒルトから振られた"頼まれ事"に慌てて戻す事にした。

「それより、私は何をすればよいのですか?」

「あぁ、えっとね」

大まかに内容を話し出す。

頼まれ事とはとある男の世話だった。
今まではクリームヒルトが面倒を見ていたのだが、城に上がってくる人の数が増えた為にそちらの務めへの時間が増え始めて男の世話が疎かになり始めてたそうだ。
そんな中で主人公ちゃんがある程度務めに余裕ができ始めた為にこれを機会に仕事のステップアップも兼ねて世話を頼みたいとの事だった。

簡単な内容を聞いて主人公ちゃんは改めて快諾する。
クリームヒルトから頂いた大恩を少しでも返せるなら。と、喜んで二つ返事で引き受けた。

クリームヒルトは主人公ちゃんにとって一宿一飯の恩人などとはとても呼べぬ、人生をかけても返して行かなければいけないだろう程の大恩を与えてくれた一人だった。



此方の世界に来た当時、主人公ちゃんは絶望の中にいた。

口を開けば皆がお前は誰だと問うてくる。人だけでなく、扱い方を知らぬ物や目にした事のない文字すらもお前なぞ知らぬ扱うてやらぬとばかりに言ってくる。

本当に、この世界で"ひとりぼっち"だったのだ。

そのような日々が続けば、王に自由に歩いてよいと言われた城内に行く廊下すら出る事すら億劫になり、部屋に籠ったまま外を出歩く事もなくなった。
そんな中で立場故に多忙であろうに時間を見つけては主人公ちゃんを気にかけ世間話をしに来てくれるヨゼフ王や世話をやいてくれるクリームヒルトに対しての申し訳なさも日に日に強くなるばかり。

主人公ちゃんはもう耐えられなかった。耐えきれなかった。だから溢れてしまった。元の世界に戻りたい。と、この何も分からない世界からいなくなりたい。そういつもの様に世話をやきにきたクリームヒルトに溢してしまったのだ。

そんな主人公ちゃんに対してクリームヒルトは朗らかに話しかけたのだ。

"大丈夫よ、私が教えてあげるわ"と

それからクリームヒルトは呆れる事なく嫌がる素振も一遍も見せずに生まれたての雛に生きる為の知恵を授ける親鳥のように、この世界で生きていく為の様々な知識や技術を惜しげもなく主人公ちゃんへ与えた。

また、保護された当時クリームヒルトと一緒に王に同伴していたグンターも時間を見つけては主人公ちゃんに構うようになった。

ある日クリームヒルトについてひょっこりと現れた彼は別の世界から来た主人公ちゃんを疑う事もせず、むしろ興味津々と言わんばかりに世界の事を色々とグンターは聞いてきた。
そして、聞いてきた後には必ず"こんな面白い話にはお返しが必要だろ。"と主人公ちゃんに読み書きを教えた。

"元の世界に戻る為の内容が書かれた書物があるかもしれないだろ"とは彼の言葉。

今、主人公ちゃんが覚束ないながらも文字を扱う事が出来るのも彼が根気よく"お返しをしてくれた"お陰と言っても過言ではないのだ。

クリームヒルトやグンターが与えた知識や知恵はこの世界に生きている人ならば大した事もない中身だろう。でも此処ではない"外"から来た主人公ちゃんにはとても必要なものだった。一振りでドラゴンを倒す強大なる剣よりも大事なものだったのだ。

2人の甲斐甲斐しい世話のおかげか、主人公ちゃんは絶望から這い上がる事が出来た。来る事が出来たのだから、"いつか帰れるかもしれない"という希望もちょっとずつだが持てるようになった。

覚束ないながら生きていく事に前向きになった主人公ちゃんはまず真っ先に城の手伝いをしたいとクリームヒルトとヨゼフ王に相談した。身元の分からない自分を拾ってくれたヨゼフ王や色々な物を与えてくれたクリームヒルトやグンターに恩返しがしたかったのだ。

最初クリームヒルトはその内容に対して許可する事を渋った。
ちょっとずつではあるが、明るくなり始めた主人公ちゃんが落ち込んでしまうのではないか、また部屋から出なくなってしまったらどうしよう。と、

日々、自分の教えを必死に受け止め応えようとする主人公ちゃんの姿に実の妹がいたらこんな毎日だったのだろうか、とそれはもう目に入れても痛くない程に主人公ちゃんに情が移っていたクリームヒルトはそう考えてしまったのだ。

そんな中で許可を出したのはヨゼフ王だった。
何か手を動かしていれば、動かなくてもよい思考を止める事が出来る。考えなくてもよい事も考え込まずに済むだろうと思っての事だった。

心配そうに遠目で見守るクリームヒルトを許可は出たのだから。と申し訳ないが後目において、主人公ちゃんは城の手伝いをし始めた。最初は小さな事だったけれど、ちょっとずつコツコツとこなしていった。

最初は主人公ちゃんを酷く扱っていた者達も、どんな些細な事も熱心にそして真面目に熟す姿と何事も嫌がらずに笑顔で引き受ける愛嬌の良さ。そして元々持っていた教養が高かったのものもあり徐々にその人数も減っていき、また、それと同時に頼まれる仕事の幅や教えてもらえる仕事の量も多くなった。

そうして主人公ちゃんはそう時間もかからずに1人の使用人として城内で働く事が出来るレベルに成長していった。


閑話休題。


主人公ちゃんは過去に戻っていた思考を戻すと自身の皿に残っていた最後の一口を頬張ると立ち上がる。

あらもう次の仕事?と続けるクリームヒルトにまだ物が口に入っていた為、肯定の返事代わりにこくんと一つ頷くと人気者ね。と笑みが返ってきた。

「早速で悪いのだけれど、近いうちに引き継ぎをかねてちょっとずつお願い出来る?詳細は追々、改めて連絡するわ」

「承知致しました」

あ、そうそう…とペコリと頭を下げて仕事へ向かおうとする主人公ちゃんを引き留める

「その人ね、貴方と同じでヨゼフ王に拾われたのよ。」

同じ境遇ね、貴方が先輩なのだから色々お世話してあげてね。

なんて少し冗談めかしつつさぁ行ってらっしゃいと言葉で背中を押されれば、主人公ちゃんは待っている仕事へ向かうしかなく

「(同じ境遇の人…)」

ヨゼフ王は拾い物がお好きなのだろうか?
なんてちょっと場違いで平和的な思考を膨らませながら主人公ちゃんは己を待っているであろう仕事へ向かい足を進めたのだった。



◇◇◇



時折、
ふとした拍子に主人公ちゃんは絶望していた当時を思い出す。
今にしてみれば何を甘ったれた事をなんて思う余裕も出てきてはいるが、人間、気が滅入れば視野も狭くなり、先に対しての見通しも悪くなる。あの時期の私は最悪の状態だったのだから仕方ない。と、今は頂いた恩を返していこうと頭を振りかぶり浮かんだ雑念を部屋の隅へ飛ばして主人公ちゃんは支給されたエプロン紐を結びなおし気を取り直して部屋を出て仕事へ向かう。

今日からの仕事は以前クリームヒルトより受けていた頼まれ事。

クリームヒルト曰く、ヨゼフ王が拾ってきた後輩君のお世話係。

なんでもその後輩君の今日の仕事は街の近くを徘徊するようになったモンスターの討伐。
その為、汚れて戻るだろうと主人公ちゃんは桶に湯を貼り、拭く物を用意し、帰りを待っていた。

「緊張してる?」

「ッ……」

引き継ぎも兼ねていた為、先程クリームヒルトもやってきたのだが、部屋に入るなりいつもよりも落ち着きの見られない表情の堅い主人公ちゃんに心配になり声をかけた。

「…少しだけ」

此処は騎士達の使う待機室。
騎士は王を守らなくてはいけないその性質故もあるが、素性不明の主人公ちゃんを酷く扱うものがまだ多くいる。
主人公ちゃんを気に入っているグンターが目を光らせている事もあり表立つ事はないが、それでも裏で主人公ちゃんを酷く扱うものが少なからずいるのだ。

そのような者達が集まる場所であるこの部屋は主人公ちゃん本人が気づかずに己の表面に出してしまうぐらいには知らず知らず緊張を与えていた。

嘘をついたところでクリームヒルトには何故かいつも分かってしまう為、正直に、でもちょっとだけ控えめに主人公ちゃんは返事をする。
その返事にもう少し早く来ればよかった。とクリームヒルトは己の後悔を隅において、不安を取り除くように微笑みかければ主人公ちゃんは少し安堵したのか、ポツリと言葉を漏らした。

「私で、よいのでしょうか…」

引き受けたからには真面目にこなす。…気はある。
だがしかし、主人公ちゃんという人間はこの城内の騎士という職業の人間とは相性が悪い。
それ故にこれから自身が傍にいる事になり、日々、相手の心労を増やす事になるのではないかと主人公ちゃんはずっと気にかかっていたのだ。

「私は構わないのです。寧ろ、このようなお仕事を頂けるのは大変ありがたい事なので。
…ですが、お相手の方は私にあまり、その、良い感情をお持ちではならないのではと。私がお傍に付く事で、その方のご負担をおかけする事になるのではと、ご迷惑になってしまうのではないかと。申し訳なく、」

そう呟きながら主人公ちゃんより少し高い位置にあるクリームヒルトの目を見つめれば、それには何の心配は及ばないと少し柔らかく細まった瞳が返事をしてくる。

「大丈夫。そもそも主人公ちゃんを、貴方を、と指名したのは彼なんだから」

クリームヒルトは既に相手がどういう人物か知っていた為に、安心感の生まれる言葉を選んだつもりだった。しかし、その人物を知らない主人公ちゃんにとっては青天の霹靂。

今まで使用人に仕事の指名をされることはあっても、名誉ある騎士に指名される事などなかった為に指名された事に素直に喜んでいいのか、それとも指名などとは口実で、2人きりになった途端に王を誑かしたのだろうと剣を突きつけられるのか。まさにデッドオアアライブ。

主人公ちゃんが安堵した表情を一遍、先程よりも更に引き締まった表情になってしまえば、クリームヒルトも誤った言葉をかけてしまったかと慌てて言葉を紡ごうとする。と、騒がしくなる部屋の外、聞こえる多数の足音と共に待機室のドアが開かれた。

入ってくる討伐帰りの騎士達

その中で主人公ちゃんとクリームヒルトの元へ向かってくるのはグンターとかの目的の人物だろう。その引き連れた目的の人物に主人公ちゃんは思わず息をのむ。

少し遅くなった、とはグンターの言葉。
少し苦笑いしながら主人公ちゃんに対してこれがそうだと視線を隣へ向ければ、連れ立った人物は少し居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。

「主人公ちゃんと申します。これからお世話をさせて頂きます。まだ至らぬ事が多く不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」
「…、ジークフリートだ。よろしく頼む」

その初対面は血液と何の物かよく分からない液体に塗れた甲冑姿だった。
頭から足の先まで粘着質とどす黒い赤いもので塗れた彼からは主人公ちゃんには慣れない異臭が発せられていた。

その姿を見て、先程まで主人公ちゃんの頭の中にいた申し訳なさは走ってどこかへ行ってしまった。

それどころか寧ろ先日恩人へと返答したその快諾を多少ではあるが後悔の念を抱いてしまった。

大恩人クリームヒルトに頼まれたという事を含めた故"多少"とついてはいるが、もし、この頼まれ事が他の同僚達だったのなら間違いなくそれとなく断りを入れるべきだと。

少なくとももっとちゃんと中身を聞くべきだったのだと、過去の己に向かってありったけの心の声を叫んでいた。(まぁ結局のところ押し切られたら断りきれないのだが)

助けを求めるようにクリームヒルトへチラリと視線を向ければ、いつもよりちょっと酷いわねなんて笑みを浮かべていた。

挨拶も疎かに、顔についた体液で話しずらそうにしている彼を見れば自分の仕事を思い出す。

まずは汚れを落として差し上げなければと自分の用意した拭き物を慌てて手にとれば彼に駆け寄り断りを入れて頬に触る。

近づいて彼の目の前に立つとその異臭は更に鼻をついた。

モンスターがいる。ということは頭の中に知識としてはあった。だが結局のところ、主人公ちゃんはまだ身体で理解した訳ではなかったのだ。

だが今、匂いを感じて、体液を触って、ある意味主人公ちゃんは初めてこの世界がどういうものが理解した瞬間だった。

慣れない血液と独特の強烈な異臭に主人公ちゃんの思考は見てみぬふりは出来ても、その身体は初めて感じるその違和感に耐えきれなかった。

あぁ、一緒にいるグンターはこんなにも綺麗なのに。

主人公ちゃんはそんな事を思いながら、
耐え切れずその場に崩れ意識を手放したのだった。

あとがき:ジクさん視点で読切書きたい






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