届かない右手
一目見た時、好きだと思った。手に入れたいとすら。抱いてはいけない想い、だったのに。
「―――――え」
伸ばした右手が、空を切る。周りに誰もいない。誰一人として、残っていない。何一つ。全て溢れてしまった。零れてしまった。もう戻ってくることはない。過去の繰り返し。忘れた振りをしていた現実を、突きつけられる。嫌だ、嫌だ。と、叫んだところで誰も振り返ってくれない。おれが悪いの?尋ねたところで、答えてくれる人もいない。教えてくれる人もいない。自分で見つけろ?それが出来ないから、訊いているのに。
「――――――、ゆ、め…?」
「だいちゃあん?」
「あ、わ、わるい…っ、平気だから、!」
そうだ。昨日は確か、みんなと大騒ぎして、ゲームして、雑魚寝したんだった。思い出してからははやかった。眠そうな暁と様子を窺ってくる奴らに向かってそう言い、もう一回、布団にもぐりこんだ。アレは、夢だ。恐ろしい夢。ああ、でも過去に一度、あったことだ。忘れようとして、忘れられない過去。だからおれは、転入しなくてはいけないことになった。勉強だけ出来ても仕方ないと、そう言ったのは前の学校のヤツだった気がする。確かに、そうだ。確かに。その通りだと思う。勉強だけ出来たって、意味がない。
設樂紺。
生徒会長は、すごく綺麗なヤツだった。ただ、その瞳に一度もおれのことを映してくれない。他のみんなはおれのこと、見てくれるのに。彼だけは、見てくれない。どうして?と、訊くことすら出来ない。
(笑ってた)
紺は笑ってた。見知らぬ人の前で、綺麗に笑っていた。その笑みをおれには向けてくれたことはない。話をすることも出来ない。みんな紺には近づくな。と、言う。本人からもまるで、近づくな。と、言われているようで。
(幸せそうに、笑ってた)
あの相手は、誰。そう聞いたとき、風紀委員長だ。と、暁が教えてくれた。どすぐろい感情が渦巻く。渦巻いて、どうしようもなくなる。嗚呼、このままじゃどうにかなってしまいそうだ。外の空気を吸いに行こう。そっと、布団を抜け出して。
次の日。おれも含めて、みんなが彼にまるで死刑宣告のような言葉を告げられることも知らずに。
届かない右手では、何も掴んでとどめておくことが出来ない。
2012.10.21