紅い鳥居のこちら側≪後≫
※前の続き
天狗が出た。
誰かの叫び声が聞こえて、何かが爆ぜる音が聞こえてきても、あけびはその場から動くことが出来なかった。
仮に動けたとしても、入り口の扉は外側からしか開ける事が出来なくなっている。
誰かが開けでもしてくれない限り、動けたところで外に出ることは出来ない。
今、自分の声が出ないことは、わかっている。
両足を潰された次は声もかと思っていれば、それは未だだと言われ、中途半端なまま意識を失い、目が覚めた時には彼らはいなくなっていた。
だから、現状以外は、何も、分からない。
体を動かすことが億劫だと思いながらも、音がした方を見れば、燃えているようだった。
誰かが気付いて、この場所を訪れていてもおかしくないというのに、そうなっていないということは考えているよりも外は、大変なことになっているのかもしれない。
近頃、何のために生かされているのかについて考えるようになってしまったのは、思い出したように時折忘れ置いていかれる本の所為だろう。
人形のように扱われ続けるくらいなら、いっそ、このまま。
そんな事を考えていれば、大きな音を発てて、入り口が開かれた。
「……驚いた」
入口から正面の奥に、あけびは居る。
いつも、其処にいる。
周りに遊具があっても、最終的にはいつも、同じ場所にあけびは這って、戻っていた。
動けない状態の今も、いつもと同じ場所にいた。
「……、っ、…っ、」
声は、出せなかった。
徐々に近付いてくるのは、黒い羽と、黒い髪に、紫色の瞳をした、誰かだった。
「……声が出ぬのか」
一瞬細められた目を恐ろしく感じはしても、目をそらすことが出来なかったあけびは、そのまま、彼を見つめる。
「一度鳥居を潜った事があるだろう」
ならば連れて行くか。
いつの間にかすぐそばに来ていた彼は、自己完結を済ませたかと思えば、あけびの力ではどうにもできなかった縄を難なく外した。
抱き上げられたと思った瞬間には、あけびはもう、外に出ていた。
「………?」
特に何も起きていない外を見て、不思議に思う以上に、慣れない浮遊感の方が遥かに、恐ろしく思えた為に、あけびは彼に促されるまま、おそるおそる、首に手を回した。
思わぬ収穫があったと楽しそうに笑う彼に尋ねることは、あいにくと、その時には出来なかった。
どこかで聴いたことがあるような音が聴こえた気がすると思った次の瞬間には、あけびの意識は失われていた。
チリ、ン。
「天狗の野郎は」
「…………、」
縁側に座り、御弾きで遊んでいたあけびはいつぞや来た誰かだと考えながら、その誰かの隣に佇んでいる青年を見た。
ぼんやりと、している。
どこかを見ようとして、どこも見えていないような。
立とうとして、自分が立てないことを思い出したあけびは、御弾きを片付けながら、言う。
「こっち」
「………お前、なんか違くねェか」
「だんなさまは、だんなさまだから」
「はァ?」
「あと僕こう見えて、100年弱は此処にいる」
「はあァ?!」
一応伝えておかなければと思って伝えた内容は、何かおかしかっただろうかと考えていれば、閉じられていた隣の部屋の襖が勢いをつけて開かれた。
「喧しいと思ってみればお前か。あけび、おはじきは仕舞か」
「はい」
勢いをつけて襖を開けたかと思えば、思いのほか静かに近付いてきて、隣に座られる。
その後すぐに、膝の上に乗せられた。
あけびは成長していない。
ずっと子供の姿のままだ。
それにこのところ、ひどく、眠い。
「―――あけびが盗られるのは面白くないからの」
「あ?」
「そやつは名を呼びながら情を交わせばすぐにでも此方に来る」
すぐには、理解していない様子の犬神は、手を繋いでいた青年の顔を見て、顔の位置を戻したかと思えば、盛大な悲鳴を上げた。
「おま…、は?」
「………喚くな」
「あー……わかった。わかったけどなんか嫌だ。くそったれ」
邪魔したな。
そう言って、来た時と同じように青年の手を引いて、犬神は去って行った。
あっという間の出来事だったとあけび思っていれば、顎を掬われ、口を合わせられた。
チリ、ン。
鈴の音が鳴り、目を覚ますと霞掛かった景色の中の、畳の上にいた。
いったい何がどうなったのかと思っていれば、足音が聞こえ、やがて自分を此処に連れてきた男が現れた。
男が現れた瞬間、霧がわずかに、晴れたことに対して、あけびは特に、何も思わなかった。
「――――、なるほど」
壊れかけか。面白くない。
ぼんやりとその言葉を聞いていた、あけびの世界が再び色を取り戻す頃には、紅い鳥居の向こう側には何もなくなり、あったはずの鳥居の姿も、朽ちてしまっていた。
チリ、ン。
いつも以上に長い口づけが終わった後、あけびが上がった息を整えようとしても、触れられているためか、あまり、うまくはいかなかった。
あまり声をあげるのは好きではない。
「あけび」
堪えようとしていれば、名を呼ばれた。
「…っは、い」
時折、思い出しそうになる何かは、思い出すことが出来ない。
ただ、何か恐ろしいものが在ることだけは、感覚で、分かる。
唯一覚えている自分の名前を呼ばれながら、あけびは思った。
「此処から出たいか?」
「…?ど、して、ですか?」
「私に喰われたいか?」
「…?なに……んっ」
一体何を言っているのかを尋ねようとして、尋ねることは出来ず、満足そうな彼の笑みを見て、ただ、好きだなあとあけびは思った。
end.
2018.04.02