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葦火だけが知っている

※犬神と青年

轟々と、燃えている。

村の至る所で、火の手が上がっていた。
家に燃え移っている可能性も考えられる。

「あ」

そうこうしているうちに、視線の先にあった青年の生家が燃え始めた。
小さく声を上げただけで、青年の表情は変わらない。
いつの頃からか人前では笑わなくなった青年はそれでも、義務教育を終え高等部の学習を終え、短大での学びも終えた。

もうすぐ、いいよ。

青年がそう言ったのは、短大での学びを終えようとしていた、そんな折だった。

あの場所には良い思い出がない。
でも、自分の戻ってくる場所はあそこしかない。
だから戻ってくるしかない。
連れて行ってほしいけど、まだダメ、行けない。

泣くことも笑うことも出来なくなってしまった少年が何を思ってあの時はダメだと言ったのか、今となっても分からない。

「本当にいいのか」
「うん。良いよ」

随分、待たせてしまってごめんなさい。まだ、気が変わっていないのなら、連れて行って。

青年は言って、その身一つで、ぎこちなく微笑んだ。
白地に寒色の波紋の浮かぶ浴衣を、青年のために誂える者はこの村にはいないはずだ。
其れでも彼は今、其れを着ている。
対の浴衣になる様に思い浮かべ、人の姿に転じれば青年の目が見開いた。

「浴衣、似合っている」
「……合わせてくれなくても、良かったのに」

恥じらうように目を伏せた後、そう言われた為に照れ隠しだとは分かっていても口が滑る。

「吾が合わせたかっただけだ。不快だったのなら」
「そんなことない!!!」
「む…そうか」

人の身で十数年は、酷く、長かった事だろう。
自分にしてみればほんの少しの暇つぶし、瞬きをしていれば済んでしまう時間だとしても。

「逃げることもできたはずだ。何故そうしなかった」
「………、約束、したから」

それに、こんなぼくのこと、好きって言ってくれたから。

この村では異端と言うしかない髪色と瞳をした青年が言う。
一目見て、先祖返りだと分かった自分とは異なり、村人たちはどうやら、分からなかったらしい。

青年の生まれ年での先祖返りは、青年だけではなかった。
それでも彼だけは、村人のみならず家族にすら、受け入れられる事はなかった。
そんな彼が今まで学べて来たのは、人ならざる自分たちの存在があったからとも言える。

「―――名を」

現世から隠世に連れていくには名が必要であるという話は、過去に一度だけしたことがあった。

「満ちる月で、満月」

躊躇いもせずに名を告げられ、嗤う他なかった。
本来は名などなくとも隠せてしまうが、現世に未練があるのならばと名を知らなければ隠せないと偽りを告げていたが、彼はもしかしたら、それこそが偽りであると、気付いていたのかもしれない。
彼を愛しいと思う気持ちはあれど、人の身に神の時間は異なりすぎる。
好いていたからこそ、現世に留まっていたいと願ってくれたらという淡い祈りを抱いていたのだが、彼自身が其れを望まないのであれば、もう、名があってもなくても、意味はなさない。

「本当にいいのか」
「うん」

それならばと手を差し出せば、躊躇いもなく手を重ね、ぎこちなく微笑んだ満月はまるで、少年のようだった。

行き場もなく、生きている意味すら分からず死にたいとすら思っていた少年が浮かべていた笑みとは、全く異なる笑みを浮かべている、成長した彼を見て、笑みが零れる。

共に行けないとは言われてはいたが、躰を重ねることに拒絶は見られなかった為に、彼が少年の時分から情交には及んでいた。

「漸く呼べる」

薄らと頬を染める青年が今、何を思っているのかは察することが出来ない。
燃え盛る村を見ても彼の表情は全く動きはしなかった。
それでも、自分の前ではこんなにも表情が揺れ動く。

「満月」
「…………ぃ」

小さな声でずるいと言われ、何がずるいのかを尋ねれば、自分は名前を言ったのに教えてもらえていないと言われた。
満月の体を引き寄せ、自分の名を告げれば、小さく、噛み締めるかのように呟かれる。

「呼び捨てで良い」
「でも…」
「吾が良いと言っている」

火の手は勢いを増してきている。
もしかすると村全体を、飲み込んでしまうかもしれない。
村人が起きる気配は、無い。
その原因に気付きながらも、少年から青年に代わっても愛しいままの満月の表情はやはり、変わりはしなかった。

「おいで、満月」

引き寄せた体を離し、手を差し出せばおずおずと手を重ねられる。
村人や家族の前では見られなかった表情の変化を嬉しく思いながら彼を抱き上げれば、首筋に顔を埋められた。

今まで見ていた風景を思い出さないようにする為ではないということは、察せられる。

きっと、満月は恨んでいた、呪っていた、憎んでいた。
そして今となっては、どうでもいいと、思っている。
村人がどうなろうと、家族がどうなろうと、どうでもいいと。

「るあ、」
「なんだ」
「ぼく、いま、すごく、しあわせ…」
「そうか」

体の作りが変わってもいいのかと尋ねた時、それでもいいと、満月は即答した。
せめて成人ではないと変化には耐えられないだろうと告げれば、分かったと答えられた。
その後に、毎年会いに来るから、絶対、忘れないからと縋るように告げられた。

「満月」
「ぅ、ん…?」

うとうとし始めている満月の体はきっと、既に変化が始まっている。
拒絶反応が見られる者ならともかく、受け入れている者の変化は、早い。
眠りにつき、目覚めるまでどれほどの時間がかかるかはわからないが、少なくとも、彼を悲しませたり寂しがらせたりすることはないだろう。

「ゆっくりおやすみ」
「―――――ん、」

目が覚めた時にいなかったら嫌だと言って、眠りに落ちた満月を抱きしめ、炎に包まれ、悲鳴が聞こえ始めた村に、背を向けた。

2017.10.29


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