ハロウィンタウン:アルケニーとメドゥーサと
「あぁあああ! もう! 信じられないわよッ」
「まあまあ、落ち着きなさいな」


 はああ、と亜麻色の髪の女が深い息をついた。女は、乱暴にグラスをカウンターに叩きつける。ごとんっ、と大きな音がして、グラスの中の紫色の液体がゆらりと揺れ、ほんの少しの滴がカウンターに飛び散った。
 女がうつ伏せになっているカウンターの向こう、苦笑いをしながらグラスを磨く女性が一人。扇情的な、スリットの深い黒のドレスを身に着けて、彼女は口元に苦い笑みを浮かべる。ぴったりと体に張り付くように、身体の線をうつしだすようなそのドレスは、胸元も深く開いていた。豊かな胸の谷間が、くっきりと浮き出ている。
 あんたねえ、他人事だからってぇ──と、飲み過ぎたせいで頬が赤い、亜麻色の髪の女は、アイリスの花を思わせる紫色の瞳を、恨めしげに細めた。ゆるく波打った亜麻色の髪は、ヘアクリップで一つにまとめられている。多少、ぞんざいな纏め方ではあるが。
 黒のドレスの女性は、はいはい、と返事をしながら、金色の切れ長の瞳をゆるめた。その瞳孔は蛇のように、鋭くて細い。


「あたしの魅力に気付かないとか! ばかでしょ、そう思わない?」
「そうねぇ、ケルニの魅力に気付けないなんて、馬鹿な男ねぇ」
「分かってるじゃないのよメルドゥ……あんたが男だったら良かったのに!」
「そうねー」


 酔っ払いの言葉にもかかわらず、黒のドレスの女性──メルドゥは、一言一言に返事をしていく。
 きいい、と、ヒステリック気味に唸った亜麻色の髪の女は、髪を振り乱し、隣にすわっていたミイラ男に声をかける。


「あんたも思うでしょ!? あたしの魅力に気付けないなんて、馬鹿な男だって!」
「あー、ハイハイ、そうだなー」
「ちゃんと聞いてるのッ!?」
「きーてるきーてる。お前は世界で一番魅力的だよー、と」
「軽いッ!」
「ケルニ、君は世界で一番美しい、おれの光だ。君が居なきゃおれは生きていけない」
「重いッ!」
「どーして欲しいんだよ、お前は……」


 はあ、とため息をつき、ミイラ男は頬杖をついた。カウンターに並ぶのは、彼とヒステリック気味な女のみ。しっとりした苦笑いを口元に浮かべ、その二人の会話を見守るのが、先ほどの金の目の女性であり、この美しい女性は、この酒場の店主でもある。
 名をメルドゥといい、彼女はメドゥーサと呼ばれる種族だ。
 メドゥーサである彼女の髪は、蛇に変えることができた。
 ゆるく巻かれた、背中の中頃までの深緑の髪。それは翡翠を思わせたが、まさか蛇に変わるとは誰も思わない。
 また、彼女たちメドゥーサは、その美貌を元に、他人を石化することが出来た。蛇そっくりの瞳孔の細い金の瞳を、じっと相手の瞳とあわせるだけでいい。それだけで、人を石化できる。
 彼女が絶えず眼鏡を身につけているのは、その瞳に宿る“石化の力”をむやみやたらに発揮しないためだ。彼女の瞳に見入られたものは、三秒と経たずに石化してしまうのだという。


 そんな酒場の店主に、臆面もなく絡んでいる、亜麻色の髪の女はケルニといい、彼女はアルケニーという種族だ。
 彼女の上半身は、肩の出た濃紫色のチュニックに覆われた、魅力的で豊満な女のそれであるけれど、下半身へと目を移すと、たいていの人間は叫び声をあげて逃げ出す。──そこにあるのは人のそれではなく、毒々しい色の蜘蛛の下半身だからだ。
 ぷっくりと膨らんだ蜘蛛の腹に、かしゃかしゃと細やかに動く四対の脚。それは、人の恐怖心を煽るには十分で、だからこそ彼女は、恋をしてはその恋に破れている。


 他にも原因はあるのではないか──そう思う者もいたが、口には出さないのが優しさというやつだ。


 その筆頭が、現在そのアルケニーに絡まれている、ミイラ男のリマルであり、彼は彼女が恋に破れる度にこうして、一日中、彼女の自棄酒に付き合っている。
 翌日の二日酔いのことを考えて、リマルはげんなりとするのだが──毎回断りきれずにいる。


「だからさー、いい加減おれにしとけって言ってるだろー、いつも」
「い、や、よ! あんたとは気軽な友人でいたいの!」
「うわー、この返事だとおれも自棄酒コースかなー」
「そのときは私が付き合うわ、リマルさん?」
「頼むぜー、メルドゥ」


 また一つグラスを空にしたケルニに、「いい加減にしないと明日が辛いわよ」とメルドゥが目を細める。
 そのときはそのときよ、とケルニは目元を紅くしながら、新しく出されたグラスも一気に呷った。その隣で、ミイラ男のリマルはちまちまと酒を飲んでいる。
 彼自身は別に下戸でも何でもないのだが、このアルケニーの女のペースにあわせていたら、あっという間に酩酊することは目に見えていた。
 現に、ミイラ男のとなりのアルケニーは、ほぼ酔いつぶれている。


 こうして酔いつぶれた次の日、彼女は酒を飲んだこともふられたことも、全てきれいさっぱり忘れるのだからうらやましい、とリマルはため息をつく。忘れられる事柄の中には、周りにかけた迷惑もきっちり入っているからだ。


 毎回付き合わされて、翌日の二日酔いまで付き合うことになる此方のことも考えてくれ、とは思うが、ふられる度に全力で泣き、全力で罵り、全力で酒を飲む女を見ていると、そうも言っていられないよなー、とリマルはついつい付き合ってしまう。


 見ていないと心配になるというのが、もっとも大きな理由だ。自棄になったら何をしてかすか、わかったもんじゃない。
 腹いせに人を喰うかもしれないし、もしかしたらこの世を儚んで自死するかもしれない。普段はそんな様子は見せやしないが、こうみえてケルニは繊細であり、勢いそのままに行動することが多い。
 矛盾してるよなー、とはリマルも思うが、これがどうしてか事実なのだから、もうどうしようもない。


「あた、あたしだってねえ……!」
「あー、ほら、泣くな泣くな。目ぇ腫れるぞ」
「泣かずにやってられるわけないでしょ……! 何よ、アルケニーはそんなにだめ!?」
「あらあら……」


 今回は根深そうね、とメドゥーサの女性は肩をすくめる。わんわんと泣き出したアルケニーは、肩を震わせながらカウンターに突っ伏した。


「あたしだってねえ! 好きで蜘蛛の体に生まれた訳じゃないんだからッ! ばっかじゃないの? 魚の分際で偉そうにッ」
「お前……今度は魚人かー……」


 前に惚れたのは狼男だったかな、とミイラ男は考える。その頭にはもう脳は詰まっていないのだが、彼の思考力は未だに健在だ。でなきゃ、こんな女には付き合わないし、付き合えない。
 鱗の方が気持ち悪いわよお、としくしくと泣き始めたアルケニーの肩を叩きながら、リマルは「お前の魅力は俺が分かってるから」とため息をつく。
 こんな言葉を恥ずかしげもなく言えるのは、酒が多少入っているということと、どうせ言ったところで、肝心のアルケニーは翌日にはすっきりさっぱりと忘れている、ということの二つがあるからで。
 メルドゥはそれを見ながら、「もう少し周りに目を向けるのも良いと思うわよ」とケルニに優しく声をかける。


「貴女に優しくしてくれる人が、近くにいるじゃない?」


 ぐすん、と鼻をすすりながら、アルケニーは首を傾げた。


「ミシェルとか?」
「貴女ねー……」


 なんでそうなるのかしらとメルドゥはため息をつく。リマルがなんだか哀れだ。そっと彼女が視線をリマルに持って行けば、リマルは苦く笑っていた。
 けれど、あまりショックではないようだから──よくあることなのでしょうね、とメルドゥはケルニに気付かれないように、リマルに苦笑を返す。


「ミシェルさんねー。……ミシェルさんはほら、女性なら誰にでも優しいでしょう?」
「そうね、確かに優しいわ……あいつ、いつも誰かをくどいてるし」
「本気じゃなくて挨拶みたいなもんだ、って本人は言ってたけどなー」
「ミシェルさんらしいわね。……ああそうだ、そういえば、ミシェルさん、明日か明後日当たりにはまたここを出てしまうみたい。リマルさん、しってらして?」
「いんや。初耳だな。また“商い”か?」


 この、モンスターばかりが暮らす洞窟の中でも、ある意味で有名なクルースニクの話に、泣いていたアルケニーも顔を上げた。


 そのクルースニクの名はミシェルというのだが、クルースニクという種族の癖に、未だかつて一度も、吸血鬼を退治したことが無いのだという。
 クルースニクとは生まれもっての吸血鬼ハンターであり、一生を吸血鬼退治に捧げる種族なのだが、かのクルースニクは何故か、吸血鬼を退治しないし、寧ろ吸血鬼と仲がよい。
 今頃は、魔女の毒薬のせいで自室に伏せっている吸血鬼を、からかいに行っている頃だろう。
 この話題にあがったクルースニクは、それくらいの不真面目さを持って、毎日をおもしろおかしく愉快に過ごしているようだった。


「いいえ? 何だか、“めんどくせえ連中に呼ばれちまった”とか言っていたから、違うのではない?」
「ほおー。どうやら“同胞”からの呼び出しか? あいつも年貢の納め時かもな」
「どうかしらー。ミシェルさんはそういうのはどうにかして逃げそうだけど」


 お仕事命令でも出されるのかねえ、そう言ったリマルに、「あの人は一生仕事をしないと思うけれど」と、メルドゥが鈴を転がすように笑う。全くだとリマルも同意すれば、「仕事してないからこそのミシェルよね」とケルニまでが笑った。


「早く帰ってきてくれないかしら。ついでに上辺だけの挨拶でいいから、私を口説いてもらいたいわ」
「オイオイ……」


 俺が口説いてやるって、と少し焦ったリマルに、「冗談はやめてよ」とケルニがしっしと手を振った。


「あんた、好きな子にも告白できないタイプじゃないの。女を口説くとか一生無理ね。性格はチャラチャラしてるのに、肝心なときに発揮できないタイプ、ってのがよぉく分かるわよ」


 あんまりにもあんまりな言葉に、ミイラ男ががっくりとうなだれる。
 あらあら、これは私が自棄酒に付き合わなくちゃいけないのかしら、と酒場の店主のメドゥーサがほんのりと苦い笑いを浮かべる。


 モンスターたちの愚痴大会は、もう少し続きそうだった。


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bkm


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