ハロウィンタウン:少女とクルースニク 2
「流石に暗いな……エカ」
「あ……ありがとう、ミシェルさん」


 吸血鬼の根城──棲家──ともなれば、エカやミシェルのいた洞穴──通称「あなぐら」、またの名を「ハロウィンタウン」──よりも断然暗くなる。
 エカが転ばないようにと、ミシェルは己のそれよりもずっと小さな少女の手を取った。
 古城でもう【人】は棲んでいないとはいえ、長い石畳に赤い絨毯が敷かれた廊下には幾つもの燭台が取り付けられている。
 残念なことがあるのだとすれば――それは、そのどれにも蝋燭が立てられていなかったことだろう。
 蜘蛛の巣の糸なのか、はたまた長き年月によって積もった埃なのかは判然としないが、本来なら蝋燭が立てられているべきであろうそこは、うっすらと白いものに包まれていた。
 蝋燭はない、つまり、火などはつけられていないから、当然暗い。
 

「薄っ暗いな、相変わらず。黴臭くないのがせめてもの、ってやつか?」
「仕方ないわ、だってミスター・ヴィトランカは吸血鬼だもの」
「とは言うけどなー。俺は日光に好んで当たりに行く吸血鬼を知っているわけで。そいつに慣れちまうと、蝋燭をつけねえ吸血鬼、ってのがなァ」
「初耳よ、ミシェルさん。……その人は本当に吸血鬼なの?」
「ああ。聖水を飲んだり、大蒜育ててたりするけど、間違いなくあいつは吸血鬼だぜ」
「……世の中にはいろんな人がいるのね」
「あんだけトチ狂った奴はそうそういねえけどな。……お、やっとついた」


 二人で話し込んでいる内に、いつの間にかこの城の主の部屋の前まできていた。
 相変わらず無駄に長い廊下だよなあ、と呆れたように呟いて、ミシェルは豪奢な扉を、乱暴にノックし始める。入室の許可を得るノックというよりは、借金の取り立てを思い出させるような、そんな叩き方だ。


「おい、来てやったぞシャゴール」


 不作法なミシェルの呼びかけに、部屋の中からもごもごとした返事。今回は結構キツいの盛られたのかもな、とミシェルは冷や汗を額に垂らしながら、豪奢な扉のドアノブを回した。
 ツウィルという魔女は、ミシェルやシャゴールに殊更に厳しい。それはこの二人の普段の行いのせいなのだが、薬を無断で拝借する度、毒薬を盛られるのはシャゴールだ。何だか可哀想、とエカはいつも思う。ミシェルは大抵巧く逃げてしまうから、後始末と云う名の制裁を受けるのは、常にシャゴール一人であり。
 怒ると怖いツウィルの制裁は、彼一人に集中してしまう。


「おお、倒れてるな」
「感心しているところではないだろう、ミシェル……貴様」
「まあまあ、怒鳴るとお身体に障りますよっと」


 王族が使用していそうな、豪華な天蓋付きの寝台。深紅の薔薇を思い起こさせるような、しっとりとした真っ赤なシーツに、顔色の悪い青年が沈んでいる。
 くすんだ灰色がかった黒髪を、赤いシーツに散らばして、うう、と青年は呻く。ウィスキーのような、琥珀色の瞳がギュッと閉じられた。


「くそ……胃が痛い……」
「いやあ、ご存命で何よりですよ、ミスター?」
「誰のせいだと思っている、ミシェル!」
「はっはっは、悪い悪い。今回は何を盛られたんだ?」
「“全身の毛穴から血が吹き出る猛毒”だ」
「げっ。おいエカ、ベッドシーツに近づくな」
「了解よ、ミシェルさん」


 天蓋付きの寝台から、さっと離れた二人に、顔色の悪い吸血鬼は「このシーツの色は元からだ!」と声を荒げる。当然、エカもミシェルもそれは承知の上だ。ミシェル風に言えば、“ちょっとしたお茶目”と言うやつで。


「レディ、そんな馬鹿と私を虐めて愉しいか?」
「冗談です、ミスター・ヴィトランカ。ミスターには毒薬があまり効かないって、ツウィルさんが言っていたから」
「エカ、俺としては“そんな馬鹿”を否定して貰いたいんだけど」
「そうね、考えておきます」


 くすくすと笑ったエカに、言うようになったよなァ、とミシェルも愉快そうに笑う。シャゴールも、フン、と鼻で笑ってはいるものの、なかなか愉快そうだった。
 けれど、その顔もすぐに苦痛に歪められる。
 今回は割とキツめだな、と他人事で呟いたミシェルに、どうしてくれようか、とシャゴールは唸った。


「シャゴール、お前不死身で良かったな」
「不死身でも辛いことは辛いと云うのに……お前もツウィルも、私のことを何か勘違いしている!」
「勘違い、なァ……煮ても焼いても刺しても打っても死なねえってのは、なかなかに面白そうだけどな」
「それを面白がって薬の実験台にしているのがツウィルだろう! たまには貴様が飲め、ミシェル」
「嫌だよ、俺は不死身じゃないからな」
「クルースニクのくせに戯けたことを。どうせ、クドラクに殺されない限りは死なないのだろうが」
「さて、どうかな。殺したことも殺されたこともねえから分かんないなー」


 ははは、と軽く笑ったミシェルに、シャゴールはその琥珀色の瞳を鋭くした。
 いつもとおんなじね、とエカはこっそり笑う。こうやって言い合うくせに、ミシェルとシャゴールは仲がいい。本当ならここにもう一人、ミイラ男が加わると賑やかなのだが、あのミイラ男は今日は別件で忙しいのだろう。仕立て屋のアルケニーが、先日、思いを寄せていた男性にふられてしまったから、今日あたりはそのアルケニーに付き合って、彼は一晩中、いや一日中、飲み明かすことになるのだろうし。
 明日は明日で大変なのだろうなあ、とエカは笑ってしまった。きっと、ツウィルが目覚めて、薬屋を開いた瞬間に、あのミイラ男は駆け込んでくるだろう。彼が酒に弱いときいたことはないが、一日中飲んでいれば、二日酔いに悩まされるのは想像に難くないわけで。
 そのたびにあの、今現在エカの母親代わりとして、エカの面倒を見てくれている魔女のツウィルは、苦笑いをしながら薬を彼に渡すのだから、ツウィルが冷たい訳じゃないのだ。
 ここにいる、少年のような成人男性二人が、問題児すぎただけで。


「来たはいいけど、その様子じゃすぐには起きられねえだろうしなー。さて、どうするか」
「なんだ?また外にでも行く気か、ミシェル」
「ああ。ちょっとばかし用があってなァ。一人で行くのは寂しいだろ?」


 ぱちん、と綺麗に片目をつぶり、人気劇団の有名劇団員も顔負けのウィンクをしたミシェルに、うえっとシャゴールが吐く真似をした。


「貴様からのウィンクなど欲しくもない……体調が悪化する……」
「失礼だな、娘さん方はこれを見たら頬を赤らめて俯くんだぞ?」
「頬が赤くなったのは、突発的な風邪にでもかかったのだろうよ」
「俺のウィンクでか? 人を風邪菌みたいに言うんじゃねえって」
「風邪菌の方が幾分ましだ、薬で死ぬからな」


 その点、貴様は薬じゃ死なないだろう。
 血のように紅いベッドシーツに倒れ込みながら、吸血鬼はにたりと笑う。全くだな、とミシェルも笑った。
 自覚済みというのも厄介よね、とエカは思ってしまうのだが、まさか十にも満たないような子供が、そんなことを考えているとは誰も思わない。
 エカが何を考えていたところで、この吸血鬼とクルースニクは気にもしないだろう。
 吸血鬼のシャゴールと、吸血鬼ハンターの“クルースニク”であるミシェルが、こうして仲良く付き合っているのは、二人ともが他者に無頓着だからだ。
 相手が何者であろうと、自分に都合が悪くなければ、楽しくやれればそれで良い。
 条件次第では、“永遠に近い命”を持つクルースニクの青年と、何故だかよく分からないが、完全に不死の体を手に入れている吸血鬼は、揃いも揃って刹那主義だ。
 刹那にしては長すぎる時を手にしている2人だが、二人曰く“楽しめるときに楽しむのが生涯”だそうだから、今後何千年にも及んで、この吸血鬼と、吸血鬼ハンターの二人に惑わされる女性は後を絶たないのだろう。


「ま、それはいいとして。──そんなわけだから、エカに何かあったらお前、よろしく頼むぞ」
「あの魔女がついている時点で、何も起こりはしないさ。心配いらない」
「とは思うけどな。一応って奴だ。俺の兄の居場所も知ってるだろ?」
「“一応”だがな。……しかしなんだ、まさかお前の兄があの──」
「知ってるなら問題ねえな。リマルはケルニのお嬢さんと、一晩飲み明かすんだろ? しばらく戻らないっていっておいてくれよ」
「仕方がないな。急ぎの用なのか?」
「そこそこ、な。……“同胞”に呼ばれちまってさ」


 あー、面倒だっつーの。
 はあ、とため息をつくミシェルに、「やっと仕事か?」とシャゴールがにやりと笑う。どこかの吸血鬼みてえなこと言うなよ、とミシェルはげっそりした顔をした。


「ってわけでエカ、お土産期待してろよ」
「あら、お土産なんて持ってきてくれるの?」
「適当に買ってくるだけだけどな。寂しがるなよ?」
「ミシェルさんがいないとツウィルさんがいらいらしないからいいわ」
「……辛辣だな、この歳にして」
「そう?」


 肩をすくめたエカの頭を、ミシェルはがしがしと撫でる。
 いってらっしゃい、の代わりに、エカはミシェルに抱きついた。


「早く帰ってきてね、昼間にお話出来る人は少ないから」
「任せろ、適当にサボるつもりだ」
「それはだめ」


 ひんやりとした、今は人の住まない古城に、三人分の笑い声が響く。
 吸血鬼ハンターの青年は、小さな少女を抱きしめ返した。


「この幼女趣味め」


 ふ、と笑いながらそう言った吸血鬼の男の頭に、吸血鬼ハンターの青年のブーツがめり込んだ。


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bkm


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