妖宴 4
 良い風が吹いているなあ、と玄冬は目を細める。さやさやと微かな音を立てて、木の葉が風に揺られていた。
 何千年ぶりかという、懐かしい故郷。穏やかな風に、心も穏やかに凪ぐのを感じる。
 

「おいこら玄冬、お前も少しは手伝えって」
「もう少し休んでからね」
「休む以前に働いちゃいねえだろうよ。もう天狐でもねえんだ、容赦しねえぞ」
「はは。白秋は怖いですね。……仕方ない、動くか」
「腰が重すぎるんだよ、この横暴大将」
「懐かしいなあ、その呼び名」


 嫌みのはずだったそれにしみじみと返され、白秋はがっくりと肩を落とす。手にしていた鉈が、汗でつるりと滑りそうだった。
 危ないですよ、白秋、と玄冬に声をかけられ、誰のせいだと思ってんだコラ、と舌打ち混じりに返せば、風より穏やかな笑い声がした。
 笑い事じゃねえだろとむくれる白秋に、じゃあ後は私がやりますよ、と玄冬はくすくす笑う。


「ああ、鉈は要りません」
「要らないってお前、じゃあどうやって竹を切るってんだよ」


 生い茂る竹と笹は、人の出入りを拒むように神社の周りを取り囲んでいる。これでは、行き来もしにくいというものだ。
 神社から出る度に竹と笹の葉で切り傷を作るというのも、癪である。
 こうすればいいでしょう、と竹林に向かって左手を翳した玄冬に、ちょっと待てよと白秋は制止をかけた。


「まさかお前、焼き払うなんて馬鹿なことはしないよな?」
「これが一番手っ取り早いでしょう」
「馬鹿野郎、燃え移ったらとうすんだよ!」
「そんなへまを私がすると?」


 “横暴大将”の頃の、人の悪い笑みを浮かべ、玄冬はさあ下がりなさい、燃やされたくなかったら、と白秋を片手でしっし、と追い払う。
 どうなっても知らねえぞ大将、と憎まれ口を叩きながら、白秋は玄冬の後ろに下がる。
 玄冬は軽く左手を宙で払うと、ぱん、と手を打った。
 めらめらと、何もないところから炎が延びる。



 “狐火”。妖狐なら誰でも使える、炎の術だ。但し、並の妖狐はこれほど大きな炎は呼び起こせないし、そもそも、竹林に点火などしない。
 慎重そうでいて大胆な玄冬しかしないことだろう。
 青竹、青笹が赤い炎に絡め取られては、ほろほろと灰になっていく。あっという間に、神社の正面の竹林は灰となってしまった。ぽっかりと通った道が、何ともいえず嘘のようである。


「ほら。平気でしょう」
「いやあ……いやあ、洒落になんねえなこれは……」
「洒落じゃないですからね。現実だよ、白秋」


 すっと通った灰の道を、白秋は恐る恐るといった様子で、心配そうに踏みしめて行く。
 失礼だなあ、何も怖いことなんてありませんよと言いながら、玄冬もそれに並ぶ。
 着たときより遙かに楽に、神社の前の広い道に出た。
 道といえども、広くなった獣道と対して変わりはしないのだが。


「おや」


 何かを面白がるような、低くも高くもない男の声。
 その広い獣道を、紫の布地に、派手な模様の入った着物を纏った男が歩いていた。
 男の耳は黒い猫のそれであり、腰元あたりから延びる、二股に分かれた尾は、まさしく猫又のそれ。
 見事に開いたねえ、とやんわり笑いながら、「新しくいらした方でしょう」と猫又の男は言う。


「僕は撫子と言います、見ての通りの猫又です。旦那さん方は妖狐の?」
「お初にお目にかかります、空狐の玄冬と申します」
「玄冬さんね。そちらの旦那さんは?」
「白秋だ。玄冬と同じ空狐だな」
「白秋さんですか。どうぞよろしく」


 にこりと笑った猫又に、こちらこそと二人も返す。猫又の煙管から、ふわふわと煙が漂っていた。
 ふ、と煙を吐いた猫又は、すっと目を細めて「狐の方とは」と呟く。


「先程は妹が迷惑をおかけしたみたいですね」
「妹?」


 はて、猫又の娘など見てはいないが、と首を傾げた白秋とは裏腹に、玄冬は微笑みを浮かべたままである。
 猫又の撫子は一瞬だけ、その紫の瞳に冷たい色を宿したのだが、それには白秋は気付かなかった。


「ああ、義理の妹です。玉兎の」
「白桜さんですね。先程お礼を述べたところです。この社を管理して下さっていたみたいで」


 ふ、とまたも猫又は煙をはいた。ふらりふらりとそれは空気に溶けていく。


「不躾なことを聞きますが、玄冬さん」
「なんでしょう」
「あの子のお知り合いですか?」
「白桜さんですか? 今日あったばかりです」


 表情を変えずに、微笑みのまま答えた玄冬に、撫子も笑みを崩すことなく「そうですか、これは失礼」と軽やかに答える。
 ぱさりと撫子の着物の裾が、風に揺られて撫子の足首をたたく。
 なんだか妙な空気が漂ったのを、白秋は感じ取った。


「神社を気に入っている娘なんですよ。もし、ご迷惑をおかけしたら僕に言ってください」
「ご心配なさらずとも、撫子殿」
「殿、なんて堅苦しい。やめて下さい玄冬さん」
「はは、これは失礼、撫子さん」


 お互いにくすくす笑ってはいるものの、どうも空気は冷ややかである。玄冬が嘘をついたことを、撫子は感じ取りでもしたのかと、白秋はその場を静観していた。
 この撫子と名乗る青年は、どうも掴み所がない。煙管から漂う煙のように、ふわふわと実体がとれないのだ。
 距離をつかみ損ねているのだろうか、と白秋は玄冬をちらと見る。相変わらずの、穏やかそうな笑顔だ。


「それでは、また」


 煙を揺らしながら、猫又の青年は道を下りていく。確かあの先には昔、荒ら屋があったなあ、などと思いながらも、玄冬と白秋はその後ろ姿を見送った。
 撫子色の派手な着物が、遠くなり、消える。
 撫子の姿が完全に見えなくなってから、玄冬が口を開いた。


「あの人、相当、場数を踏んでるなあ」
「だよな。お前を相手に怯まなかった──って、お前さ、初対面なのに妖気浴びせるなよ……。俺の方がびびったわ」


 あのとき漂った変な空気。つまりは、撫子に玄冬が威嚇をするように、妖気を浴びせかけていたということで。


「何がそんなに気に食わなかったんだよ、大将?」
「なんでしょうねえ。もしかすると、私は彼が極悪人であってほしかったのかも知れないな」
「はあ?」
「気にしないで下さいよ、白秋。まあ、彼は間違いなくあの“賭博師”でしょう」
「だろうな、見た目からして派手だ」


 紫の着物、煙管に掴み所のない微笑み。
 ああいう者ならば、確かに賭博師には向いているのかもしれないな、と玄冬は、青年の消えた道のその先を見つめる。


「とりあえず、一段落ついたら挨拶にいこうか」
「だな。俺達がいた頃とは顔触れも変わってるだろうし」


 神社周辺の環境を整えたら、村の住人に挨拶を、と二人は決めて、再び笹と竹の始末にかかった。
 

 その後、「神社周辺が火事だ」と大騒ぎされたことに、白秋は三日ほど「だからやめろと言っただろうが」と玄冬に言い続けることになる。


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bkm


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