クドラクとクルースニク 4
「おいおい」
 日はとうにとっぷりと暮れた、日付が変わる間近の街のバーで、青年は目を丸くして、開けた扉をそのままに、入り口付近で突っ立ってしまった。
 ひゅるりと首筋を撫でた風に彼はぶるりと身を震わせ、深刻そうな顔をしながらバーのカウンターの角に、目立たないようにそっと移動する。
 洒落たジャズが流れ、煙草と酒の匂いがふわりと漂う、静かで落ち着いた空間――だというのに、彼は落ち着けやしなかった。

「あいつ……外に出るのか……」

 バーのカウンターの一席に、『いるのが当たり前』かのように佇んでいる、黒髪の真面目そうな男は、間違いなく青年の双子の兄だった。
 それも、普段は外になんて出ようとしない、出不精の兄だ。
 そんな兄が外に出ている――しかも、バーにいる。
 別に、彼の兄は酒を飲まないわけでもないし、寧ろ普通以上には飲めるというか、彼はあれほど酒を飲んでも酔わずにいられる者を、兄以外に知らない。とは言っても、兄は酒が殊更に好きというわけではないから、バーにくる意味も分からない。
 更に言ってしまうなら、バーとはある意味で『出会いの場』であり、だからこそ、ほとんど人に興味を持つことがない彼の兄が『出会いの場』にいるのは、青年にとって衝撃的だったのだ。

「しかも女連れ……」

 黒髪に眼鏡をかけた、堅実そうな男の隣には、鮮やかに笑う茶髪の女がいる。胸元が大きく開いた、扇情的な服を身に纏い、毒々しい程に明るい、蛍の光を思わせるような黄緑色の酒が入ったグラスを傾けていた。

「あいつ、あんなのがタイプか……」

 クソ真面目のくせに選ぶ女は尻軽っぽいな――と、自分のことを棚にあげて、青年はまじまじと一組の男女を観察し始め、呟く。
 青年の兄――つまり今現在、女と共に酒の入ったグラスを傾けている男は、誰に何を言わせても「真面目」、という答えが返ってくるような性格だ。
 日々慎ましく生活を送り、酒に溺れることも、女に夢中になることも、博打で身上を潰すようなこともない。
 
 ――青年とは正反対の、良くできた男である。
 
 青年は酒も女も博打も大好きで、ついでにいうならヘビースモーカーだった。
 夜中に遊びに出ていき、夜に知り合った女の元に転がり込んで、夜が来ればまた町に繰り出す青年のことを、青年の兄は『類い稀なるクズ』と称していたし、青年の方も特に否定はしていなかった。別に、その『類い稀なるクズ』というある種の称号を、不愉快に思うことはなかったからだ――残念ながら(・・・・・ )。
 薄暗い中、ぼんやりとした照明が、いかにもといった雰囲気を漂わせているのだが、そんな中でも、まるでスポットライトが当たっているかのように、青年には兄と女がはっきりと見えていた。

「あー、くそ、別嬪じゃねェか」
 
 ほのかに輪郭が見える程度の光でも、青年には女の顔立ちがはっきりと見えていた。
 多少ケバい感じがする化粧の仕方ではあるが、目鼻立ちの通った、はっきりした美人だ。
 扇情的な服装も相まって、まさしくもって『夜の蝶』。

 もっと大人しめのがタイプだと思ってたんだけどな、と青年の方もグラスを傾けながら、話し合う二人を横目で見やる。
 無表情に近い顔でグラスを傾ける男と、笑顔で話しかける女。あまり話が弾んでいるようにはみえないが、女のほうは楽しげだ。
 真面目そうな男に、誠実そうだとは言えない女。顔面偏差値でいうならば、男も女もつりあっている気がするが、雰囲気だけなら、見れば見るほど不釣り合いなペア、といったところだろう。癪に障る話ではあるが、青年の兄はかなり整った顔立ちをしている。

「ま、俺と双子ってんだから当たり前だな」

 適当に頼んだカクテルをかぱりと一気に流し込み、そう呟いた青年の顔立ちも整っていた。
 しかし、兄の方は青年に比べれば「地味」な感じではあるから、ああいった「夜の蝶」と並ぶと、どうも違和を感じてしまう。
 夜の蝶のような、派手派手しい女とグラスを傾けるよりは、花屋の娘と、ハーブティーを飲んでいる方が似合いだろう。
 もっとも、花屋の娘はこんなバーにはいないだろうし、あの兄と花屋の娘が知り合いになるとも思えないのだが。
 青年の兄は、村から少し離れた森の中にある山小屋で、悠々自適でのんびりとした“引きこもり”生活をしていたし、滅多に村に訪れることはなかった。
 そもそも、青年の兄は人間(・・・・)と関わることをあまり望んでいない様子だから、こうして人目につくような場所にいることが奇跡に近い。
 そうなると、とカクテルを飲み干したグラスの底に沈んでいた、血のように赤いさくらんぼを口に含みながら、青年は男と女を見やって考える。

「食事にでも来たか?」

 さくらんぼの軸を口内で弄び、器用に軸に結び目を作った青年は、口に指をつっこんでそれを取り出す。それをまたグラスに戻してから、ニヤリと性格の悪い笑みを浮かべた。

「吸血鬼、だもんなァ」

 彼の兄は吸血鬼――クドラクだった。
 他者の生き血を啜ることで生きるこの吸血鬼は、しかし無闇に他人の血を吸うことを是としなかった。
 だからこうして、必要になったときだけ村や町に現れては、他人の血を少し頂いて帰ってくる。
 クドラクの山小屋の台所に当たるスペース、上部に備え付けられている棚には、血の入ったボトルがいくつも並んでいるのを青年は知っていた。
 青年が、随分と昔に兄から聞いた話であるが、吸血鬼にも食物を摂取する意味はあるらしい。
 生存に必要な栄養摂取こそ出来ないが、空腹は食物で紛らわせることが出来、空腹のために無闇に人を襲うことも無くなるだという。
 つまり、青年の兄は食物で空腹を紛らわし、血を摂取することで生存に必要な栄養を得ていた。
 職業としての吸血鬼ハンター(クルースニク)に、その強大な力ゆえに恐れられることも多い彼の兄(クドラク)は、実際のところ、それほど人類に害をなすような存在ではないのだ。
 十字架もどうとも思わない、聖餅はウエハース扱い、日向ぼっこをしに外へ行ったり、刺しても切っても死にもしない、にんにくなどは薬味程度にしか思わない、挙句の果てには教会に礼拝をしに行くような吸血鬼だ。
 信心深くも無いが、吸血鬼らしくないほどには人間じみた生活を送っている。
 だからこそ、青年は彼が【栄養摂取の食事】をとりに来たのだと思っていたのだが――
「ん?」
 男の、青年の兄のほうが席を立った。
 女のほうは何事かを男に言い連ねているようだが、男のほうは片手の手のひらを軽く挙げることでそれをやめさせると、二人分の飲み代にしても、少し多く余るような金額を置いて出て行った。
 りり、と小さくドアベルが鳴って、青年の席にまで外の冷たい空気が届いてくる。
 ひやりと頬を撫でたその空気に、青年は目を細めた。
 青年の方もグラスの傍らに適当に金貨数枚と銀貨を置くと、「余ったら適当に使ってくれ」と言い残して外へ出る。
 ボトルで酒を頼んでも釣りが来る額だっただろうから、酒代が足りないということは無いだろう。
 雪の降り積もる外に出て、コートをしっかりと身に巻きつけながら、青年は兄を追った。
 全体的に黒い服装の兄の姿は、真っ白な雪の中ではよく目立つ。
 程なくして見えてきた、黒いハイネックのセーターに、青年は声をかける。
「よう、色男」
 一瞬立ち止まる素振りを見せたものの、クドラクは何事もなかったかのように歩き始めた。俗に言う「シカト」というものである。
 自分を無視したまま歩き続ける兄の隣を、笑顔で歩き始めた青年は、兄と全く同じ歩調で真っ白な雪に足跡を付けていく。
 雪と同じくらいに揃いコートの裾は、青年が革のブーツを動かすたびに揺れた。
「……いつまでついてくる気だ、クルースニク」
 十分かそこら、村から森に向かう道の途中にある、最近「死者の話し声が聞こえる」と噂になっている村の共同墓地のすぐ近くで、青年とその兄は立ち止まる。
 クドラクが血のように赤く氷のように冷ややかな目で、青年の青い瞳をにらみ付けた。
 眼鏡のガラス越しとは言えども、射抜くようなその眼差しの刺々しさは、青年にも良く伝わってくる。
「面白そうな話を聞けるまで、だな。あの娘と何話してたんだ、クドラクさん?」
「答える義務は無いだろう」
 面倒くさそうな言葉に、青年はひゅるりと口笛を吹く。
「可愛い女の子を侍らせておいてそれか?オニーサマがそんな遊び人だったとは意外だぜ」
「君と一緒にされるとは心外だな、クルースニク」
 吐き捨てるようにそう言って、眼鏡をかけた青年は自分の弟に抑揚もない声で続けた。
「一杯飲みたいといわれたから付き合っただけだ」
「んで、『一杯飲んで』出てきた、と」
「そうだ」
「……くそ真面目っていうか――お前……」
 女泣かせだなァ、と呆れたように呟いて、青年は足元の雪を蹴る。
 白い粉雪が、青年の足元で舞い上がった。
 ブーツを埋めるようにして再び舞い落ちた粉雪を、青年は振り払うようにして足を振った。
「吸血鬼なんだから、女の一人や二人たらしこんでみろっての。ほんと吸血鬼らしくねェよな……血を飲みに来たわけでもないんだろ、その様子だと」
「吸血鬼ハンターらしからぬ君に言われるのも釈然としないが――先日、君が拾った子供がいただろう」
「ん?あー、人狼と俺に『仲間に入れてくれ』っつった嬢ちゃんか。その子がどうかしたか?」
「その子には兄がいたんだ」
 ほう、それで、と青年は続きを促す。
 先日、夜道を歩いていたところを狼男のヴォルフに心配され、色々あって保護された人間の少女がいるのだが、彼女は普通の子供とは違っていた。
 最初こそ狼男のヴォルフに怖がって泣いたものの、すぐに泣くのをやめ、怪物である自分たちを目にしながら「私も仲間に入れて」と宣言した、肝の据わった少女である。
「名前は」
「ん、確かエカって言ってたな」
「やはりか」
 特に驚くこともなくそう呟いて、青年の兄である吸血鬼は無言で墓地を指差す。
「最近、『死者の声がする』という噂が流れているのだが、知っているか」
「おう。結構噂になってるよな。で、それが何に関係あるんだ」
「その、『エカ』の兄がここに眠っている。ついでに言うならその兄はリビングデットで、その噂の元になった人間だ」
 大人しく話を聞いていたクルースニクが、雪の降り積もった墓地を見て呟く。
「つまり、噂は本物だったってことだな――死体が話すのも死者が話すのも変わらねえし」
「問題点はそこではない」
「オッケー、その口ぶりだと嬢ちゃんは身寄りがないってところか?さてどうするか」
「頭だけは良く回るようで説明が楽だ。今日はその少女の引き取り手を募るためにきたんだが、引き取ってくれそうな人間はいなかった」
 人間(・・)は、な。
 そう呟いて、クドラクは腕を組む。
 人間(・・)は、か。
 そう呟きに返して、クルースニクの青年は面白そうに口元に弧を描いた。
 
「リビングデットの兄の知人に、魔女の少女がいた。経緯は省くが、兄を死に至らしめたのはその魔女の少女だ」
「その少女が引き取るとでも?」
「いや、引き取るのはその少女の従姉妹の魔女だ。確か、ツウィルと言ったか?君の知っている人物のはずだが」
「お、おお……また凄い奴だな……」
 ツウィルとは、クルースニクが棲んでいる『あなぐら(・・・・)』に、同じようにして棲んでいる魔女の女性のことだが、この魔女はかなりクセのある性格だった。
薬屋を営んでいる、見た目と言動は優しそうな女性なのだが――
「あいつ子供の面倒なんて見るのか?」
「……穏やかな性格と聞いているが?」
「あいつ、ちょっとしたことで恐ろしくなるぜ」
「……大方、君のせいだろうよ」
「ちょっと薬借りただけなんだけどな」
「どう考えてもそれが原因だろう」
 いい年して盗人まがいな事も始めたのかと、心から呆れた顔をした自らの兄に、青年は「毎回埋め合わせはしてるけどな」と笑顔で言い放った。
 それだから恐ろしくもなるのだろうとクドラクは思ったが、元より「三拍子揃ったクズ」のクルースニクにそれを言っても意味は無いだろうな、と降り積もる雪に目を向ける。
 自分には寒さも熱さもあまり感じられないが、純粋なヒトの少女にはこの寒さは厳しいことだろう。
 歳の離れた兄と一緒に面倒を見ていたときのことが、ふと脳裏に過ぎった。
 いつまでもちょこちょこと兄の後ろについて歩いていた少女が、今や一人で真夜中に村の外に飛び出し、出会った怪物(モンスター)に「仲間にしてくれ」などというほどなのだから驚きだ。
 自らは時間が止まったような存在であるとはいえ――時の無常さを思い知ったような気分になったクドラクは、深く息を吐き出した。

 体温すら余り上がらない体では、口元から白い呼気が出てくることも無かった。


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