舞台裏のモンスター:ゾンビと魔女
さやさやと鳴る草木の姿さえもない、荒れ果てた墓場。おとぎ話の魔女の鼻を思い起こさせるほど不気味に捻れた、灰色っぽい木肌の枯れ木が、猫の目のような月光にさらされている。
 静かに立ち並ぶ墓石は、重々しく不気味に、整然と並んでいた。
 墓石にこびり付いた土、絡んだ蔦、歪んでしまった木製の十字架――今が夜でなくとも、こんな墓場には誰もこない。
 花を手向ける人も遙か昔にいなくなり、埋葬された遺体はすっかり土になってしまったのだろう。
 とある村の外れに広がっている墓場は、専ら子供に対する脅し文句として使われていた。
「悪い子は墓場に連れていきますよ」
「お墓には怪物がいて、悪い子を食べちゃうのよ」
「それが嫌なら」
「お母さんの言うことをよく聞きなさい」
 村に住む子供たちは墓場を怖がり、母の言うことをよく聞いた。
 墓場を怖がった子供が大人になるにつれ、墓場には本当に人が寄りつかなくなっていった――
「好都合よね」
 そんな、人の寄りつかない墓場をこともあろうに真夜中に探索する少女が一人。
 正気の沙汰ではない――と人は口を合わせて言うだろう。
 湿った土を踏みしめ、ランタンを片手に、影のようにするすると墓石の間を進みながら、少女は暢気に鼻歌を歌っていた。

 ささくれた木製の十字架に、ケープが引っかかっても大して気にしないし、ランタンの光に蛾が集まってこようと、湿った泥の臭いがしようと、少しひんやりする風が首筋を撫でようとお構いなしだった。
 少女にとってそれは、不気味でも不快なものでもなく、寧ろ心休まる――安心するものだった。
 少女は人ではない。神を愚弄し悪魔の祝福を受けた、れっきとした魔女だ。大釜で怪しい薬を煮立たせることもあるし、黒猫と外に遊びにいくし、災厄を振りまいて人間を恐怖に陥れたりもする。つい数年ほど前にも、この付近の村に流行病をもたらしたのもこの少女だ。
 さすがに箒に乗るのは無謀すぎてやってはいない。足の付け根をわざわざ痛くしなくとも、魔女は空を飛べるのだから。
 無茶苦茶な方法で空を飛ぶのだと信じきっている人間を、少女は冷めた目で見ていた。
 誰が好き好んで掃除用具にまたがるというのだ。
 全く以て阿呆らしい。
 フッ、と擦れた笑みを浮かべ、朽ちかけた十字架の立った盛り土の前を少女が通ったときだった。
「うっ」
 足を何かに掴まれた。ひぃっと一瞬怯んでから、おそるおそる足に目をやる。
 カンテラで足周りを照らしてみれば、何かぶよりとした、茶色とも灰色ともつかぬ色の物体が、足をがっちりと掴んでいる。
 少女は思い切り顔をしかめた。
 ほんの少しの間考えてから、足を思い切り後方に引く。ずるんぶちんと妙な音がして、少女の後方にそれは吹っ飛んでいった。
 夜空に舞うそれは――人の腕である。
 人が見たら卒倒ものの光景だが、少女は魔女だ。因って、飛んでいったのが腕だろうと足だろうと首だろうと驚かないし、それよりもブーツの足首あたりにうっすらとついた泥の方が気になった。
「ひっどいなー。腕飛んだじゃん」
「ひっどいわー。ブーツに土付いたじゃない」
 盛り土の中からのそりと沸いて出た男に少女はあからさまに嫌な顔をして、ブーツに付いた土を払った。よろよろと立ち上がった男は邪魔だといわんばかりに木製の十字架を蹴飛ばし、服に付いた土を申し訳程度に叩くと、犬のように頭を振って髪に付いた泥を落とした。
 勿論、泥の一部は少女にも振りかかっている。
「ふざけるな死体!私のケープに土が付くでしょ!?」
「あっ。悪いねー」
「きったない手で取らなくていい!余計汚れる!」
 男はケープに付いた土に手をのばしたが、男の手は土の中から出てきただけあって、土そのものと大して変わらないほど、土まみれだった。こんな手でふれられたら、少女のケープはもっと汚れるだろう。
 少女が土を払う間に、男は吹っ飛んだ腕を拾って、殆ど無理矢理、腕の間接に突き刺した。ごりゅ、と気持ちの悪い音が聞こえたが、二人にとっては聞き慣れた音だ。会う度にこんなやりとりをしているのだから。
「腕取っても良いけどさ、飛ばすのはやめてよ?」
「嫌がらせに決まってるでしょこの蛆虫!人のブーツに土付けるなって何回も言ってるんだからね!」
「ウジはこっち。おれはウジじゃないよ」
「キャー!」
 ブーツ云々はまるごと無視し、男は自分の腐りかけた腹部に沸いている虫を指さした。当然のことながらうじゃうじゃとしているそれに少女は声を上げ、「土に還れッ!」と蛆虫を見るような――否、蛆虫を見ながらそう吐き捨てた。
「いや、還りたいよ?還りたいよこっちだって。母なる大地にね?でも還れないじゃん。還れないからこんな所で腐ってるのに」
「うわわ近づくなゾンビ!蛆がこっちにくるでしょうが!」
「酷いなー。俺の数少ない友人に何てこと言うの」
「自分の体を食べるのは友人って言わないの!まず蛆は“人”じゃないッ!」
 加えて、数が少ないわけでもない。男の腹辺りに湧いているそれは、間違いなく少なくない。
 こいつもしや脳まで腐ったのかと少女は一瞬考えてしまったが、この腐り具合からすれば、頭蓋骨の中身は順調に腐っているだろう。そこだけ腐らないなんてあり得ないだろうから。
 つまり、生前からこうなのだ。頭のネジが緩んでいるのではなく、何本か紛失しているのに違いない。
 きっと蛆が臓物と一緒に美味しく頂いたのだろう。今後の蛆の頭のネジの具合が危ぶまれる。
「君がおれに会う度に酷いことを言うからご覧、病んで顔色悪くなっちゃったよ」
「顔色が悪いのはあんたが腐ってるからよ」
 胃かなそれとも肝臓が悪いのかな――ととぼけた男に、そのどちらの臓器も“友人”の餌になっている、とつっこむ気にもなれず、少女はひたすらにため息をついた。
「何で毎回毎回あんたに絡まれなきゃいけないの?」
「おれが暇だから」
「知るかッ!」
 にこっと気の抜けた笑みを見せたゾンビに魔女はそう言い捨て、そこで腐ってろ死体野郎、と出来るだけ口汚く罵った。
「いやあ、これ以上腐っちゃうとおれ、ゾンビじゃなくなっちゃうよね。何だろう?歩く骸骨?なんか怖いなぁ」
「ゾンビも大して変わらないわよ!」
 死体にしろ骸骨にしろ、そこらを歩いていれば怖い。
 寧ろ全て腐り落ちた方が見た目的にはまだまともに見える気がする。骨だけなのと中途半端に肉が残るのとでは、蛆が沸かないぶん、骨だけの方がましだろう。夏場の臭いも気にしなくて良さそうだ。
「まぁそれは良いや。それより君、いつになったらおれをただの死体に戻してくれるの?」
「はぁ?……あのね、あんたをゾンビにしたのは私の叔父さんなの!だからそういう話は叔父さんにしてよ」
「同じ血引いてるでしょ?いけるいけるー」
「叔父さんはシャーマン。でも、私は魔女なの。扱う魔術体系が違うってば」
 シャーマンに魔術をかけられた死体がゾンビとなるらしいのだが、生憎、魔女である少女にはその辺りはよく分からない。
 魔女は人を、死体を動かすことは出来ないからだ。もしかしたら出来るのかもしれないが、興味はなかった。
 ただの死体に戻す魔法など知らないと言っているのだが、どうもこのゾンビはそれを認めようとしない。
「鯨と海豚の違いみたいなもんでしょ」
「全然違うわッ!」
 大きいのが鯨、小さいのは海豚――、というが、シャーマンと魔女は大きさごときでは決まらない。
「動物と一緒にするな!その理論で言ったらあんたなんか骸骨と一緒になるんだからね!」
「えー……骸骨とは全然違うって。おれあんなにガリガリじゃないし。肉付き良いよ?」
「分かってるから近寄るな見せ付けるな蛆が嫌なんだってば!」
「あ、そう?」
 一歩後ろに下がってゾンビは頭をかく。月光に照らされた腐りかけの死体とはこんなにもグロいものなのかと魔女の少女は口を閉じた。今なら怖がる人間の気持ちが分かる。
「んー。いい加減死にたかったんだけどなあ」
「安心しなさいよ、あんたもう死んでるから」
「動いてるじゃないか」
「死んでるわよ。ミイラだってそうでしょ」
「そうなんだけどさー……土の中は暇っていうか。これなら死んでた方がマシ」
「昼夜構わず外に出てれば?」
「近隣の住民の皆様の迷惑になるじゃないか」
「はぁ?何生ぬるいこと言ってんの?迷惑かけてこそのモンスターでしょ?」
 こいつやっぱり頭沸いてる――と胡乱な者を見る目で男を見た少女に、ゾンビは苦笑した。
「いやぁ、そこの村に妹住んでるんだよね。流石に死体の兄貴がいるのって周りの目が、ねえ?」
「入り口の村?――あそこ人住んでるの?」
「住んでる住んでる。何か最近人が引っ越してるみたいなんだけど。何でだろうね?知ってる?」
「知るわけないでしょうよ。私がここに来るのは夜なんだからさ。人がいても寝てるわよ」
「だよねえ。風の噂だと怪現象が起こってるみたいなんだけど」
「へー。ふーん。そお」
「どうでも良さそうな相槌だね」
「私、最近変なもの見たもの。あれ以上変なことってそうそうないから」
「へえ?何見たの」
「クルースニクって知ってる?」
 魔女が神妙な顔でゾンビにそう問えば、ゾンビは至って軽く、うん、と頷いた。
 墓場には二人しかいない。やけに明るい月には、今日に限って雲の一欠片もまとわりついていないから、お互いの顔がよく見える。
 ゾンビはそれがどうしたの――と首を傾げた。その際に地にポトポトと落ちた蛆はこの際気にしない。
 
「クルースニクってあれでしょ?吸血鬼退治人?ハンター?だっけ。そんな奴だったと思うけど」
 吸血鬼を退治する使命をもって生まれた者を、クルースニクという。その程度の知識はこのゾンビにもあった。
 魔女は、それで間違いないわ、と再び神妙に頷く。
「じゃあ、クドラクは?」
「吸血鬼の一種だよね?豚とか猪とか獣に変身する、クルースニクの宿命の相手」
「その通りよ」
 クルースニクとクドラクの話は、おとぎ話程度にこのあたりの地域で語り継がれている。だから、「元・ただの人間」のゾンビとしては、知らない話ではなかった。彼はこの辺りの――というより、すぐそこの寂れた村出身だったから。
 幼いときは魔女も悪魔も天使すらも信じてはいなかったが、シャーマンにゾンビにされ、その姪で、魔女であるこの少女と話している今、彼らの存在を「おとぎ話」として切り捨てることは出来なくなっていた。
 彼らは存在し続けているのだ。人が知らないだけで。
「ふうん、二つとも知ってるのね、なら早いわ」
「もったいぶるのはやめてくれよ」
「あのねぇ、クドラクと仲の良いクルースニクを見ちゃったの!」
「えっ?」
「びっくりでしょ!?しかもね、そのクルースニク、村で女の子をナンパしてたの!」
「はぁ?」
 変でしょ、おかしすぎるわよね、と興奮したようにまくしたてる少女に、ゾンビはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 この場合、彼が驚いた理由は二つある。一つは、“クルースニク”と“クドラク”がやはり実在していたこと。もう一つは、語り継がれる性質上、清廉潔白そうなクルースニクが、ナンパなどという俗っぽい行為を行っていたこと。
「びっくりよね――私、あんなに変なもの見たことない……何よ?その顔」
 しみじみと頷いた少女の後ろに、黒い影がぬっと滑り出た。あ、とゾンビは目を見開いてしまう。
「怪現象の原因は君たちか?」
 夜みたいな黒髪、葡萄酒のような紅い目、何だかもの凄く色の悪い肌、ちょっと目付きが鋭いせいで、 冷たい奴なのだと誤解されやすい整った顔。ゾンビは彼を知っていた。
 背中の方から響いてきた、夜に寄り添うような落ち着いた声に、魔女が振り返る。それから、その目をまん丸くした。
「ラークさん!」
「あのクドラク!」
 叫んだのは二人同時で、その音量に目の前の青年は眉をつり上げた。左手を口元にすっと持っていくと、人差し指を立て、「静かに」という仕草をして見せる。
 眼鏡の奥で葡萄酒色の目が、「黙れ」と雄弁に語っているように見えなくもない。
「近くに村があることは知っているだろう。迷惑になる」
「すみません」
「何であんた、ここに?」
「すぐ近くに私も住んでいる」
 そう言って青年が指さしたのは、墓場の向こう側にある小川の、更に奥にある森の中だ。ということは、この青年は森の中に住んでいることになる。
「君たち二人とも、話し込むのは良いが――程々にしないとな。村では『夜中に墓から死者の声が聞こえる』と噂になっている。引っ越す奴も出てくるくらいにな」
「怪現象って私たちのことだったの?」
「そうだったみたいだね――なんだ、昼じゃなくても近隣の皆様の迷惑になってたのか」
 やっちゃったなぁ、とのんびり呟いたゾンビに、青年がきりりとした目を向ける。
 完全にゾンビを睨んでいる青年に、魔女が少し怯えた。怖い顔の者が人を睨んだときの恐ろしさは、当たり前のことながら常人のそれより上である。
 相変わらず目つき悪いなあ、と思うゾンビを尻目に、青年はゆっくりと口を開いた。
「君は何故、私の名を知っている?」
「えー……ラークさん忘れたんですかおれのこと」
「すまないが、死体に知り合いは居ない」
 無表情で言い放たれた言葉に、ゾンビの男はああそうか、と納得した。彼と出合ったのは生前のことであり、今の腐食した自分の姿は、彼の中の自分とは結びつかないのかもしれない。
「あー、フレシュです。何年か前に妹のエカと一緒にお世話になった」
「フレシュ……?ああ、あの……なんで死んでるんだ」
「え?寿命……じゃないですかね?」
「寿命だと?……まだ若いだろう、妹はどうした」
「いやあ、あの妹ですし、たくましくやってるんじゃないでしょうか――それよりラークさん、貴方クドラクだったんですか!?」
 クドラクの青年は無愛想だった顔を驚きに染め、それから心配するような顔つきになり、ゾンビは苦笑いから困惑、クドラクの問いに遠い目になったりと忙しい。
 流石、変なやつだけあって知り合いも変わってるわね、と魔女は一歩はなれたところでそれを見ていた。
「そんな瑣末な事はどうでもいい。フレシュ、君は何故死んだんだ」
「はあ……ええと、ラークさんにお世話になったあと、流行病で死にまして――一時期、この辺で猛威を振るったヤツです」
「ああ――あれか?」
「げっ」
 呻いたのは少女の方だった。少女はその病を良く知っている。
 三日三晩高熱にうなされ、最後の夜に嘘みたいにいい夢を見て永遠の眠りにつく、彼女の振りまいた“災厄”である。
 案の定、呻いた少女に二人分の視線が突き刺さった。
「そういえば君、魔女だろう」
 目つきの悪いクドラクにじっと見つめられ、魔女の少女は非常に居心地が悪かった。かなり長く感じられる沈黙の後、少女はぼそぼそと呟く。
 月に雲がかかり、冷たい夜風が三人の髪を揺らしていく。
 虫すら鳴いていない墓場には、人ならざるものの話し声だけが満ちている。
「……ごめん」
「――ウィルチ、君がおれの村に」
 
 ちょっとだけ驚いた顔をしてから、フレシュは笑った。
「なんだ、ウィルチ――君の叔父さん良いひとじゃん」
「えっ?」
「シャーマンの叔父さん!おれが君の病気で死んだから、ゾンビにしてくれたんじゃないかなあ。何か、『迷惑かけてすまない』みたいな事聞いた気がするし」
「え――え、ええ?」
 いきなり出てきた叔父の話と、何だかふやけた笑いを浮かべたフレシュに、ウィルチは困惑を浮かべた。
 こいつ本当に頭のねじが抜けているに違いない。
「お、怒んないの?」
「怒ったらおれ、人に戻れる?戻れないよね。じゃあ水に流す。聞かなかったことにするよ。だって君、言葉が通じるおれの唯一の友人だから」
 他は蛆だから言葉通じないし――と腹部を指差したフレシュに、ウィルチはなんとも言えぬ表情を浮かべた。
 こいつ、本当に友達居ないのか。
「ねえ、ウィルチ」
 ゾンビの男は少女に優しく笑いかけた。
 何だかそれに裏がある気がして、ウィルチはごくりと唾を飲む。
 こうなる原因を、蛆しか友人が居ないような原因を作り上げたのはウィルチだから、ウィルチは何を言われるのかと、柄にもなくビクビクしていた。
「とりあえずさ、防腐剤持ってきてくんないかな……あとやっぱり、おれの体食べるのは友達じゃないね、体張った友情は流石に辛い」
 これ以上肉が落ちるとゾンビって名乗れなくなるんだよね、と妙な笑いを浮かべたゾンビに、目つきの悪いクドラクが、「いっそのこと骸骨になったらどうだ」と肩をすくめた。
 自分で言うのもアレだが――もう少しこのゾンビは怒ってもいいんじゃないだろうか。


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