三、花火
 朝ご飯はあさりのお味噌汁に青菜の煮浸し、近くの海で穫れた魚の干物、ご飯に漬け物と純和風だった。普段は、トーストにハムエッグ、サラダにジュース、たまにフルーツがつくような朝食だから、こういう朝食はなんだか嬉しい。こういう時に、やっぱり日本人なんだな、と僕は思ってしまう。


 朝ご飯を食べた後に、学校の宿題を少しやって、それから扇風機の前でスイカをかじった。甘くて美味しいスイカだったけれど、種が多いのが少し面倒くさい。母さんはスプーンで掬っていたけれど、僕とおばあちゃんは縁側で、スイカの汁をこぼしながら、夏の味を堪能した。
 おばあちゃんは、ぷっぷっと器用に種を吐き出す。そんなおばあちゃんの真似をしてみようと思ったけど、母さんには止められてしまった。


「下手にとばして、赤い汁を服につけられても困るのよ」


 全く、変なこと教えないでよ──母さんはおばあちゃんに苦笑いしながら、そう文句を言っていた。


 スイカを食べおわってから、また少し勉強をして、昼食の素麺を啜る。おばあちゃんより母さんの麺の啜り方が豪快で、ぴちぴちと跳ねためんつゆに、おばあちゃんは、「変わんないもんだねェ」と笑っていた。どうやら、母さんは小さいときから麺を啜るのが下手くそだったみたい。


「変なこと教えないでよ、母さん!」


 スイカを食べていたときに聞いた言葉を、母さんがまた言うものだから、僕とおばあちゃんはお腹を抱えて笑ってしまった。
 ちょっと――ほんのちょっとだけだけれど、田舎に来て良かったかもしれない。今は少しだけ、この生活が楽しく思える。
 こんな風に偉そうなことをいったところで、まだ田舎に来てから二日目なんだけどね。
 

 夜は花火をしよう、という話になって、僕は夜を楽しみにしていた。欲を言うなら、花火大会のような大きな花火を期待するけれど、まあ無理だろうなあ。
 多分、場所が場所だから、ロケット花火も出来ないとおもう。でも、普通の手持ち花火だって面白いし、線香花火をどこまで落とさずにいられるか、を試すのも面白い。父さんと毎年やるけれど、父さんに勝った試しがない。


「だだっ広い庭さね、花火はここでやろう」
「あら、海じゃないの」
「盆時に海に行くもんじゃないよ。地獄の釜の蓋が開く──って、小さいときに教えたじゃないサ」
「迷信みたいなもんでしょう。そんなこと言ったら、この時期、海水浴場の人達は商売上がったりじゃない」
「とはいうけどね」


 なんのかんのと母さんとおばあちゃんは話していたけれど、結局、花火は庭でやることに決まったみたいで、「タロに花火、当てないでね」と母さんに念をおされた。母さんは僕のことを、何歳だと思っているんだろうか。そんなことするわけないじゃないか。失礼な話だ。


***


 気の早い鈴虫の声が聞こえる。りりりりり、と軽くころころとした鳴き声──実際には鳴いてはいないんだけど──を響かせて、草の葉の陰に隠れているんだろう。
 蜩の鳴き声も響く中、日中よりは涼しくなったおばあちゃんちの庭で、僕はバケツに入った水を見つめていた。
 まあるい月が、やわらかい光をともして、真っ黒い空に浮かんでいる。僕はそれを、バケツの中の水面を通して見つめた。指でつつけばまあるい月はぐんにゃりと形を変える。歪な月は、それでもやわらかに、水面に光を浮かばせていた。
 

 母さんは花火を取りに行っている。おばあちゃんは縁側に座って、タロの頭を撫でていた。穏やかな夜だと思う。風に乗ってやってくる、波の音、潮の匂いが僕をくすぐった。


 火薬の匂い、ばちばちとはぜる光、如雨露からこぼれるような火の粉。星のような光を僕は手にして、夏の庭に立っている。
 バケツの水面に、花火を持った僕が映る。おばあちゃんは変わらずタロを撫でていて、母さんは縁側に近いところで、ひっそりと線香花火をしていた。
 光の噴射を終えた花火を、バケツの中に突っ込む。じゅっと音がして、バケツの底に燃えカスが沈んだ。


 花火が終わった後は、いつも少しだけ寂しい。きらきらと輝いていたそれは、短い時間ですぐに惨めな残骸になってしまう。
 バケツにたまったそれからは、美しかった頃を感じない。僕の左手に握られた新しい花火も、数分ももたずにバケツ行きだ。
 そうなったら、誰も見向きもしない。
 美しくなくなったものを振り返ることなんてないのだから。


「何だか、人の一生みたいよね」
「花火?」
「そう。花火。密やかに長く生きて、最期に弾けるも良し」


 ぱちん、と小さな火の玉が弾けて、とろりと橙の熱の雫が地に落ちた。母さんは、玉の落ちた線香花火を、ゆっくりバケツに沈める。じゅっと音もしなかった。


「最初から弾けて、あっさり短く終わるのも良いかもね」


 僕の持っていた手持ち花火がしゅっと消えた。水に浸せば、微かな音を立てて沈む。
 手持ち花火は終わってしまったことだし、と僕は母さんから線香花火を受け取った。


 ──花火みたいな人生か。


 魅力的にも思えないし、かといってつまらぬものだとも思えない。僕にはまだ、人生のことなんかよく解らないけれど、長く生きられたら良いかなとは思う。


 蝋燭に灯る火の先に、線香花火の端を浸す。ぱちぱちとお馴染みの音をたてて、とろんとした橙色の玉が弾けていく。
 やっところんとした、おなじみの形になった頃に、ひゅるりと海の匂いのする風が吹いた。あ、と僕が口にしたときにはもう遅く──ぽたん、と誰かの涙のように、膨らんだ火の玉は落ちてしまう。


「短い一生だったわね……」
「風が吹かなきゃもうちょっと良いとこまでいってたって」


 あんた、線香花火すぐ落としちゃうんだから、とくすくす笑った母さんに、あんたもあんまり変わらなかったよ──と、おばあちゃんが笑う。妙なとこばっか似てんじゃないよ、とおばあちゃんは笑いながら、「もうそろそろやめにしな」と声をかけた。


「明日は蛍を見に行くんだろ」
「うん。蛍、みたことないから」


 じゃあ今日は早く寝て、明日に備えな。
 雨が降らないといいさね、とおばあちゃんは空を見た。


 明日の夜は、おばあちゃんの家から少し離れた山の裾野で、蛍をみる予定になっている。
 花火も良いけど、蛍をみるのが初めての僕としては、そっちの方が気になる。
 明日夜更かししても平気なように、今日は早めに寝ようと、僕は花火の片付けを始めた。




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