クドラクとクルースニク:閑話『屑と成り損ない 2』
 『でもそれはお前の本質は表せねえんだよな』


 つい先日、疎ましく思っていた男からかけられた言葉。
 その言葉の意味は、彼女にはまだ理解できていなかった。


 ――私の本質。


 本質とは何だ。


 この体はたんぱく質とその他の物質で出来ている。他の、普通の、一般の、『クルースニクでない』人間と同じもので構成されている。
 切れば血が吹き出るし、悲しいときには涙もでる。
 ただのヒトと同じように笑って、同じように疲れる。
 だた、ほんの少し『人間』よりも長生きで、丈夫だ。
 

 でもそれが『本質』でないことぐらいはクルクにも分かっている。
 あの『クルースニクらしくないクルースニク』はそんなことを言うために、クルクに遠まわしで形の掴みにくい言葉を投げたのではない。


 ――あの人にはそれが掴めているとでもいうの。


 そう心の中で呟いて、つかめているのだろうとクルクはため息をついた。
 問いの答えも知らないで、問いかけるほどあのクルースニクも馬鹿ではない。
 

 ――あの顔は間違いなく、全てを知っていた。


 知っていたからこそ彼は問いかけ、あまつさえクルクに答えを見つけさせようとしている。

 軽薄な笑みで、人に諭そうとするとは。
 ますます気に食わない男だと、クルクは唇を噛んだ。
 ぷつりと皮が切れ、赤く、鉄臭いものがうっすらと滲む。否が応にも『あの時のこと』を思い出し、クルクの顔は苦虫を噛み潰したような、不愉快げなものに変わった。
 

 ――穢れ無き存在でありたかったのに。


 自分の背負わされたものが、酷く中途半端なものであることくらいはわかっていた。
 クドラクに堕ちるにはこの身体は清く、しかしクルースニクであるには穢れている。
 “どっちつかずの成り損ない”。
 それを良く知っていたから、理解していたから。だからこそ、クルクは『模範的なクルースニク』で在り続けた。


 同胞の誰よりも、悪しきクドラクを狩った。
 同胞の誰よりも、冷徹に、冷静に悪を絶った。
 同胞の誰よりも、クドラクの血を浴びて。
 同胞の誰よりも、その血に慣れ親しんだ。


 そして、同胞の誰よりも――


「その血をこの身に取り込んだ」


 当たり前だとクルクは自嘲する。
 成り損ないのクルースニク、それもクドラクの血を啜るクルースニクなど、同胞の中では自分だけだろう。
 

 クドラクの血を啜るたびにその血潮の甘さに酔いしれる自分がいたし、その血を求めるためにクドラクを狩っていた、ということを完全にも否定できない。
 

 自分の本質とは何か。
 しばし考え、クルクはふっと息を噴出した。


 ――やっていることはクドラクと変わらないわ。


 襲う対象がヒトではなくクドラクだというだけだ。
 ヒトではなく、クドラクだったからこそ許される『かもしれない』行動。
 いずれ野蛮で暴力的で、穢れた行為に差異は無い。


 クルースニクという大義名分の下に、クドラクを狩って喰っていただけのことだ。
 理性的であったはずの自分は、その実こんなにも本能的で。


 ――ああ、せめて『どちらか』であれたなら。


 中途半端な成り損ないで無かったなら、こんな思いをすることも無かったのだろうとクルクは青い空を仰ぐ。
 日の高く、澄み切った空の色が示すのは、『狩りの時間』が程遠いということだけ。
 その色に疎ましい男の瞳を見て、クルクは顔を歪めた。



***


「――本当に誰にも言っていないの?」


あきれた様子さえ滲む女の声に、青年は肯定を返す。
肯定を返せば、女は理解できないと呟いた。


「普通なら、同胞に一言言うわ」
「生憎、『普通』とはかけ離れた生き方の選択中だ」
「どうかしてるわ」
「美人に言われるなら誉め言葉だな。お前にとっても都合が良いだろ?」


夜の匂いがし始めた、黄昏時の小さな酒場。
嬉しくも何ともない男と共に、クルクは席についていた。


「お前こそこんなところでどうしたんだ? お仕事放棄で一杯やる気か? 『どうかしてる』ぜ」


からかうように言ったニックに、クルクはぴしゃりと「貴方には言われたくないわ」と即座に返す。
 「全くだ」とクルースニクの青年は愉快そうに口許を綻ばせた。
「俺に会いに来たわけでもないだろ」と飄々としたニックに、当たり前よと一言返し、クルクはうんざりとした顔で言葉を紡ぐ。


「クドラクが“獲物”を引っかけるのに、酒場は丁度良いの。だから来ただけ」
「成程、それは素敵な『出会いの場』だな。出会ったついでにあの世にまで案内して貰えるわけだ」
「不謹慎だわ」
「そうだろうな」


それ以上笑うことはせず、クルースニクの青年はグラスの中の液体を飲み干した。
クルクが次に口を開く前に、彼は給仕の娘を呼び止め、新しい酒を催促している。
小さな酒場だが、人々は賑やかで陽気だった。
実のところ、クルクはこういった雰囲気が好きではない。
“獲物”のクドラクを見つけ次第、さっさとこの店を出てしまおうと算段していれば、青年が不意に声を出した。
その片手には、新しいグラスが握られている。


「答えは見つかったか、“お嬢ちゃん”?」


にやりと笑うことなく、ただ淡々とした言葉を口にした青年は、そのままグラスを傾けて中の液体を嚥下した。
喧騒の中、テーブルに置かれたグラス。半分程残っていた酒精が揺れる。


「――結局は私も、クドラクと大差無い、ということでしょう」
「ああん?」


絞り出すように吐き出したクルクの言葉に、ニックは顔をしかめた。
柄が悪い、とクルクは思う。


「何言ってんだよ。何でお前がクドラクになるんだ?」


 わかってねえなァ、とわざとらしく、深々とため息をついてニックは頬杖をついた。
クルクのそれと似ているようで似ていない、銀色の髪が揺れている。


「生真面目過ぎるぜ、お前。模範的な回答出しやがった」
「……貴方からみたら、大体の人は生真面目になると思うけど」
「そうかもな」


青年は再びグラスを手に取った。


「しッかし、頭堅いよなあ――もう少し柔軟かと思ってたんだが」
「どういう意味」
「そういうのも良くねえよ」


答えは自分で見つけるものだと、クルースニクの青年は馬鹿にしたように笑い、肩をすくめてみせる。


「頭のガッチガチなお嬢ちゃんに俺からヒント」


ニックはにっこりと笑い、クルクの目の前で指を振った。


「お前は俺より、よっぽど『クルースニク』だ」


女性受けの良い笑みを浮かべながら、ニックはグラスを空にする。「精々お仕事頑張れよ、っと」と軽い調子で口にすると、さっさと席を立つ。
「余ってたらやるよ」とぞんざいに置かれた金貨は三枚。幾ら呑んだのかはクルクには分からないが、釣り銭が来るのは明白だった。


 ――ああ、腹が立つ。


あの男は、自分が律儀に釣り銭を返しに行くことを見越している。クルクの脳裏には、軽薄で人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている、いけすかない『同胞』の顔が浮かんだ。


 ――最低でもあと一度は会うと云うこと?


その時までに答えを見つけておけ。
そういう意図があるのだろうと彼女は察して、先ほどの彼とは比べ物にならない程、深いため息をついた。
幾ら考えても、答えは出ない。





酒場でいけすかない同胞と出遭ってしまった数日後。
まだ日が高く、明るい時刻に、彼女は黒髪に赤目の青年と往来ですれ違った。


「貴方――」


思わず呼び止めてしまったクルクに、その男は無表情で立ち止まる。
寂れた村の、古びた教会の前の小道。
さやさやと穏やかな風が、道端の草花を揺らしている。
 平和で和やかな午後の日差しが、クルクと男を優しく包み込んでいた。


「――私に何か用が?」


不思議に思う様子も、怒るような様子も見せず、ただ淡々と聞き返してきたその男に、クルクは言葉を詰まらせた。


「――ごめんなさい、知り合いに似ていたものですから」


クルクはそう口にする。
 ――正しくは『知り合い』ではなく、『獲物』に似ていたと言うべきだったのだけれど。


クルースニクは、髪を染めでもしないかぎりは銀髪であるし、余程特殊な場合を除いて、皆一様に青い瞳を持っている。
 それと同じように、クドラクのほうも染髪をしない限りは闇のような黒髪であり、血のように赤い眼を持っていた。


 クルクとすれ違った男の髪色は、それは見事な闇色で、眼の色も綺麗な血の色だったから、ついうっかり呼び止めてしまったのだが――今はまだ、明るい時刻だ。
 吸血鬼は日に当たると灰になるというし、そもそも闇の中で生きることを運命付けられてしまった者達だ。
 彼らの目にはこの、暖かで陽気な日差しさえもが敵になる。


「――そうか」


 黒い長袖の、ハイネックのセーターに、黒っぽいジーンズ。一見すれば誰かの影法師のように見えなくも無い男は、極めて無感情な声でそう返しただけだった。
 クドラクでは――『獲物』では無いのだろうと、クルクは判断する。
 幸いというべきか、クルクの外見はクルースニク全体のそれから一つも外れてはいない。

 雪のように白く透き通った銀の髪も、光の届かない深海のように青い瞳も、外見だけならばクルクは立派に『クルースニク』だった。


 もし、クルクの目の前にいる男が『クドラク』であったなら、見た目からして『クルースニク』であるクルクに話しかけられて、こんなに平然とした対応をするわけはないし、見かけた瞬間に襲い掛かってきても不思議ではない。
 けれど、今クルクの目の前にいる男は、剣呑な殺気も、クルースニクに対する憎悪の念も、血の匂いも感じさせなかった。


「ごめんなさい、引き止めてしまって」
「いや。そういうこともあるだろう」


 あまり気にしないでくれ、ただの行きずりの関係なのだから、と男は淡白に返し会釈をすると、クルクの横を通り過ぎていく。
 クドラクでなくて良かったと思う反面、クドラクでなかったことに落胆を感じている自分がいるのもまた事実。


 そう思ってしまう自分が馬鹿らしい――クルクが点を仰げば、白い日輪が輝いている。
 クルースニクのクルクの瞳にも、強い日差しは痛かった。
 
 

 



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