クドラクとクルースニク 2
「ん?留守か?」
 穏やかな春の日差しの森の中、白いコートを着た青年が、山小屋のような小さな家の扉の前で首を傾げていた。傾げた拍子に、藤色の結い紐で結わえた、男にしては長めの銀髪が、さらりと微かな音を立てて肩を流れる。
 暖かな陽光をコートの背中に感じながら、青年は再び首を傾げた。
 鳥がちゅんちゅんと間抜けな鳴き声を上げている。春になると生き物はすべからく間抜けになるのだろうか、と何となく思ってから、再び山小屋の戸を叩いた。
「出ねぇ」
 自分でも間抜けに思えてしまうほど気の抜けた声を出して、青年は頭をかいた。
 いつもなら戸を叩けば、くそ真面目の化身のような、やたら顔色の悪い男が出てくるはずなのだ。
 んー、とほんの少しだけ青年は顎に手を当てて考えると、仕方ねえな――と呟き、コートの内ポケットから細い針金を取り出した。
 青年はあまり日の光が好きではなかった。普段、夜の街で遊ぶ彼にとっては日の光は眩しい。
 ここは日の光から逃れるためにも、小屋の中に入りたいところ。
「緊急事態ってことで。愛すべきお兄サマが中で倒れているかもしんねえし」
 この家の持ち主は青年を家に入れるのを嫌がったが、青年はこの家になんとなく立ち寄るのが好きだった。
 ――と言えば聞こえは良いが、青年は何となく家に立ち寄って、家の持ち主に嫌がらせをするのが好きだった。
 細い針金を鍵穴に差し込み、手慣れた手付きで鍵を開ける。泥棒もびっくりなほどの早さだが、青年が盗みを犯したことはまだない。
 扉をそうっと開けて、針金をポケットに戻す。
 家の中は静寂に満ちていた。
「マジで倒れてたら笑えるんだけどなァ」
 弟とは思えない台詞を呟いて、青年は家の中を歩き回った。
 置いてある家具や装飾品は必要最低限且つシンプルなものばかりで、いつ来てみても代わりばえのない、まるで年寄りの家のようだ。少なくとも青年はそう思っている。
 よく世話になる大きめの暖炉の前を通り過ぎ、家の主が入り浸っている可能性の高い台所を覗く。昼前に作ったらしいサンドイッチが置かれていた。
 そういえば少し空腹だったなと青年はそれに手を延ばし、三切れをぺろりと平らげた。
 卵と野菜のはさまったそれは、空腹であるということを抜きにしても美味しい。料理ベタ――と言うより、『料理はオンナノコに作ってもらうもの』だと主張する青年に比べて、この家の主は家事スキルが格段に高い。全くの無駄だとも思うのだが。
「あいつこんなの食べても意味ねえだろ……」
 葡萄酒とトマトジュースでも飲んでりゃ良いのにとぼやき、次に入り浸っていそうな場所である、書斎へと進んだ。埃っぽい部屋の中にはやたら難しそうな本が詰まっていて、それだけで青年はうんざりした。部屋の主はここにもおらず、おかしいなと青年は後頭部をかく。
 家主の性質上、昼間に外に行くとは思えないし、台所と書斎にもいないとなると、やはり外にいるのか――、一瞬、自分と同類のものに襲撃されたのかもしれないと思ったが、ああ見えてこの家の主は容赦無いし、取り立てて平和主義というわけでもないから、自分の同類がこの家に侵入できたとして、この家の主を始末できるとは思えなかった。
 まさかなァ、と呟きながら、この家の中で一番日当たりの良い部屋に向かう。そこは普段客室として使われていたが、青年はその部屋に入ったことは殆ど無かった。家の主曰く、「君を客だと思ったことは一度もない」そうだから、入ったことがないのも無理はなかった。
「吸血鬼の家に、日当たりの良い部屋があるってのも意味分かんねえけど」
 閉じている扉のノブを回し、ゆっくりと押す。キィキィと小さな音がして、きしみながらも扉は開いた。
 開けたとたんに、青年は珍しくも目を見開いてしまった。青年は常識が無い分、殆どのことには動じない性格だったのだが、目の前の光景には驚かざるを得なかった。

 ――暖かな春の日差しを体いっぱいに受けて、家の主は眠っているようだった。
 透明度の高い硝子越しに部屋に入ってくる陽光は、ロッキングチェアに体を任せて眠りについている青年を明るく照らしている。
 いつもの黒いハイネックのセーターが、光に照らされて鼠色くらいの明るさになっていた。
 
 眼鏡と本が青年の膝の上に乗せられているから、おそらくは読書中に寝てしまったのだろう。
 こんなにいい天気だしなァ、と青年が白いコートのポケットに手を突っ込み、窓の方を見た瞬間に、側頭部に鈍い痛みが走った。
「……痛ってェー」
「何故ここにいる」
 本を持ち、振りかぶって叩きつけたばかりの格好で、先ほどまで穏やかに寝ていた青年は仁王立ちしていた。底冷えするような赤い瞳は、いつもより数段機嫌が悪そうに見える。
 予想外の襲撃に悶絶していたクルースニクの青年に、さっきまで寝ていたクドラクの青年は憎々しげに舌打ちを一つした。
「お陰で目覚めは最悪だ」
「本で人殴ってんじゃねえよ……馬鹿になったらどうすんだ?責任とれるか?あ?」
「心配せずとも君はこれ以上馬鹿にはならない。既に最高位の馬鹿だからだ」
「その『最高位の馬鹿』が実行しようとしたこともない、とんでもなく馬鹿なことをお前は今、やらかしたよクドラク」
「馬鹿から見た“馬鹿”は、“馬鹿ではない”のではないか?――と私は思っているんだが」
 どこの世界に本で人を殴る奴がいるんだ、と食って掛かったクルースニクに、詫びるそぶりすら見せずそう言い切ったクドラク。それを見て、クルースニクは珍しくため息をついた。
「人が心配して様子見にきたらこれかよ」
「それなら、台所にあったサンドイッチなんて食べている暇はないんじゃないか?」
「あ、ばれた?」
「コートに卵がついている」
「いっけね。今度洗濯して貰おう」
 勿論、身の回りをお世話してくれる可愛い可愛い女の子たちに――だ。それを感じ取ったのか、クドラクはあからさまに塵屑を見るような目でクルースニクを見ると、「ヒモまで始めたのか、ますます屑だな」と一言呟いた。
 屑屑言われることに馴れているクルースニクはそれを大して気にも留めなかったが(兄弟の会話だと思うと非常に残念ではある)、屑屑言うことを特に気にもしないクドラクもクドラクだろう。
 因縁のあるはずの二人はこうして、因縁の相手と送るには平和な日常を、兄弟と送るには殺伐とした日常を過ごしている。
「しかしなんだ、アレだな。オニーサマはクドラクの癖に日に当たっちゃうタイプ?」
「君にそんなことを言われたくはないな、クルースニク。クルースニクの中にも君のような者がいるように、クドラクの中にだって日に当たるものは居る」
「灰にならないんですかァ。しぶといですねー」
「そもそも種族としての“クドラク”は血こそ吸うが、吸血鬼とは別のものであるという可能性もあるだろう」
 日の光が命取りだなんて嘆かわしいとクドラクの青年は言う。陽光すら感じられない生活など送りたくはないと言い切った兄に、弟は思わず真顔になった。
 ――こんなに平和ボケしたクドラクを、同属は見たことがあるだろうか。
 多分、いや絶対無いな、とクルースニクは自己完結してその考えを忘れることにした。自分の知っている『兄以外の』クドラクは、「日向ぼっこ大好き!」なんて言いそうにない。「血の海大好き!」とか、「阿鼻叫喚の地獄絵図はまだですか」とかならもの凄く言いそうだが。
「じゃあ聖水なんてものは」
「ただの水だな」
 一度教会で貰ってきたが、とさらりと口にしたクドラクに、ああこいつなら行きかねないわ、とクルースニクは妙に納得した。信心深いというわけでは決してないが(神の存在なんて御伽噺程度にしか信じていない青年である)、クドラクは日曜日の礼拝は欠かさずに行っている。郷に入ってはなんとやら、というのを彼は忠実にこなしていたが、不浄の者が出入りする教会の神父は何と言うのだろうか。感想を是非聞いておきたいものだ。
 ちなみにクルースニクは教会に近づいたことさえない。堅苦しいあの雰囲気が肌に合わない。
「……何なら、今度ペペロンチーノでも食べに来るか?クルースニク」
「俺がニンニク嫌いなの知ってて言ってるんだよなァ、クドラク?」 
 
 珍しく微笑みつきで返された言葉にクルースニクは心底嫌そうな顔をしてその申し出を断った。そんな素敵なディナーにお呼ばれしたが最後、ペペロンチーノだけでなく世界各国のニンニク料理が振舞われるのは目に見えている。クドラクは料理上手だった。それはもう、無駄なくらいに。
 栄養摂取を他者の血液に頼るクドラクになんて無駄なスキルをつけたのだろうと、神がいたらクルースニクはそう言いたい。
 そこまで考えてクルースニクははたと気付いてしまった。

 ――俺のほうがよっぽど吸血鬼じゃねえか。


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bkm


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