学園パロあすいる

 自分の影でほっとしているイルツェニカを見ながら、「同じ学校でよかったなあ」などとアステレイラは考えた。

 ──朝の通勤ラッシュ。

 一般的な高校生よりは背の高さのあるアステレイラに比べ、平均より小柄なイルツェニカにとっては毎日が地獄だろう。兄に憧れて体を鍛えているものの、全く頑健にも屈強にもなれない華奢な体では人の波に逆らえるわけもない。背も低いから足がつかずに簡単に浮いてしまうし、そのまま流されることもザラだ。前なんて走ってきた恰幅のよい男性にぶつかられて、何メートルか弾き飛ばされていたこともある。慌てて近寄ったら「なに今の? 私飛んじゃったの?」と途方もなく混乱していたのを思い出した。

「イルツェニカ、平気?」
「アステレイラこそ。……ごめんなさい、毎日」

 わたしは大丈夫だよ、とアステレイラは穏やかに返して、イルツェニカにそっと微笑んだ。

 ──幼なじみで良かったなァ。

 ぽっと出の友人だったら許されなかったろうな、とイルツェニカの顔のすぐとなりの壁に手をついてアステレイラは思う。

 今の二人の状態は簡単にいってしまえば“アステレイラがイルツェニカを壁ドン”している状況だった。小柄なイルツェニカは問題なくアステレイラの影に収まってしまったし、アステレイラは問題なくイルツェニカの壁として作用している。人で混みあった電車のなかだというのに、二人だけの空間が出来上がってしまっているのが少し気恥ずかしくはあるが。

 ──幼なじみじゃなかったらお兄さんにメチャクチャ睨まれたろうなァ。

 イルツェニカの兄のルティカルといえば、妹にたいして少々過保護なところがある。幼い頃からイルツェニカを知っているアステレイラにこそ気を許してくれているようだが、そうでなくてはこれほど近づくことなど出来はしまい。まァ同性でも異性でも警戒するに越したことはないけども、とアステレイラは心のなかでため息をつく。あの妹バカさえなければとてもいい兄と言えるのに、と。

「うわ、っと」
「大丈夫?」

 急なブレーキに人混みが揺れる。思わずつんのめったアステレイラをイルツェニカがぎゅっと抱き締めた。

「あ、ああ、うん、大丈夫……鼻とか打たなかったかい?」
「だいじょうぶよ。アステレイラは平気?」
「ぜんぜん、全然大丈夫」

 ……じゃないけどな! とアステレイラは高鳴る心臓をどうにか落ち着けようとした。
 幼い頃から知っているとはいえ、イルツェニカは大層な美少女だった。美しい青の瞳が見上げてくるのにアステレイラはどきどきとしてしまう。単純にかわいくて直視できないのだ。こんなにかわいかったっけ、と目をそらしてしまった。

 つり目がちの青い瞳。小さくてふっくらした唇。やわらかい頬にアステレイラよりも華奢な体躯。声まで甘くて可愛らしいイルツェニカは文句なしの美少女だとアステレイラは思う。

 性格が少しきつく見られることもあるが、それはイルツェニカが人間関係の構築に絶妙に不器用なだけであるし、それを知っているとなおさらかわいく見えてくる。
 出会ったばかりは妹のように接していたアステレイラも、今やイルツェニカのことは妹なんだか何なんだかよくわからなくなっていた。守ってやりたいと思うし、できればずっと一緒にいたいとも。

 他人には少し態度が厳しくなるのはイルツェニカが臆病なことの裏返しで、仲良くなればその表情が存外柔軟にかわること、少し抜けているところがあること、心優しいこともわかるだろう。が、イルツェニカのことをよく知らなければ「ちょっと性格のきつい美少女」で終わるのかもしれない。

 本当は臆病でけなげでかわいい子なんだけど、と思いつつも、アステレイラはそれを誰かに教えようと思ったことはない。イルツェニカが微笑むのはイルツェニカの家族と自分だけでいいと思っていたし、イルツェニカが心を許す相手も同様だ。かといってイルツェニカの人間関係を悪化させたいわけでも狭めたいわけでもないから、日々何となくもやつきつつもイルツェニカが健やかに暮らしているのを見守っている。わたしも十分健気だよな〜、とアステレイラはイルツェニカの頬を指先で擽った。戯れのそれにイルツェニカは嬉しそうにくすくすとして、甘えるようにアステレイラを見上げる。

「アステレイラって、王子様みたい」
「へっ?」

 急におとされた言葉にアステレイラは思わず声をあげてしまった。イルツェニカはにっこりとしている。

「ねえ、知っていて? あのね、アステレイラって学校で王子様みたいって言われているのよ。格好いいって」
「あ、ああ、それ……」

 その話なら聞いたことあるな、とアステレイラは平然を装った。本当は君だけの王子様でいたい、と口にしかけたのを押し止める。

 何故だか知らないが──おそらくはイルツェニカへの態度がそう見せているのだと思う──アステレイラは“王子様みたい”と女生徒にもてはやされることが多かった。
 敵を作るよりは味方を作った方がいいし、好意的に接してくれる人間が多いに越したことはないのでアステレイラも周りには極力優しく接しているのだが、それがどうやら“王子様”らしく見えるらしい。

 さっぱりとした優しさがさわやかで格好いいと言われることもあったが、それは根本的にはイルツェニカ以外にあまり興味がないからだ。
 誰にでも分け隔てなく優しいのは、イルツェニカ以外は皆同じような位置付けでどうでもいいからだ。
 立ち居振舞いが“王子様的”なのも、自分が“理想の王子様”であればイルツェニカの興味が他にひかれないことを知っているからだ。
 ずぶずぶに甘やかされれば誰だってオチる。特にイルツェニカみたいに根が善良なら、それが恋やら愛やらのややこしいものに発展せずとも“親切にしてもらっているから”と好意的に見てくれる。

「王子様なんて、大したもんじゃないんだけどね」

 本当は優しくもなんともないし心のうちは打算でいっぱいだ。でもそんなことを知らずにイルツェニカはアステレイラの隣で笑うのだろうし、アステレイラもそんなことを悟らせたいとは思わない。どんなに不格好でダサくても、イルツェニカの前では格好いい王子様でいたい。

「ねえ、アステレイラ。今度のお休みにどこかに遊びにいかない?」
「デートのお誘い? いいよ。完璧にエスコートしてあげる」

 ふふ、と“王子様”らしく微笑んで見せる。
 イルツェニカはかわいらしく笑って、冗談めかしたように「お願いね、私の王子様」と嬉しそうに口にした。

 今はこれでいい、とアステレイラは思う。
 そのうち本物の王子様になれれば。
 イルツェニカだけの王子様になれれば。


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