冬の味
 すう、と息を吸ってその冷たさに笑みがこぼれた。肺が凍りそうな夜だ。暖かい空気と冷たい空気が肺のなかで入り交じるような不思議な感覚。不思議と嫌ではなかった。

 一面の銀世界。濃紺の空に煌めくは銀の星。柔らかい月の光。雪の積もった木々が薄ぼんやりと夜の帳に浮かび上がる。

 くちびるからこぼれる吐息は白く立ち上ぼり、静かに夜にとけていく。ゆるんできたマフラーを巻き直し、サーリャは隣に立つ青年ににっこりと笑った。

「冬ね、ランテリウス!」

 雪のなかでくるりと回ったサーリャに、ランテリウスは口許を緩めてほんの少し困ったように眉根を寄せた。「風邪を引かないでおくれね」と微笑んで見せれば、「冬の女神さまみたいね!」とサーリャははしゃぐ。凄くきれいよ、と続けられた言葉に「私は男なんだけれど」とランテリウスは慣れたように肩をすくめる。顔立ちが女性的なのは今更だし、そもそもであった当初サーリャはランテリウスを女性だと勘違いしていた。夫婦となった今ですら、時折こうしてランテリウスを女性のように扱う。

「君の方がよほど綺麗なのに」
「そうかしら」

 そうだったら嬉しいわ、と鼻の頭を赤くしてサーリャが笑う。悪戯っ子のような顔にランテリウスも笑った。何か思い付いたようにしゃがみこんだサーリャが、一握りの雪を丸めて投げつけてくる。肩に当たった雪玉にランテリウスはニヤリとした。

「やったね?」
「ふふ!」

 ランテリウスも雪玉を手にサーリャへと放る。緩やかな弧を描いて雪玉はサーリャの顔へぺしゃりと音を立てて落ちた。

「ああっ!? ごめんねサーリャ!? 大丈夫……!?」

 駆け寄ってきた夫の慌てぶりにサーリャは「コントロールが下手ね!」と大笑いする。ランテリウスが自分に雪玉を当てる気がなかったことくらいはお見通しだ。当てる気がないのに当ててしまう辺りが彼らしいというべきか。

「……お砂糖みたいに白いのにね」
「雪食べちゃダメだよ?」

 口に入った雪を吐き出しながら、サーリャは幸せそうに白い息を吐き出した。

「冬の味ね」



***



「お気に入りのマグカップに茶渋がついてしまって」

 満点の星空を見ながら、ニックのとなりに座ったヴィオラが呟く。
 ああいうのってどう落としたらいいのかしら、とおっとりと口にされたそれに「繊維の細かい濡れタオルで根気強く拭うくらいしか無いんじゃないか」とニックは応じた。
 ふうん、そうなのね、という生返事に頷きながら、ニックはブラスのマグを傾ける。甘いな、とマグカップの中身をちらりと見た。

 はちみつを加えたぶどう酒に干した果物を数種類。香り付けに香辛料をいくつか加えて、鍋で少し煮ればヴァン・ショーの出来上がりだ。ヴィオラのためにアルコールはほとんど飛ばしてしまったから、ニックが飲むには少し物足りない。けれど、星が煌めいて降る夜にはぴったりだろう。仲のよい友人と二人ならんで夜空を見るにはこの甘さが心地よい。

「ニック、私にも……」
「ん。俺ここに口つけたから、こっちから飲みなよ」

 熱いからな、とマグを手渡す。
 ふうふうと息を吹き掛けて、一口飲んで。「温かいわね」と頬を赤くしながらヴィオラは微笑んだ。

「寒くないか?」
「大丈夫。あなた、私を雪だるまにするくらいにいっぱい着込ませたじゃない」

 マフラーは一本で大丈夫なのよ、と言うヴィオラは重ねた上着で着ぶくれしている。「コート一枚じゃ寒いんじゃないか」「二枚くらい着てもいいと思う」「首もとはしっかり保温しろ」というニックの主張に従った形だ。ふくふくとふくれた見た目は確かに雪だるまのようだった。

「俺たちとヴィオラじゃ感覚が違うだろ。分かんないんだよ、どの程度が普通とか」
「あなたたちと同じで大丈夫よ」
「そうかあ……?」

 そんなもんか? と訝しむニックにヴィオラはくすくすと笑う。マグに浸されているシナモンスティックでぶどう酒をくるくるとかき混ぜ、大丈夫よ、と繰り返した。人間もクルースニクも寒い日のヴァン・ショーは美味しく感じられるでしょう、と。

「ねえ、アニスが星みたい。あなたのヴァン・ショーは赤ぶどう酒じゃなくて白ぶどう酒を使うのね。クルースニクだから?」

 吸血鬼って白ぶどう酒を嫌うんでしょう、とマグの中を見つめるヴィオラにニックは「そうだよ」と頷いた。

「赤い方がよかったかな」
「ううん。初めて飲んだけれど、こっちも素敵ね。マグの中がよく見える」

 マグの底のアニスを見てヴィオラがゆるゆると笑みを見せた。干したベリーと林檎に混じって、アニスがゆらりと沈んでいる。赤いベリーをシナモンのスティックでつつきながら、「宝箱みたい」とヴィオラはもう一口飲んで暖かい息を吐き出した。

「甘くて、幸せな冬の味ね」



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