いつかの祝福

「パレードでもあるんですか?」
「ああ、旅人さんなら分からないか」

 大通りを少し外れ、こぢんまりとした定食屋。その窓から青年は外を見つめる。自分と店主しかいない空間で、外を駆けていく子供の背を瞳で追っていた。子供を追いかけるように母親らしき女性が歩いていく。そのあともぱらぱらと人が大通り目指して歩いていった。誰も彼もが何か期待するような顔で、青年にはそれが珍しいものに映る。

「メイラー家のルティカル様が家督を継いだんだ。そのパレードさ」
「そうなんですか」
「公爵家の誰かが家督を継ぐときは、パレードを行うのがこの国の決まりみたいなものでね。確か……九年ほど前にエメリス様がウォルター家を継いだときにもパレードがあったんだよ」

 華やかでよかったよ、と顔を綻ばせ、店主の男性は「あんたも行ってみると良いよ」と続ける。

「パレード用の馬車は綺麗だし、運が良けりゃあ公爵家の皆さんが見られるかもしれないよ。メイラー家のパレードともなれば、狼公女からも祝福をいただけるかもしれない」
「ろうこうじょ?」
「メイラー家の女性でね、髪の白い方がいらっしゃるんだよ。とにかくその人に祝福してもらえれば、幸せが舞い込むって話さ」
「へえ……」

 滅多に姿を見られないからねえ、と店主は大きな腹を揺らしながら頷く。普段は屋敷から出ないらしいその『ロウコウジョ』も、こういったパレードや式典、祭りには姿を現すのだという。狼を引き連れ、車椅子に乗っている彼女に祝福を受けたものは必ず幸せになれる──そんな話があるらしい。

「彼の方は未来が見えるそうでねえ。数年前にその方に祝福を受けたトーカとキリカって兄妹がいるんだが……そいつぁ今や、トーカはルティカル様の使用人で、キリカはヤト家のお嬢さんのメイドになったのさ! 異国の子供が公爵家の使用人になるなんて、信じられないほどの幸運だよ!」
「それは凄い……」

 公爵家の使用人には滅多になれないものなあ、と店主は一人で頷いている。待遇も良いし、給金も弾むし、住み込みなのも場合によっては悪くない──などと呟いて。

「悪いことは言わんよ、あんたも見てくるといい」

 それならばそうしよう──と旅人の青年はうなずいた。公爵家の使用人になりたいとは思わないが、幸せになりたいかと聞かれたらそのとおりだ。そうでなくても面白そうだ。



***



 パレードが良く見える、と教えてもらった広場についたときには、すでに大勢の人が集まっていた。近衛騎士だろうか、鎧をまとった男たちが民衆を相手取りながら「もう少し下がって」「馬車が通るので」などと声を張り上げている。わくわくとした雰囲気に飲まれ、青年もだんだんと気分が高揚してくる。菫やミモザなどの花飾りをつけた少女、紙でできた手作りの鎧を身にまとう少年、楽しげな恋人たち、子供を肩車している父親とその妻。皆が何かを期待して近衛騎士達の向こうの道を見つめている。

「ああっ! 来たよ!」

 魔法で出来た光の玉が空高くにうちあがり、大きな音を立てる。子供たちが興奮したようにぴょんぴょんと跳ねながら、口々に「来た!」「馬車!」「ルティカル様!」などと口にしていた。

 海のような深い蒼に塗られた馬車には、豪奢な銀の装飾。馬車を引くのは美しい白馬で、毛並みの艶は青年が今まで見てきた馬のどれよりも良い。二階建ての馬車の二階の部分に建っているのが『ルティカル様』なのだろう。荘厳な蒼のマントに身の丈ほどもある槍を携え、手を振る子供たちに微笑み返している。儀礼用の槍なのだろうか。ところどころに嵌められたサファイアの大きさに青年は人知れず息を飲む。

 青年は驚いた。

 家督を継いだ『ルティカル様』が想像よりも若かったことに。自分と同い年か少し年下だろうかと考える。そして、背も高く頑健そうな体格であったことにも驚いた。
 貴族の青年というと、どうも日の当たらないようなところで暮らしてきた生っ白いものをイメージしてしまうが──この『ルティカル様』は違う。軍人とか傭兵とか、そういうものをすぐに連想してしまうような見た目なのだ。穏やかに手を振っているが、目付きの鋭さは戦場慣れしているし、礼服の上からでもわかるほどの筋肉は、男なら誰でも憧れてしまうだろう。『強さ』というものを具現化したらこうなるのかもしれない、と旅人の青年は思った。

 『ルティカル様』の強健さに驚きながら、青年は『ルティカル様』の隣に佇む女性に目を向ける。車椅子に乗りながら、同じように手を振っている女性はヴェールをつけていて顔が良く見えない。馬車と同じように深い蒼で染め抜かれたドレスの上から、雪のように白いケープを身にまとった女性は、白い髪を風に揺らしている。菫やすずらんのような花飾りをつけた帽子を身に付け、手袋に包まれた手を振って。杖を膝の上に乗せた姿はおそらく老婆だ。なるほど、『老公女』か、と旅人の青年は納得した。『ルティカル様』の祖母なのだろうか。

 馬車の上にいる二人を見つめながら、青年は二人が過ぎ去っていくのをぼんやりと見送る。二人が乗った馬車が過ぎ去れば、子供たちがいっそう騒ぎ始めた。

「わあっ、お母さん! お菓子だ!」

 あとから来る馬車の上から、袋に包まれた菓子がばら蒔かれていく。子供たちがはしゃいでいたのはこれのせいかと青年は一人頷いた。『施し』の一つなのだろうか。大人も照れ臭そうに笑いながら、リボンのかけられた小さな袋を拾ったり、空中でつかんだりと思い思いに楽しんでいるようだ。青年も飛んできた袋のひとつを取って、リボンをほどく。中から出てきたのはキャラメルとクッキー。ついきょろきょろとあたりを見回す。父親に肩車されていた子供の袋からはチョコレートとナッツの菓子が出てきていた。花飾りをつけた女の子の袋からは小さなぬいぐるみと飴玉。袋によって入っているものが違うらしい。これは確かに──と旅人の青年はキャラメルを口に放り込んで笑う。大の大人が夢中になるのはちょっと照れるが、面白い。青年の後ろの方で「酒が飛んでこねえかなぁ」、「チーズもあるとなお良し」なんて冗談混じりの声に「大酒飲みのお前らに飛ぶのは、女房の張り手だけだよ」なんて声が聞こえてきたときにはニヤリとしてしまった。



***



 パレードも終わり、青年は宿に向かってひとり道を歩く。陽も少し傾き始め、熱気溢れていた広場にはもう人もまばらだ。なんだか知らないが楽しかったなあ、といい気分になりながらスキップでもしそうな足取りで石畳を行く。

 ふと、前に人影が見えた。犬だろうか、白い獣を引き連れて杖をつきながら歩く姿。女性だ。白くて長い髪を揺らしながら、ゆっくりと石畳を進んでいる。老婆にしては背筋がのびているが、はてさて。

 興味本意でその女性に近づこうとすれば、白い獣が唸り声をあげた。犬じゃない、と旅人は身構える。狼だ。町中になぜ狼がいるのか。狼の唸り声に反応し、女性がゆっくりと旅人の青年に向けて振り返った。

 狼の頭をぽんぽんと軽く撫で、青年へ唸らせるのをやめさせたその女性には見覚えがあった。

「あなた、は──」

 ──老公女。

 あのパレードで『ルティカル様』の隣に佇んでいた女性だ。あのときに見た、雪のように白いケープを外していたから、気づくのが遅れた。片手であのときは膝の上にあった杖をつき、顔にはヴェールをかけて。馬車の上にいたときはよくわからなかったが、彼女はずいぶんと小柄だ。けれど、老人だからといって腰が曲がっているがゆえのそれではない。ふんわりしたドレスに誤魔化されてはいるものの、体つきそのものが細く小さい。狼を従えているのが──狼がしたがっているのが──嘘のようだ。

 膝をついて頭を垂れようとした旅人の青年に、老公女はそっと手招きをする。近くに寄れということだろうか。戸惑った青年に焦れたように狼が小さく鳴いた。白い巨体が青年へと近づき、青年のコートの端を軽く加える。こっちへこい、というように引っ張った。

「わわっ、ちょっと待って……」

 狼の示すように青年はおずおずと女性へと近づく。腕を目一杯伸ばして彼女に触れるか触れないか、といった距離で狼は青年から離れた。この距離を保て、といわれているような気がする。戸惑ってから、青年は地面に膝をつき頭を垂れる。

「お顔をあげて」

 頭上から降ってきたのは老人の枯れた声ではない。年若い少女の柔らかな声だった。ばっと見上げてしまった青年にくすくすと笑い、「旅のかたですね」と『老公女』は声をかける。

「見つかってしまったからには、あなたに祝福を」

 どこか悪戯っぽい調子でそう語り、『老公女』は顔のヴェールをそっと持ち上げる。
 この国では貴族であれ平民であれ、誰かと口をきく際には顔を覆うものをとるのが慣わしだ──と青年は聞いている。青年が生まれた国では、貴族が平民相手にヴェールをとることなど考えられなかった。平民と自分達とを対等のものとしては扱わないのが『貴族』の決まりだったからだ。
 もしかしたら、この国ではヴェールにそれほどの意味はないのかもしれない、と青年は思う。先のパレードでヴェールをつけていたのは目の前の彼女くらいだったから、何か他の理由があるのかもしれない。例えば、日の光が眩しすぎるだとか。

 ヴェールの下の顔。それはまさしく美しい少女のものだった。上等な絹織物のように滑らかな肌、春を告げる菫の瞳は長いまつげに縁取られている。淡く染まる唇は品のよい形をしていて、良くできた人形のようだ。

「今日のパレードを見にきてくださったのかしら」
「あっ……は、はい!」

 呆けていた青年にかけられた声は貴族のものとは思えないほど優しく、柔らかいものだった。楽しんでいただけましたか、と語る声に青年は頷く。よかった、と少女は笑った。

 杖をついていない方の手が青年の手のひらをとる。手袋に包まれているというのに、ずいぶんと細い指だった。青年の使い古された革手袋をまじまじと見つめ、「色んなところを見てきていらしたのね」と少女は微笑んだ。青年はその言葉にどこか羨ましそうな雰囲気を感じとる。
 公爵家の方だものな、と心のなかで呟いた。したくてもできないことはたくさんあるのだろう。

「……ふふ。貴方の旅路に幸の多きことを。幾度雪が降っても、必ず暖かい春の訪れるよう。貴方が善く振る舞ったとき、美しき星空が貴方を導くよう」

 手袋をとり、少女は青年の頬をそっと撫でた。冷えた頬にあたたかい手のひらの熱を感じ、青年はほう、と息をついてしまう。頬にだけ春が来たような、そんな気持ちだった。

「──菫の花の祝福を」



***



「──昔、とある国で『狼公女』という人に祝福を授かったんだよ」
「ろうこうじょ?」
「狼をしたがえた美しい人でね。かの方に祝福を授かると、良いことがあるのだという話があったんだ」

 ふうん、と孫が不思議そうな顔をしたのに老人は笑った。この話はまだ少し早いようだ。まるでおとぎ話のようだから、寝物語にぴったりだと思ったのだが。

 青年はあの後の旅で様々な幸運に恵まれた。困っていた人を助けたら、たまたまその国の王族であったからとお礼をされたり、試しに始めた商売が自分に合っていたのか、あっという間に繁盛したり。その間に知り合った女性と結ばれ、旅をすることはなくなってしまったけれど──それでも春になると思い出すのだ。夕暮れに見たあの少女のことを。

「じいじは幸せなの」
「そうだなあ。幸せだ。こうしてお前が眠るのに物語を語るのが、たまらなく幸せなんだ」
「ふうん」

 そうなんだ、と笑う孫に老人も微笑む。

「ぼくもね、じいじの旅のお話をきくの好きだよ。いつか、ぼくも旅をするんだ。それでね、あの星にいくの。じいじもいっしょに」
「あの星かい」

 窓の向こうを指差した孫に「それは楽しそうだ」と老人は頬を緩ませた。

 窓の向こうには美しい星空が広がっている。
 星空を眺めながら、老人とその孫はいくつかの旅の話をした。いつかの旅のために。
 窓の外を吹いていく風はずいぶんと暖かくなってきている。冬が終わり、春が訪れるのだ。

 星空の下、菫のつぼみが膨らみかけていた。
 



 


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