不実の無実

 ──朝の光が眩しい。

 細い瞳を更に細め、オスカーは魔を祓う朝日を浴びる。
 薄桃色に色づく空は夜明けの印だ。払暁を歓迎するように一番鶏が鳴く。今日も良い日になりそうだとオスカーは微笑んだ。夜を徹して【仕事】に励んだ甲斐があるというもの。
 理性を無くした吸血鬼や食欲に狂った食屍鬼の相手をするのは毎回骨が折れるけれど、こんな夜明けを見られるのならそれも悪くない。

 自分の屋敷に帰るまでの間、オスカーの頭のなかは屋敷で待っている想い人のことで頭がいっぱいだ。オスカーが怪物退治を生業とするクルースニクであることを差し引いても、彼女は心配しすぎるきらいがある。一晩中オスカーの無事を願い、寂しさに身を震わせて空が明るむのを祈っている。そんな彼女を早く安心させてあげたくてオスカーの足も自然と早くなる。疲れてさえいなかったら走り出していたところだろう。

 表通りを歩く。昨夜は狼男と赤帽子が喧嘩をしていたところだ。真夜中のあの面影はもうなく、そこには平和な日常が広がっているのみ。パンの仕込みをしているパン屋の煙突からは煙と、思わずお腹の空くような良い香り。花屋は冷たい水に手を真っ赤にしながら開店の準備をしている。みんな朝が早いんだなあ、とオスカーは欠伸を噛み殺しながら考える。ちょうど酒場から酔っぱらいが蹴飛ばされて出てきた。血の気が多いとの噂の店主の仕業だろう。真夜中に追い出さないだけ優しい。

 しばらく歩いてオスカーはやっと自分の屋敷に帰ることが出来た。貴族の屋敷にしては手狭だと評判の我が家だが、二人きりで過ごすにはちょうど良い大きさだ。オスカーが家の中に入れば、真っ白い狼が出迎えてくれた。彼女が飼っているアガニョークだ。賢くて頼りになる美しい狼だ。オスカーが安心して家を留守にできるのはこの狼がいるからに他ならない。飼い主をこよなく愛するアガニョークは、時折オスカーにさえ噛みつくからだ。──例えば恋人同士のスキンシップの最中とか。

 飼い主の恋人にも噛みつくような警戒心のある【忠犬】は、見知らぬ人間にはもっと厳しい。狼ということもあって威圧感もある。好き好んで噛まれに来る奴ならわからないが、大抵はアガニョークに怖じ気付いて悪事を働くのをやめるのである。

「わかったわかった、先にお風呂はいるから……」

 低く唸られ追いたてられながらオスカーは風呂場へと向かう。汚い姿を主人に見せるな、ということらしい。風呂場にはオスカーの着替えもきちんとおいてあって、恋人が用意してくれたらしいそれにオスカーは擽ったくなってしまった。

 身を清め、濡れた髪を乾かす。スンスンとオスカーの周りを嗅ぎ回っていたアガニョークが仕方がないなとでもいうように小さく鳴いた。

「あの子は寝室?」

 オスカーの問いにアガニョークが甘噛みで応える。ありがと、と応えてオスカーは寝室へと向かった。階段を上って、廊下を歩いて。一番端にある部屋が二人の寝室だ。ノックを二回して扉を開ける。オスカーが扉を開けた瞬間、白いものがオスカーの胸の中に飛び込んできた。

「ただいま、ニルチェニア」

 オスカーにぎゅうっと抱きついてくるのはニルチェニア。オスカーの恋人の【魔女】だ。訳あって声を失ってしまった彼女は、『おかえりなさい』と声のでない唇を動かす。心底ほっとしたようにオスカーの顔を撫でて、『大丈夫?』と菫色の瞳で見上げてくる。

「大丈夫だよ。君は大丈夫?」

 オスカーの問いにニルチェニアはうなずいた。真っ白な髪をそっと払って、オスカーは小さな額に口づける。くすぐったそうに笑ったニルチェニアがオスカーの服の袖を引っ張った。甘えん坊だね、と微笑んでオスカーはニルチェニアを抱き上げる。
 抱き上げた体は相変わらず小さくて華奢だ。同じものを食べて暮らしているというのに、ニルチェニアはオスカーよりもずっと線が細い。日に当てられたら溶けてしまいそうな雪にも似た白さの肌に、ほんのりと色づく唇。丸い瞳は硝子のように艶やかで、小さな顔はまるで人形のように整っている。見目が美しいから彼女のことを好いているわけではないが、それにしても大切にしたくなる娘なのだ。

「一晩中起きてたんでしょう」

 オスカーの問いかけにニルチェニアはこっくりと頷いた。抱き抱えたニルチェニアをそっとベッドに下ろし、毛布をかける。そのとなりに自分も潜り込んで、オスカーはニルチェニアを抱き寄せた。華奢で柔らかい体はあたたかく、まるで春の日溜まりのように心地いい。

「僕のことはいいから、ゆっくり寝てね」

 オスカーがニルチェニアの背中をとんとんと叩いているうちに、彼女はすっかり寝入ってしまった。穏やかな寝息にオスカーはそっと息をつく。きっとこういうのを幸せというのだろう。愛する人の鼓動を感じながら、うたかたの微睡みに身を委ねる。そんなひとときはどれもこれもが愛しい。日に透けて先の方が白く光っている長い睫毛も、柔らかく甘い香りのする髪も。
 珊瑚色の柔らかな唇を人差し指でそっと撫でて、オスカーもまた目を閉じる。



***



 ニルチェニアがオスカーの邸宅に住むようになったのはここ最近の話だ。元々彼女は森の中の小屋にすんでいて、オスカーがそこを訪ねていくのが常だった。しかし、秋が過ぎ冬がやって来たときにオスカーは小屋の寒さに耐えきれなくなった。情けないことだが、本当にニルチェニアの小屋は寒かったのだ。
 まずはすきま風。一応は隙間に枯れ草を詰めるなどして対応していたようだが、オスカーの住む家とは壁の質が全く違うのだと痛感させられた。
 続いては土地自体の気温。鬱蒼とした森の中の小屋は日も当たらず、太陽の恩恵は受けられない。そのくせ、夜は遠慮なく冷え込む。昼間温められることもなかった土が、夜には凍るほどに冷え込むのだ。すきま風云々の問題どころではなかった。
 最後に暖炉。彼女の家には暖炉があったが、暖炉には当然薪が付き物だ。しかし、薪を作るというのは女性にはかなりの重労働。彼女の家に出向く度にオスカーは薪割りを申し出たものの、ものには限度というものがある。オスカーとて毎日彼女の家に行けるわけでもなし、冬場の寒さが一日おきに緩まるわけでもなし。結局のところ、薪不足で暖炉の火が弱い……なんてこともザラだった。ニルチェニアのほうも一日を薪割りばかりに費やせるわけではないから、それはもうどうしようもないことだ。そもそも女性が独りぼっちで森の中に暮らすのが無謀と言えば無謀なわけで。

 しかし、ニルチェニアからすればそれはいつもの『冬』の光景。オスカーがどんなにこの状況を不思議に思っても、ニルチェニアからすればそれは日常なのだ。それに哀れんだわけではないが、こんなところに彼女をおいておくわけにはいかないとオスカーは決心した。寒すぎて体調を崩されたら……だとか、可愛らしい心配をする前に『よく今まで凍死しなかったな』という驚きの方が勝ったくらいなのだから。

 ニルチェニアを自分の邸宅に呼ぶのには苦労した。何しろ彼女は遠慮がちで、甘えるのが下手くそすぎる。オスカーはそれをよく知っていたから、『寒いだろうから僕の家においで』とは言わなかった。そんなことを言っても『大丈夫です』と言われるのが目に見えていたから。

 ──だからオスカーは『冬の間だけでいいんだけど……』と申し訳ない顔をつくって、『僕の家にきてくれないかな』と頼み込むことにした。名目としては『家の管理をたのみたい』というところだ。冬になると色々仕事も多くなるので手が回らないんだ、ともっともらしく付け加え、『出来れば住み込みで働いてくれると僕としても楽』、『一人は寂しいから二人で朝御飯を食べてみたいんだ』、『薬を作るのも手伝ってもらえたら嬉しいな』などと畳み掛けた。

 ニルチェニアはそれを特に疑問に思うでもなく了承し、そうして今オスカーの家にいるというわけだ。飼い猫のノーチと飼い狼のアガニョークも一緒に。
 恋人とはいえまだ婚約も交わしていないオスカーとニルチェニアが一緒に暮らすのを、彼女の叔父と兄が何と言うか──オスカーにとって一番の鬼門だったその問題は、案外にも「寧ろこちらからお願いしたいくらいですよ」という叔父の一言で片付いた。

 ──「彼女の住環境の劣悪さは僕も把握しておりましたので」。

 姪の住んでいる環境を『劣悪』と断言した、自らの伯父でもあるソルセリルにオスカーはちょっぴり引いたものの──そういえばこの伯父はそういう人だったと考え直した。彼は嘘がつけない性格なのだ。多分。
 ソルセリルも何度かニルチェニアを暖かい──というか、あの小屋よりはまともなところで冬を過ごさせようと思っていたらしい。特に今年の冬は例年より寒くなりますからね、と付け加え、「僕が誘ったときは断られてしまいましたから」と少ししゅんとしていた。

 聞けばソルセリルは『正攻法』で彼女を邸宅に招こうとしたらしい。つまりは『寒いからいらっしゃい』。しかしオスカーの読み通り、彼女はそれを断ったのだという。叔父様に迷惑をかけるわけには参りませんから、と。
 色々あって彼女が森で暮らす羽目になってしまった原因とも言えるソルセリルからしたら、それは絶対に聞き入れたくない話だったろうが──これ以上姪に嫌われるのも、と思ってしまったらしい。そんなところにオスカーがニルチェニアを家に冬の間だけでも住まわせたい、と申し出たのだそうだ。だからあんなにあっさり許可したのかとオスカーも納得する。

「君たちはそのうち結婚するんでしょう?」
「僕はそのつもりですけど。ニルチェニアがどう思っているかは……」
「どう転んでも責任を取る気概が君にあるのならば結構。僕としては反対する理由はありませんよ」
「そうですか」

 気難しい叔父から真っ先に許可をもらえたことに、オスカーは心底ほっとした。嫌みの十や二十は覚悟していたからだ。ほっとしているオスカーをみながら、ソルセリルは「家具は足りているんですか」と口にした。

「一人で暮らすのと二人で暮らすのは訳も違いますからね。……君の家は貴族のものにしては随分と小さいし。部屋は足りていますか? 彼女の着替えは?」
「着替えはこれから知り合いの仕立て屋に頼もうと考えています」
「わかりました。……部屋は? 特に寝室は?」

 じろ……と見てくるソルセリルに「一緒になるかなと思っています……」とオスカーは恐る恐る答える。やましい気持ちはないこと、それからベッドなら人が三人は寝られるほどに広いから大丈夫だと必死に説明すれば、「妙な気は起こさないように」としっかり釘を刺された。

「責任を取る気概があるのならば、とは言いましたがね。彼女が未婚の娘であること、それから君が聖職者であること。その二つをよく心に留めておきなさい。『不義理を働くことは甥とて赦しません』よ」
「勿論です」
「これは『契約』として受けとりますが、いいですね」
「ええ」





 ──というやりとりをして、兄のルティカルにも許可を得て、オスカーはしばらくの間ニルチェニアと暮らしていた訳なのだが──。


「貴様ッ! 表へ出ろ!」

 普段ならばむっすりとした仏頂面で固定された顔面が、今日に限って怒髪天をつくような怒り顔になっている。青い瞳をきりりと吊り上げ、いつもよりも数倍深いシワを眉間に刻み──ルティカルはオスカーに怒り狂っていた。

「落ち着け! 落ち着けってルティカル!」
「落ち着けるものか!」
「オスカーを殺す気か、ルティカル」

 ルティカルをなんとか羽交い締めにして押さえ込んでいるのはミシェルだ。その一方でルティカルの腕をしっかりと掴んでいるのはクルス。クルスは淡々と「殺す気か」などと言っているが、ルティカルの顔を見る限りは洒落にならない。何でこんなことになったんだろうとオスカーはため息をついた。全く心当たりがないのである。その上、ニルチェニアは昨日の夜からオスカーと顔をあわせてくれない。ついには家を出ていってしまって、今はソルセリルのところにいるのだという。

「待ってよルティカル……。何でそんなに怒られなきゃいけないのか、全くわからないんだけど」
「しらを切る気か!?」

 この期に及んで! とさらに怒り狂ったルティカルにミシェルが「ともかく平和的に!」と叫んだ。クルスは「とりあえず話すことから始めよう」と必死の説得を続けている。二人の呼び掛けにルティカルも渋々ながら応じ、オスカーをぎろりと睨み付けた。

「貴様、妹に何てことを……!」
「えっ?」

 何のことだとオスカーは首をかしげた。ルティカルに怒られるようなことは何もしていないはずだ。ひとつだけ「これかな?」と思い当たらなくもないことはあるが、それに関してはルティカルが怒るようなことではないはず。そう考えてオスカーはルティカルの次の言葉を待った。

 ルティカルは押し黙り、ミシェルとクルスの顔を見る。それからオスカーを真っ直ぐに見て、「不義理を働くような男だとは思わなかった」と苦々しげに吐き出した。

「……叔父の友人でありオスカーの師であるミシェル殿と、俺の友人であるクルスの前だから言うが……! 本来ならば妹の名誉のために貴様のみに聞かせたい話だ!」

 雲行きが怪しいことをミシェルとクルスは察知したのだろう。オスカーも何となくそれを察知したが、しかし『それ』には心当たりが全くない。
 ルティカルは顔を真っ赤にして──怒りからなのかはオスカーにはわからなかった──低くうめいた。

「婚前交渉を俺は認めていない!」

 オスカーに突き刺さるのはルティカル、クルス、ミシェルの三人分の「最低野郎め」という視線だ。ミシェルに関しては人のことは言えないだろうとオスカーもちらっと思ったものの、自らの師ゆえに言い返せることもなく。しかしながら全く身に覚えのない糾弾にオスカーは驚くこととなった。

「な、何それ……!?」

 毎日同じベッドで寝てはいるものの、彼女にそんなことを仕出かした覚えは全くない。そういったことに興味がないわけではないが、伯父とも約束した手前、結婚するまでは……と自分自身に誓ったのだ。そもそもニルチェニアはそういうスキンシップが不得手なようで、昨夜ようやく唇に口付けることが出来たくらいなのだから、ルティカルのいうそれは全くの寝耳に水だ。

「待った。待ってよルティカル。まさか口付けもアウト?」
「はっ?」

 今度はルティカルが驚く番だった。

「いや……その、こんなの本人がいないとこで話すことじゃないし……ごめんクルス。聞きたくないと思うけど」
「……構わない」

 ニルチェニアに恋慕の情を寄せていたクルスに聞かせるには、と思いつつも話す他なく、オスカーは先に謝ることにした。クルスは少し渋い顔をしたが、それでも続きを促してくれる。

「ルティカルが言うようなことはしていないよ。昨日やっと口付けることが出来たくらいなんだから。あの子物凄く……そういうのを怖がるようだから」
「……じゃあどうして今朝一番に叔父のところにあの子が駆け込んだんだ? 『赤ちゃんができちゃう』なんて口にしたんだ!?」
「はっ!?」
「交渉もなしに子が宿せるなどと、馬鹿げたことは言うまいな?」

 いよいよ殺意のこもった目で見られ、オスカーは「誤解だ」と口にする他なかった。全く心当たりもないし、神に誓ってそんなことはしていない、と。

「伯父さんともそういう『契約』をしたから、それだけは確かだよ! なんなら伯父さんに聞いてみてよほんとに! あの子にそんな不義理を働くもんか!」

 ぎゃあぎゃあと言い合う二人をみながら、ミシェルはふむ……と考え始める。ニルチェニアがソルセリルのところへ駆け込んだ現場にミシェルもいたから、ルティカルのいうことに嘘はない。誇張もない。しかし、オスカーも嘘はついていないだろう。どことなく胡散臭い雰囲気のある男ではあるが、不義理を働くような者ではないことをミシェルは知っている。自分の弟子なのだから尚更だ。その上、ソルセリルと『契約』まで交わしたという。ならばオスカーが嘘をつける余地は最初からない。

 だとすれば──とミシェルはため息をつく。どこかで決定的に物事が食い違ってしまっているのだ。
 ルティカルもオスカーも嘘をついていないとなれば、この場合嘘をついているのはニルチェニアだろう。しかしあの娘はそんなことができるような性格ではないし、ソルセリルのところに駆け込んできたのも夜が明けてから。
 もしオスカーに望まぬ交渉を迫られたのだとすれば、夜が明けずとも叔父のところに駆け込んできたことだろう。森の中の小屋で起こったことならば、野性動物やその他のことも考えて夜が明けてから逃げ出してくるのも不思議ではないが、ここは森ではない。くわえて、オスカーの邸宅とソルセリルの屋敷はそう離れてはいないのだ。来ようと思ったらいつでもこられる距離。
 おそらく、とミシェルは頭をかく。誰も嘘をついていない。オスカーは昨夜やっとキスできただけだろうし、ルティカルは妹が婚前交渉によって身ごもった可能性があるのに怒っているし、ニルチェニアは身籠ったのだと思っているのだ。

「……なあ、クルス」
「何でしょう、先生」
「あの子……昔話とか好きだったんだよな?」

 ミシェルの問いに「ええ」とクルスは返した。続けて「適切な教育は受けていないんだよな」ともたずねる。クルスはそれにも肯定を返した。血筋こそ貴族のそれとはいえ、十になる前に森に捨てられた娘だ。適切な教育など受けてはいない。薬学に関しての知識は驚くほど豊富だったが、それは彼女を育てた【先代の魔女】に教えられたものだと聞いている。

「……ちゃんとした教育ってやっぱ大事だなあ」
「どういう……あ、いや──まさか?」
「多分『そういうこと』だよ」

 誰も嘘をついていない。誰も嘘をついていないが──とミシェルは生ぬるい笑みを浮かべ、「二人とも、ちょっとこっち来い」とルティカルとオスカーを呼び寄せる。殴りあう一歩手前だったが、まだ理性は残っていたらしい。二人ともその呼び掛けに応じ、ミシェルから話された『真実』に膝から崩れ落ちた。



***



「ニルチェニア、接吻では身籠りませんよ」

 何をどう伝えようかと迷って、結局ソルセリルはそれだけを伝えることにした。森のなかで暮らしていた姪は、どうやら十分な知識がないらしい。おとぎ話や昔話の類いの本を読んで育ったという話を本人から聞いて、ソルセリルはすぐに納得がいった。

 オスカーと交わした『契約』は破られていなかった。不義理を働くような甥だとは思っていなかったが、念のために交わした『契約』だ。もしそれが破られるようなことがあれば、ソルセリルにはすぐにわかる。契約を破ったことを誤魔化すようなことをしてもソルセリルだけには筒抜けになる。それがソルセリルの『契約』であり、オスカーもそれを知っている。

 だからこそ、ニルチェニアのいう『赤ちゃんが……』という話はいまいち飲み込めなかったのだ。もちろん、ニルチェニアが嘘をついているという可能性は考慮した。けれど本人はいたって真面目そのものだし、オスカーが嫌で逃げてきた──というよりは『これからどうしたらいいのか』という困惑の方が大きく見てとれた。だから彼女が嘘をついているわけではないとソルセリルは判断したのだ。

 話を聞いてみれば彼女は昨夜オスカーと口づけを交わしてしまったそうで、ニルチェニアはそれを話すのにずいぶんな時間を要した。恥ずかしがっているのはよくわかったが、可愛い姪でなければまどろっこしいと部屋から追い出しているところである。

「で、でも、愛し合う男女が口づけを交わすと、コウノトリがやって来て赤ちゃんを置いていくのだと、本に……!」
「それは……その、都合が悪いときに使う話ですね」

 こんなときにどう説明するのが適切なのかをソルセリルはしらない。言葉を選んで話すのは大の苦手だった。

「……君、花が実をつけるまでの簡単な仕組みはわかりますか」
「ええと、受粉して受精して……結実します」
「人間も生き物ですからね。植物と似た形で【結実】するんです。それが赤ん坊。詳しい仕組みは今度教えますが、今はとりあえずそれで納得してください」
「は、はい……! ええと、それなら私は……?」
「人は口付けでは【受粉】しません。つまり君は受粉していない。従って【結実】していない。わかりましたか」

 ソルセリルの説明にニルチェニアはこくこくと頷く。冬の間の住居以外にも面倒をみなくてはいけないことが山積みなのであろうことに気がついて、ソルセリルはそっとため息をついた。


 


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