あとが困る


 ──あ、死んだな。

 まるで他人事かのように、リピチアは自分の死を悟った。目の前で鋭い刃物を振り上げられたのだ。次の瞬間に袈裟懸けに切られることくらい馬鹿でもわかる。こんな形の剣の名前って何だっけ──とこんなときでもそんなことを考えた。湾曲した刀身、西方の人間が好んでよく使うという武器。ここ、北国フローリアの都市【ホワイトアウト】ではまず見かけない代物だ。何だっけ、ともう一度呟く。拳骨一つ分くらいのところにまで刃が迫っていた。

「あ」

 シャムシールだ、とリピチアは思い出す。死ぬ前に思い出せてよかったと少し嬉しかった。思わず顔が綻んでしまう。こんな下らないことで未練なんか残したくもない。目の前の男がぎょっとした顔になった。何だというのか。人の顔をみてびっくりするとは失礼な。

 死ぬことは別に怖くなかった。いつか訪れるものだからだ。こんなに早く訪れるとは思っていなかったが、想定外の事態なんてよくあることだ。仕方ない。

 それよりも──袈裟懸けに斬られたときにどうなるのだろう、とわくわくした。自分の体が真っ二つになったとき、痛みの程度は? 内臓はどうなるんだろう? ぼちゃぼちゃとこぼれ落ちたりするのかな。──でも、血だらけで何がなんだか分かんないんだろうな。それが残念だ。痛覚で意識が飛んだりするのも惜しい。やっぱ死にたくないな。そんなことをリピチアは考えた。

 刃はすぐそこに。リピチアは目を見開いた。エメラルドグリーンの瞳は知性の証であり、愛すべき命の色だ。草、鳥、あるいは爬虫類に両生類。自然界には命が、緑が溢れている。雪の白と厚い雲の灰色に覆われたこんな国でも、緑は息づいている。自分は今から死ぬけど。

 諦めたリピチアの目の前を、軍服の紺とチャラけた黄色──金髪が横切った。
 リピチアを突き飛ばし、代わりに袈裟懸けに斬られたのは。

「上司に死なれると後が面倒なんスわ……!」

 よく知った声だ。私情丸出しの愚痴だ。リピチアが死んだら後が面倒くさいのはリピチア自身がよくわかっている。リピチアの死後、彼女が世話をしている合成生物の面倒および処理は誰が行うのかという話だし、そんな話が出たら真っ先にやり玉にあげられるのが彼だ。なぜか?

 ──リピチアが一番使い走りにしている部下だから。

「ミズチさん……!」

 ──ミズチ・アルテナ。ミドルネームがあるはずだけれど、誰にも教えていないらしい。日差しの元の蛇みたいな、細い瞳孔の金色の瞳。それから、雪国では目立つことこの上ない金髪。耳やら口許やらには見ているこっちが痛くなってくるほどのピアス。口を開けばそこにあるのは蜥蜴のように先が割れた舌。いわゆるスプリットタン。誰がどう見ても雪国の育てたチンピラだろう。ごろつきでも良い。とにかく、見た目がものすごーく怖いお兄さんだ。そして、そんな彼は。

 リピチアの形式上の部下だ。かなり優秀な。

「──ッ、ぐ、ってーな……!」

 呻き声にリピチアははっとする。
 ギリギリで真っ二つにはなっていないものの、皮一枚といったところだろうか。いつもの余裕そうで腹の立つ笑みもなく、切られた部分から崩れないように身体を自分の腕で押し止めている。おびただしい血だ。生気溢れる鉄の臭い。生臭く、不吉な臭い。

「──俺が斬られたって無事なの、少尉は分かってるスよね。近づかずに体勢整えるなり何なりして貰えますかね? こっちもマゾってわけじゃねェ。切られたくて切られてるわけじゃないスから」
「そりゃ……分かってますけど! 可愛い部下ですからね!? 心配くらいしますよっ」

 斬られたにしてははっきりと発音するミズチに、リピチアはそれでも歩み寄ろうとした。血まみれの片腕がそれを制止する。

「……だったら、可愛い部下におイタしたあちらさん、どうにかしてくれませんかねえ?」

 かっこつけたのか何なのか。少し気取った台詞を吐いた後に「死ぬほど痛ェなこれ」とうんざりと付け加えられたのに少しだけほっとした。大丈夫だ。失ってしまった血は少なくないが、ミズチは【時忘れ】──不老不死者なのだから。

 持ってるんでしょ、と血を吐きながらミズチはリピチアに話しかけた。持ってますよとリピチアも答える。最初から使えよと悪態を垂れたのに「距離が近すぎたもので」と腰につけたホルダーから鞭を取り出す。鞭は懐に入られては振るいづらい。ある程度の距離がなくては意味をなさない代物だ。折り畳んで纏めて持ち、棍棒のように扱うこともできなくはないが──生憎とそれで戦えるほど、リピチアは力強くもない。力にものを言わせるのは、リピチアの上司の方がずっと得意だ。リピチアの上司のルティカルはすごい。素手で熊と取っ組み合い、転がる岩をも拳で打ち砕く。雪国の育てた規格外の脳筋だ。

「タメ口だなんて可愛くない部下です……」

 最初から使えよと悪態をつく部下にぷくっとふくれて見せる。可愛くねえとすかさず突っ込みが入った。本当に可愛くない部下だ。そんな部下は真っ赤に染まる雪に仁王立ちになりながら、それでもリピチアに悪態をついた。「可愛くない上司より随分ましっスよ」などと。

 ──可哀想に。リピチアの代わりにミズチを斬った男は、事態についていけずに目を丸くしている。無理もない。普通は死ぬ傷であったし、少なくともこんなに流暢な悪態を上司につけるわけがない。ミズチさん常識ないからなー、などとリピチアは頷いた。上司に平気で悪態たれちゃうんだもんなー、と。

 しかしながら、そんな話を別の人間が聞こうものなら否定するだろう。ミズチが常識はずれなのは、不老不死というその体質とピアスの量くらいだ。一方でリピチアはと言えば──。彼女のやらかしたことの数々を語りたがる人間なんて一人もいない。それくらいの【常識はずれ】なのだ。合成生物を嬉々として創っているあたりにその実状が垣間見えようというものだ。

「言っとくけど俺の方が少尉より随分歳上スからね!? 敬えって言われないだけましだと思えって感じスよ!?」
「そうですよねえ、ぴっちぴちの私より随分お爺ちゃんですもんね!」

 お爺ちゃんには優しくしてあげなきゃ! と口許だけで笑ったリピチアに気が抜けたのか、「助けんじゃなかったな」とミズチは倒れた。しかしその口許もまた、性格の悪い笑みを浮かべている。

「大丈夫ですよ。絶対ミズチさんの敵はとりますから! 私の威信をかけた敵討ちですっ。……ありがとうございます、ミズチさん!」

 貴方を犬死になんてさせませんから! とキリッとした顔で相手と向かい合い、ぶっ倒れたミズチを庇うように立ったリピチアの足元──ミズチが弱々しく呟いた。



「まだ死んでねえし……」



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bkm


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