真夜中のオオサンショウウオ

 ふと、目が覚めた。
 自分のとなりに転がっていたものを認識し、覚醒し、ルーマイズはベッドから飛び降りた。人ぐらいの大きさの、何やら蜥蜴ともカナヘビとも言えぬような奇妙なものが横たわっている。昨夜眠りについたとき、ルーマイズの隣にいたのはイルツェニカだったはずだ。ルーマイズに添い寝できると知ったとき、彼女は嬉しそうな顔をこらえきれずにへにゃへにゃと笑って、ルーマイズの腕のなかで幸せそうに眠りについていた──はずなのだ。少なくとも、ルーマイズの隣で寝たのはイルツェニカであって、このよく分からない何かではない。

「なんだこれは……」

 一度離れた距離を、もう一度詰めなおす。近づくにつれてそれがなんなのかわかった気がした。イルツェニカが気に入ってやたらと推してくる動物だ。名前は確か、

「……オオサンショウウオ?」

 イルツェニカが抱いて眠るぬいぐるみも、イルツェニカが使うハンカチーフの柄も、お気に入りだと見せてくれたブローチのモチーフも、たしかこの生き物だったはずだ。

 「お嬢さまにはもう少し生き物から離れた生活をしていただきたいわ」──

 ──と、イルツェニカのメイドのトゥルーディアが嘆いていたのをルーマイズはよく覚えている。

 そのくせ、イルツェニカが「かわいいかしら!」とか「わたしに似合うかしら?」などと、オオサンショウウオの小物を見せて感想を求めるたびに、トゥルーディアは「大変よくお似合いでいらっしゃいますよ!」と笑顔で返すのだ。ルーマイズにはその気持ちがよく分からない。
 けれど、オオサンショウウオの柄が入ったドレスを見せられたときに、トゥルーディアの顔が凍りついた気持ちはよくわかった。あのメイドが分かりやすく感情を表に出すくらいだ、内心では相当な葛藤があったのだろう。ルーマイズも思わず「どこにあったんだ、その布は」と返してしまった。イルツェニカは滅多に見ないはしゃぎようで「オーダーメイドですの!」とその場でくるりと回って見せてくれた。ふわっと広がるドレスの裾も、喜んでいるイルツェニカも可愛らしかったものの、柄についてはもうちょっとどうにかならなかったのかと思う。

 それはさておき、

 横たわるオオサンショウウオは、すやすやと寝息をたてているように見えた。恐る恐る近寄って、扁平なシルエットのそれをつつく。指に伝わる感触は両生類のぬるりとしたものではない。どうやら、着ぐるみの類いらしい。手触りがいいのが憎たらしかった。つい撫でてしまう。悔しい。いい生地をつかっているのが嫌でもわかる。これもオーダーメイドだろうか。

 オオサンショウウオの背中を心ゆくまで撫でてから、ルーマイズは意を決してそれをひっくり返すことにした。ひっくりかえしてみれば、現れたのはやはり着ぐるみのオオサンショウウオの生白い腹である。せめて毛布やその類いではないかと──イルツェニカのネグリジェを纏った体が見えるのではないかと──期待というかもはや切望──したが、そんなことはなかった。この再現度の高さ。もはや技術の無駄遣いだ。ご丁寧に刺繍で体の模様まで再現されている。

「……イルツェニカ」

 しかも、オオサンショウウオの口の部分からはイルツェニカの幸せそうな寝顔が見えていた。思わず呆れてしまう。着ぐるみで間違いないらしい。よりによって着ぐるみとは。毛布の類いとは訳が違う。本気度が桁違いだ。
 正気か、とルーマイズが呟いてしまったのも、仕方のないことだろう。

 なすすべもなく寝入るオオサンショウウオをただただ呆然と見つめていれば、気持ち良さそうに眠っていたそれが目を覚ました。ぱち、ぱちとゆっくり眠たげに瞬きをしてから、そのサファイアのような美しい青の瞳をルーマイズへ向ける。目覚めたらしいそのオオサンショウウオは、のそのそと重たげに動いてルーマイズの目の前で三ツ指をついて頭を下げた。

「数年前に助けていただいた、オオサンショウウオと申します……」
「オオサンショウウオを助けた覚えはない」

 発された言葉に動揺し、ルーマイズは間髪いれずにそう返してしまった。首もふっていたかもしれない。

 それに対してオオサンショウウオは、ぷくっと頬を膨らませる。短い手足をじたばたと動かし、「王子さまっていつもそう!」と不満げだ。俺以外の王子に助けられたことがあるのかと聞きそうになったが、更なる泥沼の会話を呼びそうであったのでやめておくことにする。オオサンショウウオは沼などの湿地帯に生息するらしいが、ルーマイズは沼など好きでもなんでもない。

「王子さまってみんなそうなのよ。勝手に助けて……勝手に忘れて……私の心だけ奪っていくの」

 オオサンショウウオは詩的に、そして不服げにぶつぶつと呟いていたが、ルーマイズから言わせれば「そんなことを言われても」だ。

「だから私も勝手に恩返しすることに決めたの。放っておいて」

 短い手足をまたもばたばたと動かし、やっとごろんとベッドに転がった──不覚にも少し可愛らしかった──オオサンショウウオに「そこは俺のベッドだ」とルーマイズは呟いた。放っておくわけにもいくまい。奇妙な抱き枕が常にベッドにおいてあるというのは、少々承服しかねるものがある。中身がイルツェニカであったとしても。

「放っておいて」

 フン、とオオサンショウウオは鼻をならす。もしやこいつ──

「……寝たいだけでは?」
「放っておいて!」

 どうやら図星らしい。
 威嚇のつもりか抗議のつもりか、やはり短い手足をぱたぱたと動かして、手を伸ばすルーマイズから逃れようとする。

「王子さまってみんなそう! いつもそう! どうしても起こしたいなら、王子さまらしくキスでもなんでもすればいいじゃない!」

 面倒くさいな、とルーマイズは思った。
 キスをねだるならせめてその着ぐるみは脱いでほしいところだ。可愛くないわけではないが、気になってしかたがない。とはいえ、早急にどうにかするためにはキスする他ないだろう。軽く口付けて様子をうかがえば、オオサンショウウオは真っ赤になりながら「王子さまってほんとにみんなそうなんだから……」と何やらくねくねしている。これじゃまるで足のついた蛇だとルーマイズは思った。

「こ、このタイミングでキスなんてっ。ムードも何もないじゃない……! 王子さまってほんとに、女の子がベッドに横たわってたらすぐキスするんだから!」

 キスしろといったのはそちらでは、という言葉はかろうじて飲み込めた。

「……一回くらいじゃ起きてあげないんですからね」

 嬉しさと期待の入り交じった顔で甘えてくるオオサンショウウオに「せめてその着ぐるみがなければな」などとも言えず。なかば押し倒されるようにしながらベッドに転がり、ルーマイズはいつの間にか眠ってしまっていた。



***



「なんだこの夢は……」

 寝汗で背中がぐっしょりと濡れていた。妙な夢だとため息をついて、ルーマイズは二度寝しようと試みる。まさかまだ夢の中では、と共に眠りについたはずのイルツェニカの顔を見ようとして、ルーマイズはベッドから飛び降りた。

 そこにはやはり、オオサンショウウオの着ぐるみが転がっていた。



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