不毛な会話
 少女の黒い髪をレグルスは撫で続けている。手持ち無沙汰なのだから仕方がない。片手に文庫本を持ちながら、自分の膝の上で気持ち良さそうに眠っている紫苑の顔を眺めた。

 男の膝など寝にくいだろうに、と思う。女のそれに比べれば堅いであろうし、骨も当たりそうな気がする。けれど、レグルスの膝に頭をのせて寝ている少女に寝にくそうな様子は見つけられなかった。
 何がいいのか、と寝顔を見やり、レグルスは文庫本へと視線を向ける。面白くもなければつまらなくもない本だった。ありふれた作風のありふれた話だ。どこにでも転がっている。心のどこかにぽっかりと空いてしまった何かは、どうやらこの小説では埋められなさそうだ。



 紫苑が目覚めたとき、レグルスは相変わらず本を読んでいた。毒々しいネオンブルーの瞳は紫苑に向けられぬまま、「起きたか」とだけ呟かれる。ええ、と紫苑は頭を動かさずに答えた。この膝の上は居心地がいい。時折思い出したように頭を撫でてくるのも、嫌いではない。残忍なマフィアのボスだというには驚くほど、レグルスの手つきは優しかったから。女子供には甘いのだ、という彼の言葉は、どうやら嘘だというわけでもないらしい。

「面白いのかしら、その本」

 構って欲しかったわけでもなければ、本の中身について聞きたかったわけでもない。ただ、その青い瞳がつまらなさそうな本に向けられているというのに少し興味を引かれただけだ。案の定、面白くはない、と短い言葉が返ってくる。紫苑も、そう、と返すに留めた。目を閉じる。香水だろうか、レグルスからはほんのりと薔薇のような香りがするし、そこには煙草の香りも混じっている。不快な香りではなかった。陰のあるこの男には似合いの匂いだろう。ここに時折、女物の香水の香りが混じることも紫苑は知っている。香水が混じりあう匂いは不快だったが、特に指摘することはしてこなかった。

「全ての人間に、【唯一等しく】与えられた権利を奪われている身からすれば、大抵の刺激は刺激になりえない。本を読み心を高鳴らせることもなければ、空想の中の怪物に怯え、暗闇を凝視することもなくなる」
「不死は退屈なのね」
「死なぬことが退屈なのか、生き続けることが窮屈なのか。それは誰にもわからないのだろうよ。胸のどこかに空いた穴を埋めるのが人生だとするのなら、何をしても充たされることの無い俺の【人生】は、人生とは言えないのだろう」
「かわいそうなひと」

 【やり残したことがある】のが【後悔】なのだとしたら。その【後悔】を引きずりながらこの人は生きていくのだろう、と紫苑は思った。もし死ぬことがあるのなら、それはある種の区切りとなるかもしれないが、レグルスは不死者だ。満たされない心を、心を満たせなかった【後悔】を、一生引きずって生き続けるのはどんな気分なのだろう。彼はそれを人生とは認めないらしい。自分にとっての不都合を【見なかったこと】にするのは実に人間らしい反応と言えた。こういうところは人らしいのねと紫苑は小さくくすくすと笑う。

「私をここに連れてきたのは、【満たす】ため?」
「どうだろうな」

 年若い娘が自分の部屋に居続けるというのはなかなかに刺激的だが、とレグルスは口許を小さくつり上げた。

「君の代わりは幾らでもいる。が、君は君しかいない。君は代えのきかない存在であり、同時に代わりが幾らでもいる存在としてここにいる。不毛だと思わないか」
「不毛ね」

 そうだろう、と青い瞳の男は笑った。何が楽しいのかしらとその瞳を見つめる。もっとも不毛なのは、この男の言葉に真っ向から向き合うことそのものだろう。

「貴方が私と【寝ない】のは、私は【代えのきかない存在】だからなのかしら?」

 紫苑がここに来てから一月はたったが、その間レグルスは一度として紫苑と関係を持とうとはしなかった。その代わり、時折外から女を連れ込んでは一晩の夢に浸り、翌日にはその女がただの肉塊に代わっているのを紫苑は何度となく見てきていた。この男と関係を持つと翌日の朝日は拝めない、という話は本当らしい。本来なら若い男の方が好みではあるが、紫苑は事切れた女達を自分の胃におさめてきていた。死んだ女達が自分の血肉となり、そうしてまたこの男の隣で眠るのだと思えば、それはやはり不毛なのかもしれない。

 レグルスはただ紫苑の髪を撫でている。きっと、肉塊となった女たちにも同じことをしてきたのだろう。腰が砕けるような低音で甘い言葉をささやいて、薔薇と煙草の香りで鼻孔を擽って。腕を枕がわりに差し出して、ゆっくりと髪を撫でられでもすれば、【この男にとって私は特別なのだ】と思わせることも容易かったに違いない。

「自分が死んだあと、君は自分を食うことができるか」
「貴方なら出来るでしょうね」

 幾らでも【代わり】があるのでしょうから。

 紫苑がそう口にすれば、レグルスはゆっくりと青い瞳を細めて笑った。

「不毛だろう?」






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