おさきまっくらまくら
 はは、とレグルスは乾いた笑い声を漏らす。レグルスは今、とある屋敷に忍び込んでいる。忍んだ部屋は日のよく当たる南側の部屋で、そこにはひとり、令嬢が住んでいる。
 令嬢の名はニルチェニアだ。生まれつき体が弱いものの、毎日をのんびり過ごしているそうだ。

 しかし、だ。
 この部屋の有り様で、本当に「のんびり過ごしている」のだろうか。

 なんだこの悪趣味な部屋は、と辺りを見渡した。レグルスがいた世界でなら、この部屋の有り様を「アイドルオタクの根城」や「オタクの生きざま」などと言うのかもしれないが。生憎ここはレグルスのいた世界ではないし、この部屋の主はオタクでもなんでもないだろう。ただ、ひどく脆弱な存在ゆえに過保護すぎる愛を向けられた、ただの少女のはずだ。……少なくとも、この世界では。

「……君の趣味じゃないことを願うぞ、ニルチェニア……?」

 令嬢にふさわしく、艶やかな光沢のある生地であつらえられたカーテンが、夜風にひらひらとはためいている。忍び込むために開け放ったベランダの窓を、レグルスは立ったまま、閉められずにいた。……正しく言うのなら、立ち尽くしたまま、動けずにいた。

 部屋の有り様はまさしくもって混沌だ。調度品の数々は品よく艶のある木製で、暖かみを感じられる一級品。たとえば、一人がけの椅子の足には細かく飾り彫りが施されているし、背もたれに当たる部分には柔らかそうな革が張られている。この国の公爵家の娘たる令嬢の部屋ならば、この椅子がおかれていることは混沌を作り出す要素にはならない。これがパン屋の娘の部屋ならば、話は少し違ってくるが。
 しかし、だ。この部屋にその椅子が問題ないとしても、問題はその上等な椅子におかれた上等そうなクッションなのだ。レグルスが知る限り、その艶やかな絹のクッションに繊細な刺繍で表現されているのは、この部屋の主たるニルチェニアの兄の顔ではなかったか?

 彼女の兄と言えばあれだ。ルティカル・メイラーだ。ミドルネームもあるだろうが、レグルスはそんなものはしらない。そもそも男の名前に興味もない。相手が筋肉の塊のような男ならなおさらだ。
 穢れを許さない白い軍服に、窮屈そうに屈強な筋肉を押し込んで。風にたなびく長い銀髪を、馬の尾のようにまとめたのがルティカルだ。神経質そうで繊細な眉目は秀麗で、けれど中身は見た目と裏腹に――いや、顔とは裏腹に、物理的な力に絶対の信頼をおくという――要するに筋肉馬鹿だと聞いている。堅苦しい口調に威圧感のある大男、秀麗な顔つきにすべてをねじ伏せていく圧倒的な筋肉。そんな規格外の馬鹿馬鹿しい人間がいるなどとは、馬鹿は休み休み言え。と言いたくもなるものだが。しかし、そんな人間はここにたしかに存在しているのだ。そう、たとえばクッションのカバーなんかに。

「何だこれは……何かの魔除けか? まじないか……?」

 体の弱い妹のために、と魔除けがわりに自分の顔を刺繍したクッションでも置いていったのだろうかとレグルスはしばらく考えて、それから思考を停止した。職人の技が遺憾なく発揮されたそのクッションカバーのルティカルの顔は、レグルスの頭を精神的にぶん殴るのにも遺憾なく実力を発揮した。この技術はもっと他のことに使うべきだったんじゃないのか? 令嬢の部屋にあるクッションのカバーにしては、あまりに前衛的すぎる。

「ずいぶんとまた……これは……」

 改めて部屋を見回して、レグルスは困惑を極めた声音で独り言を呟いた。ああ、と呻きにも似た声を漏らしながら、人が寝ている寝台に近づく。威嚇するような形相のルティカルの顔が、毛布にしっかりと織り込まれていた。悲劇だ、とレグルスが呟いてしまったのは仕方のないことだったろう。

「こんな部屋でよく休めるな……?」

 寝台の中の少女は安らかに、すやすやと寝息をたてていた。開け放った窓から差し込む月の光に、人形のようなかんばせが夜闇に白く照らされている。寝息さえたてていなければ、きっと良くできた人形だと思いこんでしまうだろう。それほどまでに美しい顔は、レグルスのような人間にもため息をつかせた。ひどく儚く、夢のように綺麗な寝顔だった。

「このトンチキな寝具さえなければなあ」

 さぞかし絵になったことだろうに、と無念さは拭えない。安らかな寝顔のすぐそばには、厳ついポニーテールの男の顔があるのだ。やっていられない、とレグルスは首を振る。
 顔だけみて帰るか、と寝台に横になる少女の顔を覗きこもうとして、レグルスは後ろにのけぞった。

「お前もか……!」

 お前だけはまだまともだと思っていたのにと苦々しい顔をして、ニルチェニアが抱き締めていた枕のようなものを見つめる。ニルチェニアの叔父であり、この国随一の弓の腕を持つ、外道医師の顔がそこにあった。
 こちらも職人の腕が冴え渡る逸品に仕上げられている。刺繍の次は手染めかよ、と体から力が抜けていくのをレグルスは感じていた。なんという技術の無駄遣いだろう。もっと別のものを染めればよかったのだ――たとえば、この部屋の主に似合いそうな菫の花とか。

「……まてよ? クッション、毛布、枕……?」

 もしかしたら他にもあるんじゃないか。そんな怖いもの見たさの好奇心に、レグルスは身を委ねてしまった。一度寝台から離れ、部屋のなかを注意深く観察する。カーペットはギリギリセーフだった。龍やら槍やら、女性の部屋にしてはいやに厳ついデザインのものではあったが、ひとが織り込まれているわけではないからまあ良いだろう。この家は龍の血を引く家系らしいし、と忍び込んだ男は自分を納得させた。織り込まれているモチーフにどことなくルティカルを思い出したのは、きっと気のせいだ。気のせいであってほしかった。

「壁紙……はまとも、タペストリーも問題なし……」

 さすがに考えすぎか、とレグルスは一人で小さく笑う。直後にくしゅん、と小さなくしゃみが聞こえた。ニルチェニアだ。思えば窓を開け放したままで、夜風がカーテンをはためかせているのだ。それは寒かろうと窓を閉め、レグルスは盛大に吹き出した。

「もう駄目だなこの部屋は!」

 カーテンに小さく、ぽつぽつと何かの模様があることに気付き、近寄ったのまでは良かった。が、その模様がなんであるかを理解したときに、レグルスは思わず叫んでしまった。

 ソルセリルの顔が、水玉模様よろしく並んでいるのだ。不気味といったらない。幾対もの瞳がレグルスを見つめている――そんな気がする。案外気のせいでもないのかもしれない。

 ──正気か、正気なのか。

 こんな家具を揃える人間も、それを許容する人間も含めて正気なのか、と部屋の内装に不安を覚える。そんなレグルスに、眠気で甘くとろけた声がかけられた。

「……おじさま?」

 少し前ならそんな風に聞かれても、なんとも思わなかったかもしれないが、今は自分の顔をカーテンに織り込むようなやつと間違えないでくれ、と言いたくなってしまう。結局はその言葉は飲み込むことにしたが、レグルスは「違う」と即座に否定した。

「……ええと、じゃあお兄さま?」
「もっと違う!」

 あの筋肉だるまとどうやったら見間違えるのかと問い詰めたくもなるが、相手は生まれてこのかたこの部屋から出たことがないほどの病人であるし、今は夜中なのだ。月明かりでは人の姿などそう判別できるものでもあるまい。そもそも、彼女は目が悪かったはずである。

「じゃあ……?」

 だあれ、と寝ぼけた声が誰何する。死神とでも答えてやろうかと思った。きっとそんなことではこの少女は驚きもしない気がしたが。

「君の部屋の惨状に嘆く妖精さんだとでも思ってくれ」
「妖精さんって、ずいぶん……」
「随分?」
「妖精さんらしくない姿をしているのね」

 妖精じゃないからな!

 あっさりとレグルスを妖精だと思い込んだニルチェニアに、レグルスは正気か、と呟きそうになる。こんなにも簡単に騙される少女に不安すら覚えた。拐うには好都合な人間であることなのはよくわかる。

「君の部屋は、随分……」
「ずいぶん?」
「個性的なことになっているな」

 レグルスが素直に口にすれば、ニルチェニアはうふふ、と軽やかに笑う。素敵な部屋でしょう、と少し照れたように兄の顔が織り込まれた毛布を口許まで引き上げる。

「叔父さまとお兄様だったら、病気も悪夢も吹き飛ばしてくれそうでしょう」
「正気か!?」

 むしろ病気にも悪夢にも魘されそうだと顔をひきつらせながら、見た目よりも精神的には随分と強靭な令嬢をまじまじと見つめる。そんなレグルスの間抜けた顔を、毛布のルティカルが威嚇していた。



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