予定調和のおとぎ話
「結構昔から気になってたんですけど」
「うん?」

 しゃがみこんだリピチアの足元には白い狼。白い毛並みにぴったりな、澄みきった空を思い起こさせる青い瞳が煌めいた。しゃがんだ上官に続いて、ミズチも片膝をついて狼に視線をやる。何だよお前ら、急に見つめたら照れるだろ、と狼が大きな口を開けて笑った。

「ミシェルさんて……」
「おう。男前だろ?」
「そうじゃなくて」

 即座に否定したリピチアに狼はがっくりと肩を落とした――ように、ミズチには見える。狼が肩を落とせるのかどうかはミズチにはよくわからない。結構つれないところあるよなお嬢さんは、と狼はぶちぶちと呟いている。ミズチの上官はそれをまるっと無視をした。

「先生……ええっと、システリア卿から、ミシェルさんはクルースニクと聞いているんですけど。クルースニクってビックリ人間か何かなんですか? 狼になるなんて知りませんでした」
「び、ビックリ人間か……クルースニクをそんな風にいったやつァお嬢さんが初めてだぜ……」

 面食らっているミシェルに無理もないとミズチは乾いた笑みを浮かべる。今でこそ【クルースニク】はおとぎ話に近いような扱いを受けているものの、その昔は知らぬものなどいないくらいの存在だったのだ。【闇に親しむもの】……つまりは【通り魔】と呼ばれるモンスターから、ヒトを護る存在である。簡単にいうなら、攻撃型の聖職者とでもいうべきか。彼らは祈りの代わりに武器を携え、宵闇に蠢く魔物から人々を護る、聖なる存在とされていたのだ。

「まァ……クルースニクなんざ今や時代遅れの遺物だしなァ。【闇に親しむもの】もそんなに出てこなくなったし。良い時代だ……」
「昔を懐かしむのは良いんですけど……。なんで狼になれるんですか?」
「んー、簡単にいうとただの魔法だよ。自分に魔法かけてんだ。狼以外にも色々と変化できるんだぜ。炎とか、馬とか豚とか。あるだろ、変化魔法ってやつが。あれのバリエーションが極端に少ないやつだな。自由度は全くねえ」
「無いんですか……」
「全くねえ。これっぽっちもねえからな。ほんとに。ビックリ人間とか言えるレベルじゃねえよ。俺からすれば夢魔の方が余程ビックリ人間だっつの」

 あいつら好き勝手に見た目変えられんだろ、と狼の姿からふいにヒトの姿へと戻ったミシェルに、「ですねえ」とリピチアが立ち上がる。ヒトに戻ったミシェルの姿は、まさしくもって王子様といったところだ。きれいで長い銀髪は後ろで一括りに。甘い顔立ちには優しさをにじませ、貴族然とした華やかな服装がぴったりな青年である。

「変化魔法かあ……私も魔法が使えれば面白そうだったんですけどねえ」
「少尉が魔法を使えてたら、今よりすげーめんどいこと引き起こしそうで嫌スわ……」

 嫌そうな顔を隠すこともなかったミズチをさらっと無視しつつ、「ミズチさん、多少は魔法も使えるんでしたっけ」とリピチアが羨ましそうな声をあげる。「魔法らしい魔法なんか使えたことはねースけどね」とミズチも応じた。「俺の専門は錬金術なんで」と言い添えて。

「錬金術するときにちょっとだけ魔力ってやつが必要なんスよ。あとはもう経験と勘で頑張って、みたいな分野スけどね」
「そうなんですねー……ううん、周りに魔法使える人なんていなかったしなー。本格的な魔法を見たいんですよね」
「ん? 少尉が前にいたとこの隊長さん、リンツ家の人っしょ? えーと、【エス・クローディア・リンツ】。今ミシェルさんが言ってた夢魔のリンツ家。違いました? あの人魔法がすげー派手って聞いたことありますけど」

 ミズチの言葉に「派手ではあるんですけどね」とリピチアは静かに首を振る。「見た目だけなんですよね」と悲しそうに結んだ。

「見た目だけ?」
「ええ。見た目だけなんですよ。クローディア少佐は。ハッタリ魔法として有名ですよ。炎の魔法とか使うでしょ? エスクロ少佐が魔法を使うと、背景にはそれはもう強そうで格好いい焔の龍とか出てくるんです。でも、実際の威力と来たら……。良いとこ煙草に火をつけるくらいですかね。見た目で押して物理で落とすのがクローディア少佐でした。相手が龍にびびってる間に近づいて腹に一発。常套手段ですね。安定の右ストレート」
「ハッタリ魔法……」

 なんだか可哀想な名前だとミズチが哀れめば、「あのクローディアかー」とミシェルがうんうんと頷いた。あいつ未だに使いこなせてないんだなあ、と。

「ミシェルさん、知ってるんですか?」
「知ってる知ってる。あいつ、魔力はバカみたいにあるんだけどなー。なんつーの、使う魔力のエネルギー振り分けがおかしいんだ。繊細さがねえっていうか。エフェクトに魔力の大半を割いてるからな。背景とか見た目の派手さに反比例して、結果的に威力はバカみたいに小さい、と。繊細な変化魔法を扱う夢魔のリンツ家出身なのに、珍しいなと思ってよ。本人見たら納得だけど」
「豪快ですからねー。そのくせ名前はクローディア」
「そうなんだよ……。可愛い女の子かと思ってよお……ああ……男の名前なんざ覚える気はなかったってのに」

 各々の思い出に浸る二人を横目で見ながら、「魔法には繊細さが必要なんスね」とミズチは呟く。なおさら少尉には向いてねーなと心のなかで納得した。

「そ。とくに変化魔法なんかはな。相手にかけるときもかなりの技量を必要とするし、破るのも結構難し……あっ」
「【あっ】?」  
「いや……ちょっと昔のこと思い出してさ。主に俺が被った理不尽についての話になるんだけど」
「面白そうですね!」
「こういうときのお嬢さんはいきいきしてんな……」

 身を乗り出したリピチアに、ミシェルは苦笑いしながらも昔を思い出す。あれは、と一拍おいて、愉快で仕方なかったあの頃を語りはじめた。



***



「君、呪いで狼になった女性を元に戻すことはできますか?」
「キスさせてくれれば一発で」

 にっこりと笑いながら冗談を口にした青年に、脛に一発くれてやり――ソルセリルは「もう一度聞きますが」と腕を組んだ。クルースニクといえども、脛にけりを食らったのは痛かったのか――ミシェルは涙目になりながら「蹴るこたァねえだろ……」とぶすくれている。それをきっちり無視して、「【クルースニク】として、呪いを解くことはできますか」とソルセリルは改めて口にした。ミシェルは真面目な顔をして、【クルースニク】として答える。

「呪いの程度によるな。……クルースニクは確かにそういった方面にも対応できないことはない。が、万能じゃないからなあ……。一度見てみないと何とも言えないのが実際のところだな。お前も知ってるだろうけど、人の見た目を変える魔法やら呪いやらは厄介だから。……なんかあったのか?」
「……サーリャが狼に変えられたんですよ。晴れて二足歩行の狼です。……可哀想に。部屋から出てこないのですよ。流石に堪えたと見える」
「サーリャが?」

 そりゃまたどうして、とミシェルは首をかしげる。サーリャといえばソルセリルの異父姉弟であり、恐ろしく弓の腕前の良い女性でもあった。ついでに言うなら豪胆で、並みの男じゃ彼女に太刀打ち出来ないだろう、というのがミシェルの見解だ。身軽に走り、敵をうちとる姿はまさしく野生の獣。しなやかな美しさを宿した強さを手にしている彼女が、なぜ呪いにかけられるというのか。

「【闇に親しむもの】ですよ。……夜釣りに外に出たところを魔女に出くわしたらしい」
「夜釣り……」
「普段は釣りなんて許されませんからね、メイラー家に嫁入りしたとあっては。人目を忍んで趣味の釣りに出掛けたらこのざまと」
「魔女か……厄介といえば厄介だなあ」
「とにかく来て貰えますか、僕と共に。遠征中の義兄は近日中にはメイラー家に戻るようですし、姉をそれまでには戻してやりたく思うのですよ。女心とやらは全く理解できませんが、夫を出迎えるのに獣の顔では具合が悪いことくらいは僕でもわかります」
「だよなあ」

 いくら豪胆なサーリャといえど、それは流石にへこみもするだろうとミシェルは何度も頷いた。わりと姉想いなんだよなこいつ、と隣のソルセリルをそっと見る。



「……こんな顔、貴方にも見せたくないのに」
「と、言っても。治さないわけにはいきませんからね」

 諦めてくださいとソルセリルは冷静に姉の顔を見つめ、「面倒な呪いだ」と狼となった頭を撫でる。ミシェルのいった通り、厄介そうなのはみてとれた。サーリャの肌全体をおおう魔力は一言でいってしまえば【粘着質】で、無理矢理引きはがそうものなら――。

「顔の皮ごと剥げるなこれは。……地道に張り付いている魔力を削いでいくしかない……けど」
「骨のおれる作業になりそうですね」

 元気のない狼の顔を見ながら、「リンツ家の奴に応援頼んだ方が良いかもな」とミシェルはそっとサーリャの頬に触れた。狼のごわついた毛が、確かに手のひらに感じられる。意識を研ぎ澄ませれば、指先の向こうに厭らしいほどに粘着質な魔力を感じた。
 肌とどうやって剥離させていくべきか、と頬に手を滑らせる。正直な話、繊細な作業と魔力の調節はミシェルの得意とするところではない。

「何処かに【綻び】があれば一発なんだが……」
「綻び?」

 何それ、とサーリャが首をかしげる。「蛙が王子になった昔話は知っているだろ」とミシェルは柔らかい口調で返した。

「お姫様のキスで蛙は元の姿に戻ったわけだが……あれはただの口付けじゃないんだ。ただのキスじゃ、カエルは王子に戻れない。キスをしたときにお姫様の方が自分の魔力でカエルの呪いを吹き飛ばしたっつーか……ああ、そうだ」

 どんなに堅い城壁でも脆い部分さえ見つかれば、そこを突くことで壊れるだろう、とミシェルは喩え話を持ちだす。つまりは魔力で【綻び】を突くことで、カエルの呪いを壊したってこと、とさらりとした説明をくわえた。

「どんな魔法にも【綻び】はあるし、そこをつけば崩れるのが魔法だよ。良い魔法使いほど魔力を繊細に織って【綻び】を見つけにくくするんだ。そうすれば打ち砕かれない強力な魔法になるから。……問題はそれをどうやって見つけるか、なんだよな」
「もう皮ごと剥いじゃっていいわ。毛むくじゃらでランテリウスに会うくらいだったら、血まみれの方がまし」
「姉上。それは義兄上が驚かれますから」
「……とはいうけど。もう帰ってくるんでしょう?」

 こんな姿絶対見られたくない、と臍を曲げるようにそっぽを向いたサーリャに、「顔の皮剥がすのは俺が絶対止めるからな」とミシェルも譲らなかった。

「君が血を流すくらいなら、その姿でいてくれっていう男だろ。君の夫は」
「だからイヤなの。あの人、肝心なところを全くわかってないんだから。わたしはこの姿でいるくらいなら血を流してでも皮を剥ぎたいわ。毛むくじゃらの顔を夫に見せたがる妻がいると思う?」
「そりゃそうだ。ごもっとも。……でも皮を剥ぐのは無しだ。サーリャ、君が女性だからというわけじゃない。君の友人としてそれは阻止させてもらうよ」
「……ランテリウスはこの姿でも私を受け入れてくれると思うわ。でも、それでは私が嫌なの。こんなに大きな口では、キスをするのも一苦労だと思わない? 歯だってギザギザ。こんな女に愛を囁く人間がいるなら見てみたいものだわ」

 はあ、と息をついたサーリャの耳に、慣れ親しんだ声が届く。

「それじゃ、ご覧にいれようか」

 やあ、ただいま。
 優しげな笑みを浮かべながら、硬直した三人をものともせず――ずんずんと部屋を突っ切り、サーリャの額にキスをしたのは、他ならぬランテリウスだ。



***

 

「ふうん、わりと面倒な呪いだねえ」
「……貴方に見られたくなかったのに!」
「ごめんね、早く君を抱き締めたかったものだから」

 ぎゅうっと妻を抱き締めて、嬉しそうな顔で微笑むランテリウスに、ミシェルは生温い笑みを浮かべる。会えばいつも必ず目の前でいちゃつかれている気がしたが、間違いではないだろう。サーリャにその気がなくとも、ランテリウスの方はいつだって幸せ全開で妻との仲をアピールしてくるのだから。

「……お前、よく平気な顔してられんなあ」
「慣れましたから」

 珍しい生き物を二匹観察するような眼差しで、姉とその配偶者を見つめるソルセリルの瞳は心なしか虚ろだ。無理もないなと一人うなずき、狼の姿となった妻をうっとりと見つめるランテリウスからは目を逸らした。

「どんな姿でも君は君だよ、サーリャ。凛々しくて愛しい、私のたった一人の伴侶だ」
「ランテリウス……」
「大丈夫、必ず私が元に戻すよ。君の憂いはすべて払おう」

 見つめ合う二人に耐えきれなくなったのか、ソルセリルもさっと顔をそらす。人がいるのによくもまあこんなに歯の浮く台詞を吐けるものだと、別の方向に感心してしまう。

「慣れていなかったようです。耐えられません」
「気持ちはよーっく分かるぞ」

 砂糖を無理矢理口に詰め込まれたような顔をして、ソルセリルがミシェルだけにきこえるような声で吐き捨てる。よく頑張った……! とその背中を叩き、ミシェルとソルセリルは二人から距離をとった。
 泣いているのか、ランテリウスの胸に顔を押し付けて動かないサーリャに、ランテリウスは優しく微笑んでいる。愛しくてたまらないというような表情の夫の腕の中で、妻はしおらしくその身を寄せていた。二人だけの世界だなこれはとミシェルは遠い目をするしかない。

「あの姉がこんなにしおらしくなるのも、僕には信じられないことなのですが」
「まあ……ちょっと信じがたい光景ではあるけど。それだけ仲が良いってことなんじゃないのか……」

 柔和そうな印象のランテリウスに反して、サーリャはといえば豪胆で活発な、見た目の可憐さとは反比例した逞しさをもつ女だ。ひとたび戦場に出ようものなら、男よりも勇ましく駆け、誰よりも気高く武器を振るう女だ。そんな彼女が優男の胸に身をあずけているというのは、なんとも不思議な心地がした。彼女と背中合わせで戦ったことも幾度かあるミシェルとしては、彼女の柔い部分を見てしまったようで気恥ずかしい。

「ランテリウスは魔法に明るいし、俺よりもしかすると適任かもな。少なくとも俺より魔法の扱いは繊細そうだし」

 あとは若いものに任せて、とミシェルはソルセリルを連れて部屋の外に出ようとし。

「おおっと」
「何ですか急に」

 いきなりミシェルの手のひらに視界をおおわれ、ソルセリルは不機嫌さを隠さずに不満を漏らす。ミシェルはといえば、「青少年には少し刺激的な光景がな!」とソルセリルが剥がそうとした手をどかそうとはしなかった。

「狼に食われるか狼が食われるかの光景でしょう。僕だってそれくらいはわかりますよ」
「しかし俺の良心がお前にこれを見せるなと」

 ダメです、とミシェルは目の前で狼に口付けているランテリウスをにやにやとしながら見守る。なるほど、とサーリャの頬に添えられたランテリウスの指先に目を凝らした。

 口付けた場所から、サーリャの変化が徐々に崩れ始めていく。ランテリウスの指先が狼の頬をなで、なぞり、慈しむように肌を滑る。滑る先からまるで毛皮を剥ぎ取るように、白く滑らかな肌が覗く。魔力に適正のあるものでなければ、ほんとうにキスで呪いが解けているように見えるだろう。しかし、実際は。

「指先に自分の魔力をにじませて……魔女の魔力を削いでいるのか……」

 口許の呪いがいち早く解けたのは、おそらく指ではなく舌に同じ事をさせたからであろう。器用なやつだと思うと同時に、義弟の前でおっぱじめるとは、とも思う。
 サーリャの顔はほぼ人の状態に戻っているし、滑らかな肌の感覚を楽しむように滑る指先は、その実注意深く魔力の残滓を探っているのだろう。魔法に疎い狼は、ランテリウスのこの一連の行動もただのキスとしてしか受け取っていないに違いない。いずれにせよ、口付けの片手間に呪い破りを施すというのは――人間業ではなかった。

 サーリャの顔はてろんと蕩けかけていて、ランテリウスは一度唇を離すとミシェルに一瞥をくれる。ぺろりと唇を舐めたその姿に肩をすくめて、ミシェルはソルセリルの視界をおおったまま部屋を出ていくことにした。
 出ていけ、と何よりもわかりやすく告げていたその瞳に、龍の血を引くものの苛烈さを垣間見たから。




***



「わあ、本当にキスで呪いを解いたんですね!? ロマンチック……」
「そういうと聞こえ良いけどよ、あれキスしなくても良かったんだよ。普通にべりべり呪い剥がせたと思うぜ? キスはただの演出だろうな」
「それでも良いじゃないですかー! うわあ、ほんとロマンチック。お父様がそんなにロマンチックなのに、どうして中佐はああも無神経なのか……」
「中佐がロマン求めるの、多分筋肉だけっスよ」

 うっとりとしたリピチアとは裏腹に、同じように話を聞いていたミズチの顔は生温い苦笑いで染まっている。俺もそっちの気分だよ、とミシェルは深くため息をついた。

「いやー……いやあ、魔女の呪いってそんな、そんな片手間に破って良いもんじゃないはずなんスけどね……というか破れんのかよ」
「破っちまったんだよその愛妻家は。俺が知る限り、【綻び】も見つけずにキスしながら呪い破りをしたのはあいつが初めてだと思うぞ。愛の為せる業としておきましょう、ってソルセリルは言ってたけど」
「現実みたくなかっただけっしょそれ……」
「まあ……。でも動物の被り物をルティカルが指先で破った、って言ったらお前ら納得するだろ」
「しますね。中佐ならやります。出来ます。脳筋ですもん」
「……血は争えないってことスかね……。魔力と筋力と、どっちも力だもんなァ」

 そうなんだよ、とミシェルは銀色の髪をかきあげて、楽しそうにへらりと笑う。

「メイラー家ってそういうところあるんだよな。脳筋の家系なのかねえ」

 ルティカルの部下が理知的でよかったよ、とミシェルは深々とため息をつく。実感のこもったそのため息に、ミズチもリピチアも苦笑いするほかなかった。


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