星をかたる

「レグルスさんはほんと、羨ましいっす」
「顔のことか?」

 自他ともに認める美青年だからな、と顔色を変えずにさらりと言い切った黒髪の男に、ルチアーノは思いきり嫌な顔をして見せた。同郷の気軽さからのそれは、他の人間がやろうものならすぐさま豚の餌箱行きだと言うことをルチアーノは知らない。

「顔じゃなくて。……いや、顔も羨ましいっすけどね。なんかもう妬むレベルで羨ましいっすけどね。そうじゃなくて」

 俺なんかいいとこ中の下の下ですもん、とぶうたれたルチアーノに、「そこまでひどくはないと思うが」とレグルスは柔らかい声音で返す。その優しさが逆に傷つく、とルチアーノがため息をつけば、レグルスは目を細めて小さく微笑した。

 ふかふかとしたソファにゆったりと腰掛け、のんびりとエスプレッソを飲んでいるだけ。ただそれだけのはずなのに、その姿がとてつもなく様になる。まるで雑誌の一ページのような、そんな雰囲気を漂わせているのだ。俺があんなことしたって雑誌の一ページにはならないぞ、とルチアーノはため息をついた。
 いいとこ、歩き回ったあとの休憩時間とかそのあたりだろう。きっと、疲れきった雰囲気が漂っているに違いない。ルチアーノとはちがい、レグルスのそれは洗練された雰囲気すらあった。
 それに比べて俺は……とルチアーノは同じ行動をしているところを思い浮かべてみる。世俗にまみれすぎているのか、何をしても洗練にはほど遠い。

 世の中はとかく残酷だ。金か顔か。
 しかし残念ながら、ルチアーノはそのどちらも持ち合わせてはいなかった。

「そう落ち込むなよ。こればかりは生まれ持ったものさ」
「整形なしで整ってっからムカついてるんですってば」
「人間は見た目じゃないぞ、中身だ」
「レグルスさんがいうと説得力ありますよね」

 どんなにいい顔をしていようと、いるだけでその空間が雑誌の一ページになろうと、レグルスがどうしようもない悪人だというのは覆せないだろう。なにしろマフィアのボスであるそうだし、噂によれば彼と一晩ともにした女性は、翌朝から行方不明になることが多いらしい。レグルスの側近のソレイユいわく、「今ごろは森の栄養分じゃない?」だそうだから、つまりそういうことだろう。噂であってほしいと願ってはいるのだが。

 中身如何はともかくとして、黒髪の男のその美貌が妬ましい。が、ルチアーノが言いたいのはそこではなかった。

「レグルスさんの……なんて言うんですかね……万能感? みたいな。この前はわけわからん本とかさらっと読んでたし、そうでなくても何だっけ、リピチアさんとこのルティカルさん? あのめっちゃ筋肉すごい人とも渡り合ってたじゃないですか。ほぼ素手で。あれ超驚きましたよ。どうなってんすか」
「渡り合うというよりは……かわすので精一杯さ。あの男は小細工なしでごり押してくるから嫌なんだよ。それから、正しく言うならば【ルティカルさんとこのリピチアさん】になるだろうな。あいつはあの筋肉男の部下だから」
「……レグルスさんってよくわかんないところでこだわりますよね」
「歳を取るとそうなるものだよ」

 万能感か、とレグルスは口許だけで笑う。エスプレッソのカップに隠されて、その微笑みがルチアーノに見えることはなかった。

「……歳をとるって、そんな。俺とたいして変わらないじゃないですか〜! ちょっとレグルスさんのが年上っすかね?」

 やだなー! もう! と笑い飛ばしたルチアーノに、レグルスは「本来なら爺を通り越して化石の域だぞ」と静かに告げる。落ちた沈黙にルチアーノが瞬きを三回ほど繰り返し、「やだなー! もう!」とまた口にした。

「ほんとレグルスさんって冗談が下手と言うか……。せめて、微笑んでくださいよ。真顔で言うからなんか怖くなるじゃないですか。もしかしたらマジかもって」
「冗談か。まあ、それも良いだろうな。俺にしても君にしても、今ここに存在すること自体が冗談であって欲しいことだろうしな」
「マジなとこ、冗談であってほしいっすけどね……。別の世界に飛ばされちゃいました、なんて精神的にキてるとしか思えない……」
「精神的にキたいところだが……生憎、別世界にキてしまっただけだからなあ。自分の正気が唯一の命綱であり、同時に自分の首を絞める縄だというのが最悪だな」

 今のところはどうにもならないだろう、とレグルスは組んだ足を組み直した。いつ帰れるんですかね俺、とルチアーノはしんみりと口にする。

「そのうち、としか俺には言えない。が、君が望みうる限り、必ず返そう」
「……レグルスさんにそう言われると、なんか帰れるんじゃないかなって思っちゃいますね」
「帰れるさ、必ずな。ただ……君の扉がいつ開かれるかはわからない。俺が見てきた限り、二十年後に帰るやつもいれば……来て三日で帰れたやつもいた」
「二十年後、か……」
「まだ青年だったよ、彼は。あっちに帰る頃には見事に中年だ。こっちでいい女との出会いがあれば、帰ったりもしなかったんだろうが……。残念ながら俺が見たところ……二十年間、女の影は全くなかった。ただの一人もだ。言い寄られ続けるのも地獄だが、あれはあれで地獄だな」
「さりげなくモテる自慢するのやめてもらえません?」
「自慢のつもりはなかったんだが」
「……なおさらきついですよそれ」

 まあとにかく、とレグルスは軽く息をついた。引き留めるものがなくて良かったのかもしれんな、と口にしたレグルスに、あー、とルチアーノがうめく。

「わかりますね、それ。こっちで人と仲良くなっちゃうと、あっちに帰るぞって時に躊躇っちゃいそうで」
「長いこと君や俺たちのような【越境者】を見てきたが、そういう場合は帰るのと帰らないのと半々だな。深い関係にあるものが……そうだな、婚姻関係などを結んでいるものがいれば、八割は残るよ。元の世界への未練を残しながら、それでもこちら側への未練も断ち切れない。……人としては、当然あるべき姿なのだろうがね」
「やっぱ、そうなっちゃいますよねえ。それにあっちに帰ったときにどうなってるかもわからないし……だったら、落ち着いちゃったらこっちにいた方が良いのかも、なんて思っちゃいますよ。俺があっちにいたときに帰ってきた人たちなんか、話聞いたら3年前に拉致されたひとだったのに、めっちゃ歳食ってたとかありましたし。……あー、もしかするとレグルスさんが今言ってた人かなあ」
「この世界と俺たちの世界では……行き来する際に時間が歪むそうだ。下手をすると自分が生まれるよりずっと前の世界に【戻ってしまう】こともある、と聞いた」
「誰に聞いたんすかそれ」
「そこは企業秘密にしておこう」

 知らなくていいことも世の中にはあるんだぜ、とレグルスはニヤリと笑った。

「例えば今、君が使っているソファ……」
「あー、いいですいいです聞きません。聞きませんから続き言わないでくださいね。骨組みが【骨】組みです、なんてのはシャレになんないんで!」
「先々月に潰したマフィアの工作員だったかな。頭は本部に送りつけたからそれには未使用だが……ほかは磨り潰して手間隙かけて、練り上げ焼き上げ……素敵な骨組みに仕立てたところさ。君、案外鼻が利くな」
「ビンゴかよ畜生!」

 悪趣味すぎるだろそんな家具! と立ち上がったルチアーノににやにやと笑って、「ただの冗談だよ」とレグルスは肩をすくめた。

「別の世界に飛ばされました、よりずっと趣味のいいジョークだろ?」

 ルチアーノの眉間には深くシワが刻まれる。




 万能感か、とレグルスは深くため息をついた。ルチアーノが騒々しく屋敷を去ったあと、何故だか久しぶりに疲労を感じた。だから、女と二人で入ることの多い自分の寝室に、たった一人でたたずんでいる。万能感か、とまた小さく繰り返した。

 自分が万能でないことは、自分が一番よく知っている。

「運が良かっただけ、なんだろうか」

 運悪くこちらの世界に飛ばされ、運悪く【不死】となり。あとは踏み外した階段を転げ落ちるように、易々と人の道を外れた。不死となった身は人ならざる回復力を彼に与え、そこに頼りきった行動指針はレグルスをあっという間に怪物にした。

「……頭がおかしいのだろうな」

 人間は死ぬことさえ恐ろしくなければ、何だって出来る生き物だとレグルスは知っている。撃たれても死なないと知っているのならば、弾丸の雨を突っ切ることだって出来る。死なないと知っているから炎の中に飛び込むこともできたし、毒入りのワインを飲み干すことも出来る。ありとあらゆる無茶を可能にしてしまった身体は、レグルスに戸惑いを覚えさせることはなかった。そしてそんなレグルスは、「化け物」として扱われることも少なくなかった。

 撃たれ続けていれば、どこに弾が当たれば致命傷となるのかも理解できてしまう。
 切り刻まれ続ければ、どこを切られたら痛いのかを理解してしまう。
 すべては経験の蓄積で、その経験はレグルスを化け物たらしめるのに一役買った。

 どこを撃たれればすぐに死ぬのかわかっていたから、レグルスは確実に仕留められる部位を狙う。
 どこを切りつければ失血死を迎えるのかを理解していたから、レグルスは拷問の際にはそこを外した。じわじわと痛みを与えてなぶり殺すためには、死に直結する傷など作らない方がいい。

 恐ろしいことなど何一つないはずだった。今までもこれからも、レグルスが不老不死であり続ける限り、すべてはレグルスの恐怖の対象から外れているはずだった。

「……逝き急いだ時期もあった、か」

 死なないレグルスにとって、一番恐ろしいのは「死ねない」ことそのものだ。嫌というほど痛みを味わっても、喉が焼けるほどに毒をあおっても、レグルスが終わりを迎えることはなかった。限りなく永久に近い命を得るということは、同時に一種の孤独を味わうことにもなった。首を切り落としても死ねない自分は、他の人間とは決定的に違う存在になってしまったのだと、見せつけられている気がした。

 あおった毒に喉を焼かれながら、頭を銃で撃ち抜いたとしても。
 自分の左胸に指を突き立て、心臓をえぐり、肺が血に満たされるのを感じながら、取り出した心臓を踏みにじったとしても。

 レグルスに終わりが来ることなどなかった。意識は遠退き、一時的に黒く塗りつぶされた視界が目の前に広がっても。
 しばらくすれば、視界には色が戻ってくる。レグルスが愛し、レグルスが憎み、レグルスが絶望した世界が、風景が、また彼を受け入れる。とくりとくりと命を刻む鼓動に、絶望を感じたのは一度や二度ではない。

 そのうちに死ぬことを諦めたレグルスが手を出したのが、「時間の浪費」だった。

 終わりが決まっているのなら、人生は呆れるほどに短い。しかし、終わりのない人間にとって、人生は呆れるほどに長すぎる。
 
 手始めにレグルスが手を出したのは錬金術だっただろうか。同じ不死のものがいれば面白楽しく暮らせるかもしれない、と思ったのがきっかけであった気がする。結論から言えば錬金術をある程度扱うことはできたが、極めるには至らなかった。円環の蛇の一歩手前で、真理を紐解くその手前で、レグルスは踏みとどまった。心のどこかで、更なる「化け物」になることを拒絶していたのかもしれない。結局、真理を紐解いたのはレグルスとは別の青年だった。彼もまた、死ねないからだをひきずって、今日も延々と続く明日に向かって歩み続けている。

「……無駄なことは何一つなかった」

 つぶやいてから、いや、ひとつだけ、と考え直す。いま、自分の胸に宿るどす黒い執着こそが、一番【無駄】なのかもしれない、と。

 決してレグルスを見ようとしない翡翠の瞳。チョコレートブラウンの髪。はつらつとした笑顔、こちらに向けられる冷たい言葉の数々。そのすべてが欲しくて、そのすべてを壊したくて、レグルスはたった一人を追いかけている。今のレグルスにとって、彼女に抱く執着こそが、正気を保つための狂気だった。愛しいと言うわけでも、憎らしいと言うわけでもない。ただ、彼女を、あの瞳を、ずっとこちら側に向けていてほしい。それだけの望みが、いまだにかなっていないのだ。

 もし。
 もし、その願いを叶えることなく彼女がレグルスをおいて逝ったなら。否、願いを叶えたとしても、彼女が逝ってしまったのなら。

「……俺はどうなるのだろうな」

 世界から色は消えるのか。それとも、またひとりでこの終わりのない物語の世界を歩き続けなくてはならないのか。

 レグルスにも、それはわからない。
 


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