自分よりずいぶん小柄な少女の視線を感じて、レグルスはふと顔をあげた。眼鏡のレンズ越しの瞳はどこまでも鋭い。当たり前か、と納得してから、また読んでいた本へと視線を落とす。数百年前のことが綴られている歴史書は、面白くもなんともない。実際に体験していればなおのことだ。事実に勝る現実など有りはしないのだから。
「そう怖い顔をしなくてもいいだろう? 俺と君との仲じゃないか」
「それは誘拐犯と被害者の仲ってことで良いのかなあ」
「それはとんだ仲だな、被害者には同情もしよう」
コーヒーでも飲むか、と取って付けたように口にしたレグルスに、鎖砂は「何が目的」と間髪入れずに返す。それには一切答えずに、レグルスは「コーヒーでも飲むか」と繰り返した。
「真洋に用があるなら、私を拐っても意味ないよ?」
「アイスかホットか、どちらが好みだ」
「聞いてんの?」
「砂糖は適当に入れるが、文句はいうなよ。……それから、ミルクは用意していない。欲しいなら牛でも連れてこい、絞るくらいならしてやる」
沈黙が落ちる。縛られることもなく柔らかいベッドの上に転がされている鎖砂に、レグルスは無言で青い瞳を向けていた。歓楽街のネオンよりも悪趣味な、胸くその悪くなるネオンブルーだ。
「……ホット」
諦めたように口にした鎖砂のそれに、「妥当だな」と面白くもなさそうにレグルスは返す。コーヒーが冷める頃に返してくれないかと思ったが、レグルスを見る限りそれは難しそうだった。
「コーヒーができるまでゆっくりしていってくれ」
「出来たらゆっくりできないのかな?」
「それは君次第だよ。……それまで大人しくすることだな。時間がたてば帰してやるから」
豆の焙煎から始めようとしたレグルスに、「そんなの待てるか」と突っ込めもせず、鎖砂は深々とため息をつく。
運が良ければあの白髪の探偵がここを割り出してくれるだろうし、悪ければずっとこのままだろう。
香ってくるコーヒーの香りに舌打ちしたくなったのは、人生で初めてだった。
bkm