塗り替えられる女、塗り替える男

「ほら、あんまり動くなよ」

 べたりとしたものがニルチェニアの唇に触れる。何だろうと少女は不安に思ったけれど、抵抗をしようという気はとうに失せていた。
 自分はこの男に遊ばれることでしか生きていくことができないのだ、と――ニルチェニアはあの数日で徹底的に叩き込まれたからだ。
 力もなく、寝台に縛り付けられた身体ではどこにいくことも許されやしない。
 せいぜい、泣いて叫ぶことか……唇をかみしめ、現状に耐えることしか許してもらえないのだ。

「折角可愛い顔をしているんだ、手入れを怠るなんて」
「……っ」
「ただの蜂蜜だよ。知らないか? 唇に塗るといいんだ」

 確かめてみろよと唇に差し込まれた指は確かに蜂蜜の味がしたけれど。
 ニルチェニアは、それを甘いとは思えなかった。
 小さな唇に何度か指を差し入れては抜いて、レグルスは無抵抗のままに涙をこぼし続ける少女を愉快そうに眺める。
 ふと、思いついたように唇を重ね、蜂蜜で艶めいた唇をなめた。
 びくんと跳ねる肩が愛らしく、それだけでレグルスはどこかが満たされるのを感じるけれど。

「ああ、取れてしまったな……どれ、もう一度ぬろうか」

 もう少し可愛く、絶望的に啼いてもらわなければ――今は、満足できそうにない。
 蜂蜜の入った瓶に指を浸し、怯える少女の胸元にそれを塗り付けた。



***



「今の気分は?」
「最悪」

 はき捨てるように口にした女に、レグルスはくつくつと笑う。
 椅子に座った女の、針のように細いヒールが自分の手のひらに食い込んでいたが、そんなことはどうだっていい。
 心底軽蔑する、といったような菫色の瞳に笑いかければ、「笑いかける相手を間違えているんじゃない?」と冷たい言葉が降ってくる。

「美しいと思った女性に笑いかけるのは男の義務さ。違うか?」
「気持ちの悪くて得体の知れない男に笑いかけられる私の身にもなってもらえますか、レグルスさん?」
「酷いな」

 ぐりぐりとなじるように食い込んでいくヒールは痛い。
 全く、とはき捨てた女の細い足首をつかんで、レグルスはスカートのすそを膝元までたくし上げた。
 そんなことをしても女は動揺したそぶりを見せない。ただ冷徹に「やめてくださる?」と口にしただけだった。

 やりにくい女だ、と思う。
 自分のペースを乱されたが最後、レグルスがいとも簡単に他者をからめ捕ってしまうのをこの女は熟知しているのだ。
 たとえばここで突き飛ばして床に押し倒したところで、女は顔色一つ変えやしないだろう。そういう女なのだから。

「もう少し足を上げてくれるといいな」

 白いふくらはぎに口づけを落としながら、レグルスは上目づかいに女の菫色の瞳を見つめる。
 そこには何の感情も乗っていなかった。この目は、正直苦手だ。
 すべてを見通した後で、「取るに足らない」ものだと判断されているようで。

「どうして?」
「もう少しいい眺めが期待できそうだからな」

 ほら、とスカートのすそをめくり上げようとしたレグルスの横っ面を、しなやかな足が蹴り飛ばした。

「そうね、あの世に行けたなら、きれいな景色も見放題でしょうね――死ねないレグルスさん」

 可愛らしく微笑んでくるこの女の顔を、幾度恐怖と絶望に染め上げたいと思ったことか。
 蹴り飛ばされて血のにじんだ唇をなめて、「お転婆もほどほどにな」とレグルスはつぶやいた。
 


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