そして立ち去る劇作家
「ああ、やっときたのか」

 ユーレに振り向くこともなく、黒いコートの男はそう言った。
 部屋の真ん中で立っているだけの男を目にして、ユーレは愛用の小銃をゆっくりと構える。銃口のその先を、黒銀の髪に合わせた。

「――ニルチェニアはどこだ」
「お前がいつ来るのかと気が気じゃなかったよ。どうした? それほど長い道のりでもなかったというのに」
「質問に答えろ。俺の娘をどこに連れていった?」

 銃を構えたまま近づいたユーレに、レグルスはやっとふりむいた。暗闇の中、ネオンライトのように悪趣味な青だけが爛々と輝いている。
 いつもは表情の乗らない顔にうっすらと微笑みを浮かべ、ただある瞬間を待つ獣のように鷹揚に構えている。余裕すら感じられた。

「どこに連れて行ったと思う?」
「謎かけをしてる暇はねェんだよ。どこに連れてった?」

 にたり、とレグルスは笑った。
 獲物を手に掛ける瞬間の獣のように、それはそれは獰猛に、残酷に微笑んだ。

「お前の手が届かない場所だよ」

 ほら、とユーレめがけて投げられた【何か】。
 思わず反射的に受け取って、手のひらの中のそれを確認し――ユーレは咆哮をあげた。

「……てめえ!」

 ユーレの手のひらに収まったのは、ニルチェニアが昔から身につけていた髪飾りに見えた。その昔、ユーレが彼女に買い与えたものによく似ている。
 似ている、というのは【それ】なのだとユーレが認めたくなかっただけなのかもしれない。繊細な模様が掘られた金属の板には赤い何かがべったりと付いてしまっていたし、金属板とは無関係の鉄臭さがあったから。

「お前の娘は」

 どこか恍惚と、夢見るような顔でレグルスは紡いだ。
 詩のような芝居めいた言い回しは、絶望的なまでに死を紡ぐ。
 ユーレが銃の引き金を引けなかったのは、感情の揺らぎのせいだけではなかった。

「最後まで可愛く泣いてくれたよ。実にイイ声で。聞いていてぞっとしたし、正直抱いてやりたくなった」

 あれだけ可愛いあの娘の姿を俺は見たことはなかったよ、と穏やかに紡がれて、ユーレは自分が目の前の男に怒りと憎悪以外の感情を持ち始めていることに気がつく。その最後の感情こそが、ユーレに引き金を引くことを遅らせていた。

 この男は狂っている。

 最初からわかっていたことだし、レグルスの狂気にユーレは慣れていたはずだった。頭のおかしいマフィアのボス。それを知っていて、ユーレは今の今までレグルスとつきあっていたはずだった。

「安心してくれ、お前の娘を犯すようなことはしていないさ。流石にそこまで悪趣味じゃないし、友人の娘にそんな無体を強いるような真似はしないよ。血が繋がっていなくとも、お前と彼女はちゃんと家族だったさ」

 無体を強いる、とユーレは白く焼けた頭の中で繰り返す。
 無体とは何だ。娘の命を奪ったことは、無体に含まれないのか。
 悪趣味とは何だ。この冗談にも出来ない悪趣味な状況を作り出したのは誰だった?

「良い子だよ、喪ってから気付いた。あの子は本当に良い娘だったんだよ、ユーレ。最期までお前の身を案じていたし」

 舞台役者のように大仰に腕を広げて、レグルスはその場でくるりと回ってみせる。黒いコートの裾がひらりと舞って、まるでワルツを踊る死神のようだった。

「お父さん、おとうさん――と。お前の名を呼び続けていた……しかし酷い娘だ、俺を目の前にして他の男のことばかりを考えているのだから。なあ、そう思わないか?」

 頭が真っ白に成るというのはこういうことなのか、とユーレは感覚で理解した。何も考えられずに、レグルスの言葉だけが幾度もこだました。おとうさん。その言葉を発したらしい娘の姿を、ユーレはまだ確認できていない。

 娘はどこにいる?
 ニルチェニアは。
 俺のあの子は。

「俺の娘は――」
「大丈夫、体に傷を付けたりはしなかったよ。痛みもなかったはずだ。俺の部屋で寝ているよ。寝台の上を見てみると良い。安らかに眠っているから」

 もう起きないだろうが、とレグルスは最後に優しく笑った。

 ふらり、ふらりと緑色の瞳の男が、自分の娘が永久の眠りについた部屋に向かっていくのを青い目の男は見送った。

 緑色の瞳の男がその部屋に入り、しばらくして銃声が一つ。
 ああ、終わったか。そう青い目の男はつぶやく。

「カーテンコール……といきたいところだが」

 役者はもういない。

 世界一哀れで美しかった父娘にそっと微笑んで、頭の狂った劇作家はゆっくりと口にした。

「それでは、閉幕」

 寝台には眠った娘を抱きしめるように抱き寄せた男。
 男のこめかみから流れた血は薔薇のようにあかく、白いシーツを染め上げていた。


 

 


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