「お前さあ……」
扉を開けて部屋に入ってきた瞬間に目に飛び込んできた光景に、ユーレはその緑の瞳をすっと細めた。
相変わらず悪趣味なことで、とはき捨てながら、女を膝にまたがらせているレグルスを見やる。
膝にまたがった女は胸元が大きく開いた赤いドレスを身にまとい、そのしなやかな白い足を惜しげもなく晒していた。
片方だけ床に落ちた赤いヒールがどことなく淫靡な雰囲気を漂わせている。
開いた胸元からのぞく谷間は深いもので、その腰はやすやすと引き寄せられるほどに細くくびれていた。
レグルスの指にからめられた金髪は美しく、目を伏せている女の顔も整っている。
なめらかな白い肌は髪の美しさを引き立たせているし、ぽってりと膨らんだ赤い唇は噛みつきたくなるくらいに艶々としていて。
間違いなく、『上玉』だろう。
――その胴体と首がつながっていたなら、の話だが。
「どうした?」
首のない女の胴体を膝にまたがらせている男の名はレグルスといった。
ネオンライトの様に青い目をユーレに向けて、「まあ座れよ」と促してくる。悠々とソファに腰掛けながら、テーブルに置かれた女の
頭に手を添え、長い金髪に指をからませているレグルスは――控えめに見ても狂人だろう。
どうしたもこうしたもねェだろうよ、とため息をつきながら、ユーレはテーブルを挟んでレグルスの向かい側のソファに腰掛ける。
テーブルに乗った女の頭の後ろ側をじっと見つめるような席になってしまったが、そうそう珍しいことでもない。
金髪に包まれた後頭部は、顔さえ見えなければ珍妙なオブジェでも納得ができるのだけれど――レグルスの膝に乗った『身体』が後頭
部をオブジェにすることは許さなかった。どう見てもばらした後の人の亡骸だ。マネキンならいいんだけど、と思いながらもユーレは「
何人目だよ」とくぎを刺すように口にする。
「何人目だ、とは?」
レグルスはさらりとそんなことを口にする。
首も胴体もそろっている以上、とぼけたって無駄なことはどう見ても明らかなのに。
「ヤった後に殺った女のことだよ」
ユーレも間髪入れずに口にした。品のない口調になりはしたが、どうせ自分とレグルスしかいないのだ。問題はあるまい。
ユーレとていまさら人の亡骸程度に心を揺さぶられはしないが、テーブルの上に灰皿同然に生首が置いてあるのは承服しかねるのだ。
せめてソファの上に置いておけ。人を呼びつけておいて死体と戯れているとはどういう了見なのか。
「さあ……覚えていないな」
今まであけたワインのボトルの数を聞いても、きっと同じ答えを返すだろうとユーレは思う。
女にしてもワインにしても、「開けてしまった」ならあとはもうどうでもいいのだろうと。
「なかなか魅力的じゃないか? 最近知り合った」
「それはそれは。即日お持ち帰りで早速さばいた、と」
「人聞きの悪い言い方だな」
「人聞きも糞もねェだろうが。体裁を気にするならまず膝の上とテーブルの上のそれをどかしてからにしろよ」
「『それ』だなんて口のきき方は彼女に対して失礼じゃないか」
しるかよ、とユーレは舌打ちをする。死体同伴で人と会話しようという方が失礼だ。
――失礼を通り越した何かであることは間違いないが、失礼を通り越した非礼はどう表現するのか、ユーレは知らない。おそらくそん
な言葉もないはずだ。
「あァ、もういい。話してるだけで疲れる」
「俺は結構楽しいぞ。なあ、デュー?」
「そうかよ。誰に話してんだよ」
死体と話すなんてやめてくれよとユーレがぼやけば、失礼しちゃうわ、と楽しげな女の声が響いた。
「……レグルス、お前」
「俺じゃないぞ。声真似はできるが」
「そうか、じゃあ俺疲れてたんじゃなくて憑かれてたのか。専門家に見てもらうから俺はこれで」
「適当なことを言って帰ろうとするなよ。冗談だろ?」
「帰らせろよ。冗談じゃねェよ」
『それ』の処理が終わったらまた来てやるよとうんざりした顔でユーレはソファから立ち上がる。
ユーレが立ち上がったところで、視界の端に赤いものがひらりと動いた。
「――本当に冗談のきついことで」
ひらりと動いた赤いもの。それを目で追ったユーレはレグルスの膝にまたがっていた首なしの体が、しっかりと立ち上がり自分の方へ
手を伸ばすのを見ていた。
赤く短いドレスの裾がひらりと揺れている。靴は片方だけ床に転がったままだから、右足だけ裸足だった。
「面白いと思わないか?」
「全くだな。生きててよかったよ。死んでる女に抱きしめられるだなんて縁起でもねェわ」
首なし女がそっと伸ばしてきた手のひらを頬に感じながら、「で」とユーレはそこにあるはずの首の向こう、レグルスの青い瞳を見た
。
「新しい愛人はゾンビだと?」
「生ける屍……リビングデットか。それも面白いが、彼女はもう少し堅苦しい存在かもな」
「死後硬直は始まってないみてェだけど」
「そもそも死んでいないからな。デュー?」
生きていないだけさ、とつづけたレグルスの声にかぶせるように、陽気で楽しげな女の笑い声が部屋に満ちる。
笑い声の出どころを探れば、レグルスが無言でテーブルにあった頭を掲げた――笑っている。
「そうよぉ、私、『死んでない』の! デューっていうのよ、よろしくね」
「ああ……そう……」
ユーレです、と片手を差し出し、握手を求めてきた首のない身体の手をしっかりと握る。
「デュラハンってしってる? 私、それなの!」
「人が戸を開けるとたらいに一杯の血を顔に浴びせかけてくるはた迷惑な死の宣告者の話なら、伝承程度には」
「そうそう! それよそれ! この前レグルスに血を浴びせかけたんだけど、この人死んだのに死ななくて! 面白かったから愛人にな
ってみたの」
「ああそう……」
デュラハンと言えば首のない騎士だ、という認識を持っていたユーレからすれば、この異様な性格の軽さはなんなのかと思うし――面
白かったから愛人に、というのも意味が分からない。嫌味が通じていないのも気が抜ける。
人には理解できないものがあるのだろうと無理やり納得し、ユーレはデューと名乗った女に向き合った。
「首とれてっけど、どっから声出してんだよ」
声帯を震わせて出すのが声というものなら、声帯と頭が生き別れになっているのにどこから声が出るのかと気になってしまったのだっ
た。
それに対してデュラハンはと言えば、くねくねと悩ましくその魅力的な体をくねらせ、本来なら頬があるであろう場所に手を当てて恥
じらいのそぶりを見せる。
何が恥ずかしいのかと思わずにはいられない。それから、いくら魅力的な体でも胴体と頭が生き別れているとただのホラーだ。
「やだー! そんなこと聞いちゃう系なの? ひ・み・つ!」
「まあいいや……」
面倒くさいというよりはテンションについていけない。あとは勝手にやってろよと部屋を立ち去ろうとすれば、デューが自分の頭を持
ちながら「また遊びに来てね」などとのんきに口にした。
「面倒くさいレグルスがいない時にな」
「やだ、浮気のお誘い? 本人の目の前で? やるわね!」
「違ェよ。レグルスがいない時はお前もいねえだろうよ」
「お前にそういう趣味があるなら俺は一向に構わないが、首のない女を抱くのはあまりいい趣味とは言えないな」
「構えよ。それからお前が言うな」
「やだァ、会う気がないの? じゃあそっちのおうちにお邪魔しよっかな、たらい持って。血をたっぷりその中に入れて」
「絶対扉開けねェから」
死の宣告をしに来るといわれて扉を開けるやつはいない。
ノリが軽いうえに頭も軽そうだと思った。
「お前の娘あたりは喜ぶんじゃないか? こんな変なもの、見たことがないだろうよ」
「自分の愛人ならもっと言葉選べよ……」
「え、娘さんいるの? ちょー見たい! 可愛い? その子可愛い?」
「可愛いのは見た目くらいだろうな。性格は悪魔も泣いて逃げ出す悪辣さだよ」
「ちょー実感こもってるわねレグルス! 今度お邪魔するわ!」
「来なくていいって言ってんだろ」
面倒なのがまた増えた――と痛む頭をおさえつつ、ユーレはレグルスのアジトを後にする。
エントランスの端の方に血のこびりついた銀のたらいを発見して、妙に感慨深くなってしまった。
人の死を糧にマフィアのボスとしておさまっているレグルスの愛人が、本物の死神だなんて笑えない冗談だと思いながら。