ニルチェニアが自分の探偵事務所に戻ってきたとき、事務所には男が二人いた。
「わかった。首をつって詫びるから、俺が原材料からロープを作り出すまで待っていてくれ」
「いつ死ぬんだよお前」
よく見知った黒コートの男。
その男の胸ぐらをがっしりとつかみ、宙づりにしているのは自らの養父だ。
宙づりにされているほうの男――レグルスも、毎度のことだと気にしてもいない。
留守にしている間に入ってこられるのは本当にやめてほしいと思いながら、ニルチェニアは『定位置』についた。
事務所の一番目立つところに置かれている、一人掛けの革張りの椅子。
これはニルチェニアが探偵事務所を立ち上げたときに、養父のユーレからもらったものだ。
もらったその日から、その椅子の上がニルチェニアの定位置となった。
「ニルチェニア。面白い話を持ってきたんだが――聞く気は?」
「貴方のもつれた男女の関係以外の話なら、喜んで」
ニルチェニアが定位置についたとたんにユーレの手を振り払い、レグルスが意味ありげに笑いながら寄ってくる。
今までろくな話を聞いてこなかったニルチェニアは、今日ももつれた男女交際の話かと全く相手にしていなかった。
レグルス・イリチオーネ。
泣く子も黙るマフィア、『|ルポーネ《オオカミ》』の|ドン《頭領》でありながら、その実態は女たらしの狂人だ。
人工的に思えてしまうほど鮮やかで濃い青の瞳、鉄のように黒い髪を持ったレグルスの顔はぞっとするほど整っていて、そのかんばせには甘くて残忍な色気がある。
その見た目の良さにつられてしまうのか、彼の周りには女が絶えなかった。
複雑であまりにも欲望に忠実的な女性関係は、流血沙汰で幕を閉じることも珍しくはない。
「つまらないな。昨日は三人|イ《逝》かせたって話を聞かせてやろうかと思ったのに」
「品性のない話ね。女性にする話としては最低なものだと思うけれど」
流血沙汰といっても、レグルスが遊んだ女に刺されるわけでもなければ、遊ばれた女たちが互いに傷つけあうわけでもなかった。
刺すのは常にレグルスのほうであり――それはつまり、遊んだ女を自らの手にかけている、ということだ。
遊ぶだけ遊んで、要らなくなったら始末する。それがレグルスだった。
「貴方は本当に最低ね。男としても、人間としても。犯罪者の頂に収まっているのがお似合いよ」
「仕方がないだろうよ。残しておくと面倒なことになるのは目に見えてる……」
それなら遊ばなければいい。
それを知っていてなお遊び、そうして同じことを繰り返すのがレグルスという男であり、狂人だとニルチェニアが断定する男なのだ。
「相変わらず厭な目をする女だな。今夜俺と遊ぶか?」
「翌日になって四肢がばらばらの状態で発見されるのなんて嫌よ。……触らないで」
「つれないな」
「つれるとも思っていないでしょう、最初から」
顎に手をかけ、顔を近づけながらささやいてきた男の手を叩き落とし、「それで」とニルチェニアは目を細めた。
「俺の娘になんつう話をしてんだお前は」とユーレに頭を叩かれながらも、「それで?」とレグルスが口元だけで笑って見せる。
「“面白い話”、聞かせてくださらないの?」
「おねだりするときはもっと可愛く強請れないのか?」
数々の女を虜にしてきたであろう甘い微笑みがニルチェニアに向けられ――
「だーかーら、人んちの娘にちょっかい出してんじゃ! ねェよ!」
親の前で何してんだテメェは、と額に青筋を浮かばせたユーレがレグルスへと迫り。
容赦のない鉄槌が、文字通りレグルスの頭にめり込んだ。