ダンジョンでパスタ
スパゲティ・モンスター


 振り下ろされた鉄パイプに頭蓋骨を砕かれ、ぴくぴくと痙攣しながら地に伏した“それ”。
 わかりやすく言うなら、『見慣れないオオカミのような生物』といったところだろう。
 頭からにゅるりと飛び出た角はいっそ滑稽なほどで、この角の大きさで種族における力関係で優位に立てるらしい。

「こんなに大きな角が頭についていて、バランスがとれるのかしら」

 白髪の女、ニルチェニアは顎に手を添えてそう口にした。ニルチェニアの菫色の瞳は狼に吸い付いて離れない。
 割れた頭から染み出た血が、地面を赤黒く濡らしている。
 死んだ角狼の観察をやめようとしないニルチェニアに、鉄パイプを持った男が声をかけた。

「おい、ンなもんまじまじと見るようなもんじゃねェだろうが。さっさと進むぞ」
「……そうね、ユーレさん」

 男――ユーレの持った鉄パイプには、オオカミの血がべったりとついている。
 ユーレが血を払うようにパイプを振れば、地面に赤いしずくが飛び散った。
 その時初めて、血の鉄臭い匂いをニルチェニアは感じた。
 それから、謎の塊に見えていた魅力的な肢体が、ただの死体に変わってしまったのも。

「行きましょうか。もう面白そうなものはないもの」
「……おう」

 ぴくりともしなくなったオオカミの骸を、ただの亡骸だと認識したとたんに――ニルチェニアの興味がどこかに行ってしまったのをユーレは感じ取る。
 ユーレの鷲色の髪を、吹き抜ける生ぬるい風が揺らしていく。
 オリーブ色のジャケットの裾で手の汗をぬぐって、ユーレはぼそりとつぶやいた。

「ったく、いきなり襲いかかってくるから手加減もできねえじゃねェか……」
「手加減、か」

 惨いことをするなあ、と黒コートの男がオオカミを指さして笑う。
 薄暗い遺跡の中でも嘘みたいに鮮やかな青い瞳は、血濡れの狼をはっきりと映し出していた。
 ぺろり、と舌で唇をなめた青い瞳の男は、「出会い頭に頭蓋骨を砕いておいて何を」と鼻で笑う。

「んだよ。言いたいことがあるならハッキリ言え、レグルス」
「いや。老いに伴い反射神経も衰えたかと思っていたら、予想外で何よりだ――とね」
「あ?」

 ケンカ売ってんのかお前、とユーレは鉄パイプの柄を手のひらでパシパシと打ち始め。
 対するレグルスは艶のある微笑みを浮かべ「頼もしいよ」と口にするのみだった。

 前人未到とされる古代の遺跡を進む三人の目の前に、角の生えた狼が飛び出てきたのは先ほどのこと。
 気配を感じさせることもなく、三人の中で一番ひ弱であろうニルチェニアめがけて牙をむいた狼を、鉄パイプの一撃で死に至らしめたのがユーレだった。
 構える時間もほとんどなかったというのに、力任せで振るわれた鉄パイプはどうやら武器として十分だったらしい。
 ゴキッ、と耳をふさぎたくなるような嫌な音をさせてめり込んだ鉄の棒は文字通り脳まで叩いたのだろう。
 パイプの先にこびりついた何か白っぽいものの存在を、ニルチェニアは見ないふりをしているらしかったが――脳天まで砕けた狼の死体を興味深そうに見ていた時点で、いろいろと言い逃れはできまいとレグルスは内心で笑った。

「下手すると三日以内に踏破できそうじゃないか? ニルチェニア、お前の目的は『遺跡の奥まで行くこと』だったろう?」
「ええ」
「喜べ、優秀なボディーガードが二人もいる。お前の望みは近いうちに叶えられることだろうさ」
「そうね――『遺跡から帰ってくる』時もよろしくね、レグルスさん?」
「チッ」

 『遺跡の奥まで行くこと』ができたらニルチェニアは放って帰ろう。
 そう画策していたレグルスの心情を読んだのか、ニルチェニアは憎たらしいほどに可愛らしく微笑んでくる。
 気づかなければ放って帰ってやろうと思ったのに、とレグルスが言葉ではなく態度で示せば、レグルスの後頭部に硬いものがごつん、と当てられた。

「おいユーレ、狼の脳味噌がついた鉄パイプで俺の頭を小突くな」
「育てのとはいえ親を目の前に『娘を置いていく』なんてよく言えたもんだよなァ? 狼の脳味噌でもお前の頭に入れば、ちったァ“まとも”になるんじゃねェの?」
「ほう? それなら動物に従って、『獅子は千尋の谷から子を突き落とす』を実行させてやろうか。谷から突き落とされたらそこのお嬢さんはあっさり死ぬかもしれないが、遺跡に取り残される程度ならまだマシかもしれないぞ。人間的に見てみたって、『可愛い子には旅をさせよ』という言葉も極東に伝わっているくらいだ。物は試しだぜ、ユーレ」

 もっとも、とレグルスは言葉を切った。

「試されるのはお前じゃなくてニルチェニアの方だが」
「よくお分かりね。勝手に人を試す算段なんてなさらないでほしいわ――それに、そんな算段をするのでしたら、どうぞ私のいないところで」

 本人の目の前で話すことではないでしょうと呆れ顔のニルチェニアの腰を親しげに抱き「つれないな」とレグルスが耳元でささやけば――。

「レグルスさん、血腥いわ。狼の脳漿を取り除いた後にしてもらえる?」
「人んちの娘に何してんだよ」

 ニルチェニアからは言葉の暴力、ユーレからはちょっと強めの鉄パイプでの突っ込みを頭に受け、レグルスは「ろくでもねえ父娘だな」とニルチェニアの額を指先ではじいた。



***


「これで何匹目だ?」

 頭めがけて飛んできた大きなカナブンのような甲虫を、ユーレがまたも鉄パイプでぶん殴る。

「脳天に一発入れたのは13匹目だな。ナイフでバラしたのなら7匹目か?」

 ナイフを振って緑色の液体を散らしているレグルスの足元には、手足をもがれた甲虫がうごめいている。
 甲虫といっても親指ほどの大きさなんて可愛いものではなく、旅行鞄一つ分、といったところの大きさだ。
 中型犬がじゃれついてくるような勢いで飛びながら突進してくる甲虫。その脚をナイフで切り取り、体勢を崩したところで腹に一発蹴りをくれてやる。
 鉄の塊みたいにごろんと落ちた黒光りのする甲虫は、ニルチェニアの興味はひかなかったらしい。
 むしろ、虫を見るのは嫌なのか――普段は無表情に近いその顔をほんのすこしゆがめている。

「ああ悪い、こんなもの見たくもなかったか」

 脚をもがれて動けもしない甲虫に、レグルスが左足を乗せる。
 ニルチェニアが見ている目の前で足に体重をかけた。
 ぎち、ときしむ音。
 瞬き一つをする間、ねっとりとした緑の体液が飛び散っていく。
 しばらくして、虫は動かなくなった。

「ジェノベーゼを思い出すな」
「食べられなくなるから、やめて」

 そんな光景をわざわざ目の前で見せつけられたニルチェニアの気分といえばあまりよくないらしい。
 口元を手で押さえると、レグルスに聞こえるように「悪趣味」と唇を動かした。

「よく知っているだろうに。俺が悪趣味であることくらい」
「そういう性格の悪いことをしていると……女性に嫌われるわよ。それも“遊び”じゃなくて“大本命”に」
「知ったような口ぶりじゃないか」
「さあ。どうかしらね――ただ、私が探偵であることを考慮に入れてもらえるのなら、あなたの“大本命”は生物学に詳しくて、それから医学にも精通しているんじゃないか、という『予想』はできていると思って頂戴ね」
「お前、何か余計なことをあいつに吹きこんだりしていないだろうな」

 レグルスの言葉に探偵の女は「“余計なこと”は何一つ伝えておりません」と涼しい顔をして受け流した。
 二人の間に流れる雰囲気を感じ取ったのか、ユーレは黙々とよってきた甲虫を打ち落としている。
 鉄パイプがこんなにも頼もしいなんて知らなかったとレグルスはうそぶきながら、「まあ、今更か」とニルチェニアの『仕返し』を肩をすくめることでやり過ごした。

「ええ。今更よ。彼女はあなたが複数の女性と一夜だけの関係を持っていることも知っているし、その女性たちが翌日には物言わぬ骸になることも知っている。……お遊びはほどほどにしないと。彼女はあなたの体質に興味を持つことはあっても、あなたに興味を持つことはないのだから」
「実験体になると言ったら受け入れると思うか」
「あら……それこそ体だけの関係ね。良いんじゃないかしら。その時は哀れと微笑みましょう」
「本当に厭な女だな、お前は」
「よく知っていらっしゃるでしょう? 私が嫌な女であることくらい」

 ふふ、と唇だけをかすかに動かして笑ったニルチェニアに、「ろくな死に方をしないぞ」とレグルスは舌を打つ。
 貴方に言われたくはない、と今度こそ声を出して探偵の女は笑った。


***


「だからろくな死に方をしないといっただろう、俺は」
「そうね。わけのわからない迷宮生物の餌になるなんて御免だわ」

 半透明の濁った深緑色。
 ぬるりとした感触の触手にからめ捕られながらも、ニルチェニアは冷静さを欠いてはいないようだった。
 ニルチェニアをからめ取っているそれは、さしずめ陸上に住むイソギンチャクといったところだろうか。うねうねとスライム状の触手を動かしながら、イソギンチャクに似た生物はゆっくりとニルチェニアの体に触手を這わせていく。ぬちゃ、と気味の悪い音がレグルスにも聞き取れる。

「気分はどうだ、探偵。ここから見てる限りじゃ最悪そうだが」
「磯臭さも生臭さもないのが救いかしら。半透明の触手……骨もないのね。筋肉だけで動いているのだろうけれど――」
「ニルチェ! 冷静に観察してる場合か! レグルス! お前も助けるそぶりくらい見せやがれ」

 自分の頬を滑っていく触手に目を向けながら、ニルチェニアは「火炎放射器はやめて」と重火器を構えたユーレに声をかける。
 私ごと燃やす気なの、と重ねて声をかければ、ユーレは渋々といった様子で火炎放射器をおろした。
 どこから出したんだよそれ、とレグルスがたずねれば「企業秘密だよ馬鹿野郎」とすげなく言い返される。
 お前のジャケットはずいぶん高性能なんだな、とレグルスはゆっくりと目を細めた。

「ああ、これから召されるかもしれないかわいそうな“君”に、冥途の土産でありがたくない話をしてやろう」
「ありがたい話の方がうれしいわね」
「まあそう言うな。探偵、こういった“迷宮生物”の触手を持つタイプは、ヒトの女に好んで襲い掛かるそうだ」
「あら、そうなの」

 初耳、と探偵の女はおもしろそうに目を輝かせる。
 肝が据わってるんだよなこの女、と思いながらもレグルスは話を続けた。

「どうしてだかわかるか」
「いいえ」
「――だろうな。一説によると、ヒトの女の体に卵を産み付けるらしいぞ。よかったな、晴れて苗床だ。生産的な人間になれる」
「生産するのは怪物ってわけ? ぞっとしない話ね。つまらない」

 ――ほかに面白い『冥途の土産』はないの?
 挑戦的に笑ったニルチェニアに、「お前は本当にしょうもない女だ」とレグルスは喉の奥の方で笑う。
 命の危機かもしれない時に話をねだる女がいたとしたら、こいつくらいだろうという確信を持った。

「つまらない? ――そうだろうとも。ありがたくない話をするといったところだからな。しかし……まだ時間が少し残っているようだから、お望み通り、もう少しお前向きの話をしようか。ユーレ、俺が話している間に孤軍奮闘を頼むよ」
「お前本当にあとで覚えてろよ」

 チッと盛大に舌打ちしたユーレに「覚えておいて良いものかどうか」とレグルスがニルチェニアを見やる。
 からめ捕られた娘の柔らかそうな太ももを目指し、スカートの中に触手が這って行くところだった。
 触手が這い始めたというのに悲鳴一つ上げずに、この状況の中、淡々と話を聞いているニルチェニアは何なのだろうかとも思う。
 
「俺が今までいたところでは『神を信じない』者たちが作り上げた宗教があった。この言い方では語弊を招くかもしれないが、『神を信じる』宗教に対するある種の皮肉でありパロディさ」
「それは愉快な話ね。こんな状況下になかったらもう少し詳しくお聞かせ願いたいわ」
「こんな状況下だからこそ詳しく話そうじゃないか。ニルチェニア、お前を救うのは神ではない。君を殺すのも神じゃない。君は消化されて死ぬ……ところで、素肌で味わう感触はどうだ」
「貴方と同じくらい最低よ」
「それは何より。よかったよ」

 何もよくねえよとユーレが叫ぶのが聞こえたが、レグルスはそれを無視して話し続ける。
 ぬちゃりと音を立てて、ニルチェニアの胸に半透明の触手がからみついた。
 「服が汚れてしまうじゃない」と舌打ちする探偵の菫色のブラウスには、確かに粘着性のある液体がべたりとついている。
 心配するところはそこなのか、とレグルスは口にしようとし「もともとこういう女だった」と思い直した。

「そしてその“宗教”の名だが。『空飛ぶスパゲティ・モンスター教』と言うんだよ」

 ユーレがちぎったらしい触手の塊が、明後日の方へと飛んでいく。
 ニルチェニアの長いスカートにもぐりこんだ触手が、スカートのすそをたくしあげる。下着がぎりぎり見えるか見えないかのきわどいところだ。
 が、手足が動かせないのを抜きにしてもニルチェニアは動じない。ゼリー状の触手にからめ捕られた白い太ももが艶めかしかった。
 見ようと思ったわけでもないが、さらけ出された白い太ももに視線が行くのは当然のことだっただろう。
 それにしても恥ずかしがるようなそぶりを見せないのがニルチェニアという女だった。
 謎を――『古代遺跡の奥まで行く』という目標を――目の前にした時のニルチェニアには、それ以外のことなんて頭から排除されてしまう。
 謎のためになら何でもするし、何にでもなるのが『ニルチェニア』という探偵だった。
 謎のために生き、謎のためになら死ねるというその生きざまは――彼女もまた“普通”ではないことの証なのかもしれない。

 恥ずかしがることもなく晒されたままの足にレグルスは目をやって、少し不満げな表情を作った。

「……俺はもう少し、引き締まった足の方が好きだな。お前、運動はしているのか」
「余計なお世話。運動をしていたら、もう少しあなた好みだったんじゃない?」
「それもそうか。――まあ良い。時間だ。“君”はおとなしく」

 青い瞳を輝かせ、レグルスはニルチェニアの露出した太ももに手を添わせる。
 そのまま触手に触れて、ひどく愉しそうに笑った。

「――食われろ」


***


「お前は本当に悪趣味だよ、レグルス。あんなことをしておいてよく平然と飯が食えるな」
「良い眺めだったじゃないか。俺はああいうの、結構好きだな」

 パスタにソースをからめ、おいしそうに食べているレグルスの前には――もう「彼女」の姿はなかった。
 彼女だった残骸も、ゆっくりと消化され始めている。
 もう少し遊んでやればよかった、とパスタの最後の一口を食べきったところで「よくそんなものが食べられるわね」とニルチェニアが姿を現した。

「なかなかうまかったよ。体は洗えたか」
「おかげさまで。古代都市とはいえ、今でも水路が機能していたのが素晴らしいわ! ここに生きた人たちがどんな暮らしをしていたかも含めて……もう少し詳しく見てみたいところなのだけれど」
「俺は構わないよ。ユーレはどうだ」
「俺も別にいいよ。……なあ、ほんとにそれ食って平気なのか」
「さあ?」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」

 食った食った、とレグルスが息をついた中、「触手を食っちまうのはお前くらいだよなあ」とユーレが顔をしかめる。

「失礼だな。俺は触手を食べたわけじゃない。パスタを食べたんだよ。もとは確かに触手かもしれないがな」
「触手を【分解】して、パスタに【再構成】だもんなァ……」

 ニルチェニアの足にまとわりついていた触手に触れたレグルスは、「なかなかいい材料になりそうじゃないか」と口にして。
 恐ろしい速さで触手をちぎり始めた。
 ちぎっては【分解】し、触手そのものを分子レベルまで分解したのち、『パスタ』に【再構成】していったのだ。
 ユーレにもニルチェニアにもそれがどういう仕組みで起こされる現象なのかはよくわかっていなかったが、レグルスという男を目の前にしたとき、もっとも意味をなくすのが『常識』だ。
 常識に縛られない男に常識を当てはめる方が狂気の沙汰。
 そう知っている二人は目の前で起こる不可思議な現象にも、特に疑問を抱くことはなかった。

 ――しかし、そうはいかなかったのが『彼女』の方で。
 卵を産み付けるという行動に出ようとしたように、ニルチェニアを襲ったのは立派なメスの“迷宮生物”だ。
 産卵期に現れた貴重な『苗床』を、わけのわからぬ奴に奪われてはたまらないと必死の抵抗に出たものの。

 ――うるせえ。黙って食われろ。

 青い瞳をきり、と細めて紡いだレグルスの勢いはすさまじく。数分も立たぬうちに【分解】されつくした彼女は、パスタとして【再構成】され、現在レグルスの腹の中でゆっくりと消化されている――というわけだった。

「さて、腹ごなしついでにもう少しうまそうなやつはいないか。もう少しえぐい見た目のやつがいいな」
「あなた、まだ食べる気なの? もう少し趣味のいいものを食べたらどうかしら。悪趣味にもほどがあるわ」

 あれだけ食べたのに、とあまりいい顔をしなかったニルチェニアに、レグルスはにっこりと笑って返した。

「よく知っているだろうに。俺が悪趣味であることくらい」


 秘められた古代都市の遺跡に、迷宮生物たちの断末魔が響き渡るのは――そう遠くない未来の話だ。




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