ワンダリング・ライフ 1−5
「本当に塔ねぇ」


 上を見上げる凛音に倣って、悠斗も見上げる。


内側から見たこの塔は、まるでドーナツを縦にいくつか並べたような構造をしている。
 真ん中は丸くくり貫かれ、吹き抜けになっているようだ。内壁に沿うようにして部屋のドアが並び、吹き抜けに接している廊下には柵が立てられている。かなりの高さを誇る塔のようだが、階段は一つも見受けられない。


「ここでは転移陣を使って、各フロアに飛ぶんです」
「凄いな、……本当にファンタジーの世界だ」
「本当に魔法とは縁のない生活をしていらしたのですね」


 職員室のような部屋にいく前に話していた内容の一つに、「元の世界での魔法の有無」があった。
 元の世界では魔法はおとぎ話のような、要するに本や創作物の中だけのものなのだと。

「だとすれば、それだけの魔力を内包している点に疑問を持つが」
「多分、私が思うにこれはあのイかれた帽子の『オマケ』だと思うのよねぇ」
「……そんなこと言ってたな、あの男」


 紫のアイメイクが脳裏に浮かぶ。


「『オマケ』、か。なかなか厄介なものを渡されたな」
「一歩間違ったら死ぬんだもんなあ」


 悠斗の何気ない呟きに、ヴェインの顔が少し動いた。
 凛音はそれを見てにたりと笑う。不思議そうな顔をした悠斗には適当に笑って、ちょっとワクワクするわねぇ、と凛音がのんびり笑う。


「ふふ。楽しんでいって貰えると嬉しいです」


 するりと滑らかな足取りで外に出たリリーが、双子の手を取って外に引っ張る。


 外は、素晴らしく美しかった。さやさやと揺れる短草は、映画の中で見かける大草原のようで、柔らかな風を纏って踊っている。
 空は夕暮れ時なのか、朱色と桃色、薄紫に薄藍色と、花の色を並べていったように色づいて。その空に浮かぶ雲は真珠色の光を宿し、柔らかなかたちを保ったまま、西へ、西へと流れていく。
 全てが夢のようなものなのに、頬をすり抜ける風は爽やかな草の匂いと土の匂いを纏い、その暖かな掌で二人を撫でていく。


「もう少し早い時間でしたら、大鷲がみられたかも」
「鷲!見たい!」
 

 目を輝かせた凛音に、明日を楽しみに、とリリーが微笑む。
 この国を作った〈魔女〉は魔女とは思えない表情を浮かべ、異世界からの訪問者の手を取った。


「この国に来たことが、貴方達の財産になることを、約束します」


 暗くなる前に参りましょうと少し照れくさそうに微笑み、彼女は二人に言葉をかけた。





 数日後。


「魔力の制御って難しいわ……」


 〈約束の国〉の〈約束の塔・中庭〉にて、黒衣の青年と、少年と見間違えそうなほど中性的な少女が仲良く日向ぼっこ……否、休息を取っていた。
 少女はぐったりとしているのに対し、青年は汗一つかいていない。
 それは青年が指導役であり、また、国内最高水準の騎士であったからだ。


「付き合ってくれるのは嬉しいけど、ヴェインさん、お仕事は?周りから話聞く限りだとすっごく偉い人なんでしょ?警備とか護衛関係で」
「気にする必要はない。今はこれが仕事だ」


 これが仕事と言い切られてもねぇ、と少女は表情に出さず、そうなの、とだけ返しておく。
 正直にいえば心苦しい。
 『異世界から来ましたー』なんて、得体の知れない子娘の行く末を考えて、国一番と言っても差し障りのない人間――いや、悪魔か――が、わざわざ直接、魔力制御の指導を申し出てくれているのだ。
 国は守らなくてもいいのか、と心配になる。


「この国は平和だ。私はあまり働かなくて済む」
「そう?でも、あまり迷惑かけたくないし、すぐ覚えるように努力するわ」
「そうしてくれ」


 机の上に書類の山が二つは出来ているだろう、と彼は真顔で呟く。
 書類仕事はやっぱり回ってくるのかと凛音は苦笑いした。自分が早く制御できるようにならないと、この人の机が危ない。


「よし、頑張ろう!」


 すっくと立ち上がった凛音に、ヴェインが「もう良いのか」と問いかけてくる。凛音はにっこり笑って頷いた。時間ももったいないし、この「魔力制御」の修行も楽しい。新しいことに挑戦するのは、いつだって期待で胸が一杯だ。


「またポカしたら宜しくお願いします」
「引き受けた」


 しっかりと頷いたヴェインに挨拶の意味で片手を上げて、言われたとおりに体の感覚を研ぎ済ませる。


 ヴェイン曰く、魔力とは動物でいう犬のようなものらしい。
 馴れないものが無理に従えさせようとすれば牙を向くし、逆に馴れ親しんでしまえば従順な僕として、力として持ち主を護るものとなる。
 それには自分の魔力を感じ、手懐けることが必要だと彼は言った。


 彼らのように生まれながらに魔を持つものは、小さい時に感覚として魔を捉えるから、いつの間にか扱えているものなのだという。
 逆に、後から教えて貰ったことだが、リリーやミリアなどの<魔女>と呼ばれる、後天的に魔を扱えるようになった者は、苦労しながら少しずつ馴れていくそうだ。
 

 凛音は目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。背中の辺りで、何かが蠢く気がする。それをゆっくり胸の辺りに押し上げ、そのまま血液に流すようにして、四肢に行き渡らせる。じんじんと手足が痺れてくる。熱を持ち始めた体の末端に気を抜くことなく、流す力を徐々に大きくしていく。
 

 ここで負けてはいけない。


 血管を喰い破るように体を震わせる大きな力に、負けてはならない。
 もう何度も繰り返した行動だから、体の方も馴れてきたらしい。ヴェインは魔力を手懐けろと言うが、凛音にしてみれば受け入れ作業だ。
 痛み出す頭に「少し大人しくしてなさいよ」と思いながらも、凛音は最後の難関を突破するために、心臓辺りにまだ引き出されていない魔力を引きずり出す。
 

 そしてそれを、一息に体に回した。


 ここでしくじると、我を失った自分の身をヴェインに止めて貰わねばならない。
 止め方はわりと簡単だ。自我を取り戻すくらいの苦痛を与えればいい。おかげでここ最近、凛音の体は痣だらけ。
 ヴェインは乗り気でないものの、自我を取り戻すのに手加減はしない。


 回復はリリーが一日の最後にやってくれるから、骨が折れようと安心なのだけれど。


「余計なことは考えるな。どちらが飼い主か教えてやれ」


 淡々とした言葉を頭の隅に留め置き、凛音はゆっくりと息を吸い込んだ。


 ――どちらが飼い主か、ね。


 体を突き破って出てきそうな大きな力を、体全体で押さえつける。
 力は暴れたままだ。手の先が震えるのを感じる。冷や汗だか脂汗だか分からないが、背中をつうっと滑り落ちていく。


 負けてたまるか。


 痛みすら伴い始めた体に鞭を打つように、凛音は力を込めて大きな力をねじ伏せる。耳の奥できりきりと音がしている。


「そのまま押さえつけろ。暴れそうになっても、諦めるな」


 淡々と脳内に響く、騎士の言葉がありがたかった。
 自分を鼓舞するでも、心配するでもないその言葉は、ただ事実と注意だけを凛音の中に思い出させてくれる。


 自分の力がどこまで持つか分からない。それでも凛音は散らばった情報を圧縮させるように、力を心臓辺りに押し戻す。
 ひどくもどかしく、ゆっくりとしたペースで、凛音は力を制圧しつつあった。


 これで八回目。日数にして三日。体もいい加減馴れてきたのか、徐々に力を押し戻しつつある。
 耳鳴りが遠くなる。頭痛が収まる。前進の痛みが引いて、四肢末端の震えが消えていく。


 不意に、力が抜けた。
 がくりと膝をついてしまう。顎の先を、汗の滴が滑り落ちていった。ヴェインの声が、少し遠いところで聞こえる。

 
「よくやった。難関は突破したぞ」


 目が霞んでよく見えないし、声を出す気力もない。
 無様にも地面にひれ伏した彼女を、俵でも抱えるかのようにひょいと抱え、ヴェインは中庭から通路へと移動した。


「あとは二・三回、魔力を引き出せば良いだろう。今日は休め」
「はーい……」


 通路を通って転移陣を起動、抱えられたままの凛音はぐったりとして目を瞑っている。
 一方のヴェインは軍隊の鬼軍曹の如き足取りで、ある部屋を目指して歩いていた。


 体が痛いなぁ、と凛音は思う。全身内出血しているような、つまりどこに何が触れても内側から痛むというか。
 今まででこんな症状は現れなかったから、やはり彼の言った通り、一つの壁を、難関を乗り越えたのだろう。


「……お前さ、樽運ぶ訳じゃねぇんだからさ……」


 どこかで聞いた声だ。
 どこだっけ、と凛音はぼんやり考える。瞼に浮かんだのは炎の色だ。


「クラド」


 ヴェインの声がする。
 ああそういえばその人だと思って、凛音は重い瞼を持ち上げた。
 のぞき込む蜜柑の色は、呆れと心配を混ぜ込んでいる。


「うっはー。顔色悪りぃぜリンネ。魔力制御ったってお前、よりによってこいつに習ってんのか」
「そぉー」
「お疲れだな。ヴェイン、何処行くつもりだ?」
「リリーの所だ」


  回復させる、といったヴェインに、クラドが微妙な顔をした。


「ってか、何でそんな息も絶え絶えなんだ?」
「力技でねじ伏せた」
「……漢前な方法だな、そりゃ」
「操る感じでやって貰おうと思ったんだが、途中で路線変更が効かなくなってな。飼い慣らすと言うより屈服させた感じだ」
「お前、スパルタだもんな。リリーとユウトの和やかさに比べたら……」


 かわいそうだから背負ってってやるよ、とクラドはヴェインから凛音を受け取ると、器用に彼女の体を背中に回し、バランスを取って立ち上がった。
 俗に言うおんぶという奴だ。


「助かる」
「そりゃ良かった。リンネだって樽みたいに担がれるよりゃ良いだろうしな」
「んー……」


 本当に疲れて口も聞けないわね、と凛音はため息をつく。


「いやでもホント、よくこいつのスパルタについていけたな」
「スパルタにしては生温いと思うが?」
「アホ。リンネは人間だぞ」
「――そういえばそうだったな」


 もしかして、忘れていてあんな痛い思いをさせられたのか、と凛音は一瞬考えをめぐらせる。
 

 ――そういえば、時折無茶苦茶なことを言われた気がする……


 心配になってくる会話を聞きながら、凛音は大人しくしていた。
 ごめんなさい寝てしまうかも、と半ば夢の世界に誘われつつもそう告げれば、涎だけは垂らさないでくれよと背中の主に笑われた。


「善処する……」
「おー」


 最後におんぶされながら眠ったのはいつだっけ、と凛音はぼんやりと考える。この世界にきてから、人の体温に触れることが多い。





「確かに、和やかだな」
「だろー?あれで何の訓練になってんだろ、って思うんだけどな」


 悠斗とリリーの居場所を知っていたクラドに案内して貰い、向かった〈空中庭園〉。
 要するに塔の天辺だ。気取った名前がついてはいたけれど。


 転移陣を起動させても辿り着くのに時間のかかるこの場所で、リリーと悠斗はのんびりとお茶会を開いていた。
 一見、何の修練もしていなさそうに見える。


「リリー!」


 クラドが叫ぶ。
 相変わらずバカでかい声だなと呟いて、ヴェインは目を覚ましたらしい凛音に「診て貰え」とだけ告げる。


 んー、と眠そうな声を上げると、凛音はクラドとヴェインにお礼を述べて、地面に足をつけた。
 しゃっきりした姿とは言い難いが、誰の力も借りず、凛音はもにょりもにょりとリリーの方へ歩いていく。


「教える奴でこうも違うかね」
「それについては否定しない」


 方やへろへろ、方や暢気にお茶会。不条理だねェ、とこの世の真理を悟った声で呟くクラドに、「ああ云う方法で私は指導できない」とヴェインは言い切る。
 そりゃそーだろ、とクラドは笑った。


「リリーのことだから分かんねぇけど、多分あれも指導の内なんだろうな。茶ァ飲んでる間にも何かあんだろ」


 色とりどりの花が咲き誇る庭園の真ん中、真っ白なテーブル目指して、紺に近い紫の胴着を着た少女がのたのたと歩いていく。
 角砂糖に惹かれる蟻っぽい、とクラドは呟く。


「なーんか、あのテーブルは近づき難いなァ」
「あの一帯に魔力が色濃く放たれているみたいだしな」
「やっぱ?あれって多分、時の魔力って奴だよな。俺らには見えないけど」
「見えなくとも感じられるほどだ、よほど強く流しているのだろう」


 テーブルより20歩離れた程度の所で、リリーが凛音に回復の魔法をかけている。柔らかい光が少女を包んで、それから青い空に透けるようにして消えていく。
 胴着の少女は頭を下げると、足早にそこから離れた。
 すっかり回復したらしく、さかさかと走って戻ってくる。


「私、ヴェインさんの指導で良かった……!」
「どうした」
「あのテーブルの辺り、とっても気持ち悪い」
「……内と外から魔力漬けか」


 ひでーなそりゃ、とクラドがやる気のない声でヴェインに相づちを打つ。案外やることエグいのな、とも呟いて彼はじっと白いテーブルにつく二人を見つめ。


「時の魔力は〈屈服〉させるのは難しそうだからな。体が馴れるのを待つしかない」
「毎日毒飲んで耐性つける的なアレだな」
「毒を魔力に置き換えた訳ねぇ」
 

 よくみれば悠斗の顔は引きつっている。凄いわねぇ、と凛音はぼんやり呟いて、弟の顔を見続けた。
 広がる光景は正しく以て絵画的なのに、裏側の事情を悟ると楽しそうなお茶会が最後の晩餐に見えてくる。
 あんなお茶会はイヤだわー、とあっさり呟いて、凛音は胴着の内側ポケットから飴を出してかじった。


「一個くれ」
「はい」


 クラドも飴をポリポリかじり始める。無口になった二人に何とも言えぬ目を向けてから、「中に戻ったらどうだ」とヴェインは言葉をかけた。
 暇なら場所を移動すべき、と言外に二人を窘めている。邪魔をするなよと。


「そうしよう。ミリアちゃんに会って図書室はどこか聞こう」
「俺も書類片づけるか」


 至ってマイペースな二人に呆れ顔をし、ヴェインも転移陣に足を乗せた。
 自分の机に、これ以上書類が溜まっていないことを祈りながら。


prev next



bkm


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -